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2005年03月27日
ハードな旅用の自転車
悩んでます。
このところずーっと、どんな自転車を買うかすごく悩んでいます。
用途は長期間でハードな旅用。
イメージとしては、チベットなどの未舗装の悪路を含むユーラシア大陸横断ぐらいの旅。
いますぐこのような年単位の旅に出かけるわけではないのですが、仕事の為に自転車はすぐに必要なのです。
用途がメッセンジャーだけだったら、選ぶものも全く違ってくるのですが、旅用の自転車でもタイヤを変えればメッセンジャー用として十分使えるので、この際メッセンジャー用は考慮しない。
前回の旅で得た経験を元に、このような旅でベストな選択はどのようなものか、あれこれ考えるのですが、いろいろと要素がありすぎて、決められません。
でも、いま考えている理想を書き出してみます。
・フレームの形状はMTB(26インチ)
→もしチベットのようなハードな未舗装路を想定しないのなら、700cのリムをつけるシクロクロスが旅用にはベストだと思う。ただ途上国で700cのタイヤがどの程度補給できるかは未知数。(MTBのタイヤならばどこにでもあった)
また、26インチよりも一回り大きな700cだと太いタイヤがなく、荷物を満載した自転車でダートを走るのはきっと辛いと思われる。
ただ、700cのシクロクロスと呼ばれている種類の自転車はかなり選択肢が豊富で、かっこいいものもあり、すごく惹かれる。舗装路中心でたまに未舗装路があるぐらいの旅ならばシクロクロスがベストだと思う。(メッセンジャー用なら700cの方が向いている)
・フレームの材質はクロモリ
→アルミでもいいが、万が一折れたときのことを考えると多少重くてもクロモリがいいのではないか。それにクロモリの方がしなるので長時間走行でも疲れにくいのだという。だがクロモリフレームのMTBは選択肢が少なくなるので絶対の条件ではない。アルミでも強度は十分だと思う。前回の旅はアルミフレームだったが問題なかった。
・絶対にキャリアダボが付いていること
→ダボがなくてもむりやりキャリヤを取り付ける方法があるとは思うが、強度が全然違うと思う。
・フロントフォークはサスペンションなし
→これは迷うところ。チベットを毎日走っている時は一日中激しい振動でものすごく疲れたので、フロントサスがあったらなーと思っていた。でも、重くなる、メンテに不安がある、舗装路ではパワーロスになる、キャリアがちゃんと付くのか?などマイナス要因もある。チベットだけ走るのなら、フロントサスはあったほうがいいけれど、大陸横断は舗装路も多いのだから、なくていい。
・ブレーキはVブレーキ
→ディスクブレーキはかっこいいから目立つ、よって盗られやすい、メンテナンスに不安がある。カンチブレーキでもいいけれど、Vブレーキに慣れているし調整が楽。
(ディスクブレーキのいいところは、シクロクロス(700c)のフレームでも26インチのホイールをはめられるところだろう。)
・ハンドルはフラットバー/ドロップどちらでもいい
→これは悩ましい。フレームがMTBなのだからフラットバーにバーエンドをつけるのでいいとは思うのだが、ドロップハンドルの自然な体勢もすごく魅力的。向かい風にもドロップハンドルの方が有効だろう。ダートにはフラットバーの方がコントロールしやすいけれど。フラットバーにDHバーを付けるのも手だが、ビジュアル的にどうなのかな?マルチポジションハンドルという手もある。
・スポーク数36本ぐらいのホイール
→最近のホイールは極端にスポークの数が少なく、とてもかっこいいのだが、きっとものすごく微妙なバランスで成り立っているのだと思う。もし一本折れたらものすごくリムが歪むのだと思う。それにかっこいいと盗られやすくなる。だから、フツーで丈夫なホイールがいい。
・色やシルエットは派手すぎず、飽きなく、愛着の湧くもの
→赤や黄色の派手な色の自転車はきっとすぐに盗まれる。茶色とか濃い青や
濃い緑などがいいのではないか。自然の中で、ド派手な色は似合わないと思う。自然の中は調和を乱さないような色がいい。フレームの形状もけっこう重要。
で、以上を考慮して第一候補に挙がっているのがこれ
テスタッチ BEAT3
これはフレームのみの販売で色指定ができる。そして上記の条件をすべて満たしている。ただ、一つだけ難点があるとすれば、フレームの後ろ部分が曲がっているデザイン。これ、かっこいいか?クロモリをよりしならせるためのデザインなんだと思うのだけれど…。
それともこれは僕の思い込みか?この曲線がかっこいいのか?見本の写真の色が好みではないからちょっとダサく見えるだけか?これにドロップハンドルをチョイスすればかっこよくなるかな?
