2004年12月09日
詩集『はだか』谷川俊太郎より、「さようなら」
さようならぼくもういかなきゃなんない
すぐいかなきゃなんない
どこへいくのかわからないけど
さくらなみきのしたをとおって
おおどおりをしんごうでわたって
いつもながめてるやまをめじるしに
ひとりでいかなきゃなんない
どうしてなのかしらないけど
おかあさんごめんなさい
おとうさんにやさしくしてあげて
ぼくすききらいいわずになんでもたべる
ほんもいまよりたくさんよむとおもう
よるになったらほしをみる
ひるはいろんなひととはなしをする
そしてきっといちばんすきなものをみつける
みつけたらたいせつにしてしぬまでいきる
だからとおくにいてもさびしくないよ
ぼくもういかなきゃなんない(詩集『はだか』谷川俊太郎より)
こんな詩に出会いました。
前つんのめりの、焦るリズムが、読んでいて苦しい。
少年は、「どこへいくのかわからないけど」「いかなきゃなんない」。
さらに、「ひとりでいかなきゃなんない」。
少年の、何か内面の必然に強く促されている決意が、
自分でも訳が分からないまま熱に浮かされている衝動が、
はだかの魂から、もっとも傷つきやすい形で、
そして最も強く、根源的な輝きで、出ています。
こういうはだかの詩を読むと、運命に厳しく立ち向かうその姿勢に、深く感動します。
そして、自分もまた、「どこへいくのかわからない」けど「いかなきゃなんない」
という極度に緊張感のある地点へ投げ出されます。
だから、感動と苦しさが表裏一体です。
芸術が持つ感染力なのだと思います。
非常に奥の方から力が湧いてきます。
一見するとひらがなだけの、子供向けの詩かと思われるけれど、とんでもない。
純粋な目は、自己存在に深く関わってくるとても恐ろしいものだと思います。
何度も朗読していると、言葉が次々に繋がっていくリズムが、
少年が、「さくらなみきのしたをとおって」「おおどおりをしんごうでわたって」
早足で歩いている情景と重なり、自分も何か、「いかなきゃなんない」と
急き立てられます。生き急ぐ少年の足音まで聞こえてくるかのようです。
大人は、「どこへいくのかわからない」のならば、行けないでしょう。
でも、少年は、「どこへいくのかわからないけど」、行ってしまえます。
理由のない内的必然性に促されているのだから一番強い。
それは、なぜ愛しているか言語化できなくても
「愛しているから愛している」という論理破綻のまま突っ走れるのと似ています。
谷川俊太郎さんは、しかしながら、大人です。
大人なのに魂を裸にできるということが驚きなのです。
言うなれば、「オトナコドモ」のような人です。
誰だって子供時代はあります。
そして誰だって時間が経てば大人になります。
でも「オトナコドモ」になるのは、丸腰で生きる勇気が必要になります。
たった一人で、丸腰で生き続ける勇気。
傷つきやすい魂を、そのままジャリジャリした外界に晒さねばならず、
とてもじゃないけどできません。
ところが、とてもじゃないけどできないことを、魂は平気で要求してきます。
本当に困ったことです。一体どうすればいいんだと思います。
困った困ったと思いながら、一日中魂にはりついた薄皮を剥がしています。
でも、困るからこそ熱を帯びてくるものも、確かにあります。
「もういかなきゃなんない」とパニックになるぐらい焦りつつ、
一方で、いまできる事探して、着実に、具体的に、淡々とやっていく。
焦るリズムと淡々としたリズムの二つの旋律が
不思議な調和を見せて同居しています。
投稿者 tsuyoshi : 2004年12月09日 23:12
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