でもクロモリの細いフレームに太いマウンテンのタイヤは似合わないかも。そんなことないか?
フレームを単体で買って、パーツを取り付けるのは楽しそうだしいい勉強になると思うのだけれど。
こちらは自転車屋で見た完成車。キャノンデールのT800(定価168000円)とT2000(定価208000円)
た、高い…、それに700cだし、アルミフレームなのだけれど、かっこいい。アルミなのはまあいいとして、700cというのはやっぱりよくないか?26インチじゃないとだめか?
もう一つ、自転車屋でみかけた完成車。トレックの520(定価125000円)
これはクロモリフレームなのだが、やはり700cだ。
たぶん、どれぐらいひどい道を想定するか、どれぐらいの荷物を想定するかで違ってくる。
やはりチベットぐらいのダートだと、700×37cのタイヤは細すぎる。埋まってしまって大変だ。でも、かっこいいなーと思う。
やはり、フレームはMTBにしておいた方がいいだろう。
クロスカントリー用のアルミのMTBなら種類は豊富だから、それでいい気もする。前回と同じということになるのだけれど。
ジャイアントの完成車でグレートジャーニーというのがある。バッグ付きで恐ろしくコストパフォーマンスがいいけれど、自転車はいまいちなパーツを使っているので候補にはならないけれど、やはり完成図としてはこんな感じになってしまうのだろうか。あまりエレガントではないような…。
世界一周用だったら8割以上は舗装路ということになるだろうからキャノンデールやトレックのツーリングモデルでいいと思われる。700cのタイヤもどうにか調達できるでしょう。でも、アマゾンとかチベットとかを想定すると、悩ましいのだ。700cでもどうにかなるような気もするし、全然だめかもしれない。経験がないから知らないのだ。
あーいろいろと悩んでたらすごく時間がかかってしまった。
そしてさらに混乱してしまった。
どなたか、他にいい自転車、いいアイデアなどあったら教えて下さい。
今週中には買いたいのです。
投稿者 tsuyoshi : 23:48 | コメント (3) | トラックバック
2005年03月26日
久しぶりに更新
しばらく更新してなくてごめんなさい。
書くことはいろいろとあったけれど、書くタイミングを見つけられずに、ずるずると、書きたい気持ちを引きずりながらも、こんなにも間隔が空いてしまいました。これからはもうちょっとちゃんと更新します。ごくささいな、日常の出来事も書こうかとおもいます。僕はどうも書くとなるとちゃんと書きたいと思ってしまうようで、そうなると書くきっかけを見つけるのが難しい。でもこのブログはまとまった内容を書いたエッセイもあれば、身辺雑記の日記もあるようにしようと思って「diary/essay」としたのだから、もうちょっと日記も書こうかと思います。
というのも、書くことを習慣づけたいからです。
最近とある方から聞いた話なのですが、作家の井伏鱒二さんは書くことがないときは広辞苑を写していたそうです。広辞苑を写すような単純作業でもいいからとにかく書いていたそうです。そうやって本番が来たときにいつでも書ける状態にしていたそうです。精神の贅肉を落とすシャドウボクシングは欠かせないということです。僕はメッセンジャーの仕事を始めてから食欲はものすごいのに体重が数キロ減り、贅肉のないいたって健康な体になっているのですが、同時に精神の贅肉を落とすことも忘れないようにしないとと思うのです。

この写真は先週末に久しぶりに行った鵠沼海岸。
土曜日におうきくんと湯河原でクライミングをし、そのまま彼の家に泊まり、次の日に海を見ました。ものすごくいい天気で、ああ、空が広いなーと感動。ねっころがっていると、ぽかぽか陽気でうとうとして、体がバターかチョコレートになったかのようにとろけそうでした。もう春なのだなーと思いました。
投稿者 tsuyoshi : 12:46 | トラックバック
2005年03月04日
かわいそうな蒼き狼号
BB(ビービー、ボトムブランケット)と言われているパーツは自転車の心臓部にあたる。
ペダルとクランクがフレームに取り付けられている部分のことである。
先日蒼き狼号のBBのガタがひどすぎて、心臓移植を試みる事にした。
自転車屋で新しいBBを買い、古くなっていたフロントギヤも新しく買った。
そして古いBBを取り外そうとしたが、できなかった。
完全にBBがフレームと癒着してしまい、外れないのだ。
おおきなモンキーレンチに思いっきり体重をかけても無理。足で乗っかっても無理。メカニックの人に頼み、すごく大きな工具で外そうとしたが無理。足で思いっきり踏みつけたらBBを外す為に取り付ける工具の歯が欠けてしまった。
しょうがないので潤滑油を浸透させてから再度取り外しを試みる事にした。その日は会社の自転車で仕事をすることになった。
しばらくして、メカニックの人に呼ばれた。彼はフレームのBBが取り付けてある部分を指差して、医者がレントゲン写真を指差してガンを告知するように、ここにクラックがあると言った。よく見ると確かにクラックがある。BBの交換どころの話ではなくなってしまった。もうフレームがダメになってしまっていたのだ。つまり、蒼き狼号は余命いくばくかの身だったのだ。
その日は仕事中ずーっとこれからどうしようか考えながら、なんだかぼんやりしていた。会社の自転車はしっかり整備されており申し分なくスイスイ動くけれど、ちょっとよそよそしい。こうやってちゃんと整備しておけばよかったのだと思うと悪い事をしたと思った。
フレームにクラックが入ったのがBBを取り外すときにできたのか、それとも徐々に出来たのかは分からない。後者なら仕方ないが、前者ならばもっと早くBBを交換していれば防げたかもしれない。
ともかく自分の自転車はデリバリーには使えないと戦力外通告をされてしまった。かわいそうな蒼き狼号。アフリカもチベットも知っている百戦錬磨の彼にもついに引退の時が来たようだ。
旅に出る数ヶ月前の1998年の秋に買ったので、6年半ぐらい乗ったことになる。もう買ったときに付いていたパーツのかなりの部分は交換されている。人間の体は一年で9割が交換されるそうだが、なんだかそれと似ている。
それにしても6年半よく走ってくれた。
旅で4万5千キロ、旅のあとも通学や通勤に毎日活躍していた。合計5万数千キロになるかと思う。
特にフル装備でガタガタの道を走っていたチベットなどは、自転車にとっても相当な負担だった筈だけれど、よく走ってくれた。正直あまり自転車の面倒を見ておらず、メンテナンスを怠っており、壊れたら直すが壊れる前に整備することをしなかった僕はあまりいい持ち主ではなかったかもしれない。それなのにこれでもかと乗り回され、さぞかし大変だったろう。かわいそうに。
でも、「モノ」としてはこうやって使い倒されるのは本望ではないかと思う。
冷静に考えれば自転車はあくまでも「モノ」であり「道具」なのだ。機能が失われると「ゴミ」になるのだ。
「モノ」と「ゴミ」の境目は“機能”なのだということ。
なんて明解でなんて分かりやすい定義だろうと思う。
確かにその通りである。ティッシュペーパーは鼻をかんだ後はもう“機能”が失われるからゴミだ。切れた電球は“機能”がないからゴミだ。
でも“機能”が十分あるけど様々な理由で「ゴミ」になる場合もある。飽きた、古くなった、高性能の新しいのを買った、要らない、修理代が高い…等々。ちょっと悲しい「モノ」から「ゴミ」への経路だが、特に変化が激しい電化製品の分野ではこっちの経路の方が多いのかもしれない。しかしこのような経路も“客観的な機能”ではなく、“主観的な機能”が失われたと捉えれば、“機能”を失ったからゴミになったと言う事も可能である。
この逆もある。
実は僕は旅の途中で「ゴミ」を送り返した事がある。
数万キロ一緒に走ったギヤやチェーンを捨てるにしのびず、送り返した。ぼろぼろになったTシャツを捨てるにしのびず、送り返した。旅の途中で、自分と共に移動している「モノ」は極端に少ないので、過剰に愛着が湧いたのだろう。その時は捨てるなんてあり得ないと思った。
旅を終え、実家に帰ったとき母に「何が送られてくるかと思ってワクワクして開けてみたらゴミが入っていたのでびっくりした」と言われた。そのとき僕は少々傷ついたのだが、言われてみれば全くもってその通りである。高いお金を払って海外から日本へゴミを送るのだから倒錯行為である。でも送った時の僕の心情はまるっきり倒錯などしておらず、これなどは“主観的な機能”はまだ失われていなかったということになるのだと思う。
(つけ加えれば、この“主観的機能”を重視しすぎると皆から「変態」と言われるのである。…たぶん。)
僕はよく「モノ」について考えるのであるが(例:引っ越し当日の文章など)、「モノ」について考えるということは「ゴミ」について考えることと同じかもしれない。
「モノ」と「ゴミ」との境界は“主観的/抽象的な機能”であるということ。
そういう風に言葉には境界線が引かれている。個人によって境界線は揺れるが、“機能するかどうか”ということを基準にしても過ちはないだろう。
しかし「ゴミ」という言葉は実に人間的だなと思う。
使用済みのティッシュから核燃料廃棄物まで、人間だけがゴミを出す。森の中では枯れ葉は決して「ゴミ」ではないけれど、燃えるゴミの日には枯れ葉が袋に入れられていたりする。ちょっと悲しい光景である。
…話が長くなったが、ともあれ自転車のフレームにクラックが入っていた。相当なショックであった。だからいろいろと嫌気がさし、先日仕事に対するグチばかりの文章を書いたのだろう。
これからどうしようかと思う。
いろいろと悩ましいけれど、やはり、たぶん新しい自転車を買う事になるだろうな。
メッセンジャーの仕事はどれだけ続けるか分からないけれど、自転車はずっと乗るだろうから。
僕の性格上、買ったからには使い倒すので、いいものを買いたい。
できるのなら新しいフレームを買って、パーツから組み上げたい。今の自転車に付いているパーツでも買ったばかりのものがいくつかあるのでそれらは移植しよう。
これは“フレームもまたパーツである”というように見方を変えるとただフレームと古くなったパーツを交換するだけの話になるが、心情的にはちょっと無理がある。(これは「モノ」に「主体(個)」というものを認めていることになるのかな?)
しかしながらフレームだけパーツだけという買い方は、完成車を買うのよりも格段に高く付く。
それにどこのフレームにするのか、どんなパーツにするのか、結構悩ましいのだ。
だからしばらくは買えないし買わない。
蒼き狼号はいまだに通勤に使っている。
BBのガタはひどいけれど、一応走れる事は走れるのだ。
ほんとうによく走ってくれる自転車だ。
仕事は会社の自転車を使っている。
ああ、やっぱり悲しいなー。
投稿者 tsuyoshi : 12:23 | トラックバック
2005年03月02日
一ヶ月めの愚痴
メッセンジャーの仕事をはじめて、一ヶ月余りが経ちました。
ようやく仕事を覚えてきて、なんとかこなせるようにもなってきました。
でも、どうした訳か最近朝出勤するのがおっくうに感じます。
仕事を始めた当初はとにかく変化が激しく、覚える事が膨大で、とにかく必死でした。卒業制作展とも重なっており、毎日ものすごく忙しく、心をピンと張りつめていました。その緊張の糸が卒業制作展が終わった事で切れたのかもしれません。相変わらず何かと忙しいのですが、どうも望んでいるような日々からズレているように感じます。
メッセンジャーの仕事が合っていないのかもなと思ったりします。
たぶんそれは本当です。それなりに仕事の楽しさも見つけ、時折すごく楽しく感じる瞬間もあるのですが、本当に自分が望んでいるものとはズレている事もやはり知っています。
体力的にキツいという訳ではありません。当初はとても大変でしたが最近は慣れました。雨の日でなければ疲れ果てるということにはならなくなりました。
金銭的に割に合わないというのは少し感じます。時給はまあまあなのですが自転車のパーツがかなり消耗し、そのパーツ代やメンテナンスにお金がかなりかかります。働いたお金がごっそり自転車に費やされていくような気がします。
でも一番の理由はその時間感覚だと思っています。
この仕事はものすごく時間に追われる仕事です。
時間に追われているという事が、事故に遭う可能性が高まるとは限りません。どれだけ急いでいてもちゃんと安全に走ります。だから、危険だから辛いという訳ではありません。
時間に追われるという感覚そのものがどうにも合わないのです。
僕のリズムとどうにもズレているのではないかと感じてしまい、それが無視しにくいのです。
無理矢理無視したつもりになっていても、なんとなく胸のあたりがざわざわしてしまい、ちょっと辛いです。
あるいはこのような不満ももうしばらく仕事を続ければ霧散するのかもしれないのですが、そのように仕事に慣れ切ったときに失うリズムがあるのかもしれず、また僕の性格上完全に慣れるということは難しいということも感じます。
今は「地図作り」や「東京オフィス見学の旅」などと意味付けをしてなんとかしのいでいるけれど、どれだけ保つかは怪しいです。たぶん僕は東京を卒業するためにこの仕事をしています。ちゃんと東京の地理と働く人を見、東京に流れる時間も知り、知った上で「もういいや」と納得して卒業したいのだと思います。当初は半年ぐらいかなと思っていたけれど、そんなに保つのかな…。あるいは東京もいろいろだから、視点を変えればまた違った時間の流れも見つけられるのかもしれないですが。
こんなことを書いているとまた明日の朝が辛くなりそうです。
どうにか肯定的な意味付けを試みたいけれど、寝不足になるのは辛いので今日はこのへんでおしまい。
