2005年05月13日

『荒野へ』 ジョン・クラカワー著(集英社)

アラスカの荒野に打ち捨てられたバスの中で餓死した青年についてのノンフィクション。
裕福な家庭に育った青年はなぜ全てを捨てて旅立ったのか、そしてなぜ死んでしまったのか、登山家でもある著者ジョン・クラカワーにより、淡々とした筆致で、しかし深い共感をもって書かれていた。

僕もたいへんな共感をもって読了した。
身に覚えがあるからである。過剰な情熱も、感情の不安定さに翻弄されるさまも、社会を素直に肯定できない憤りも、自由への憧れも、痛いほど身に覚えがあるのである。
そして、軽い反発も感じた。できることなら思い出したくない、あまりにも未熟で、あまりにも傲慢だった、ある時期の自分を、否が応でも思い出させるからだ。
僕が大学一、二年に行っていた山への単独行と、21歳のときのアフリカへの旅立ち。あの時のドミノ倒しのような心の軌跡を思い出させるのである。いまはもう成熟していて、傲慢でないというわけではないけれど。

そして思い浮かんだのが『サハラに死す』という本だった。
サハラ砂漠を徒歩で横断しようとし、途中で渇死した青年の話である。
名前は上温湯隆(かみおんゆたかし)、22歳であった。
アラスカの荒野で餓死した青年クリストファー・マッカンドレスは24歳。
過剰な情熱も、まっすぐな正義感も、純粋な理想主義も、似ている。
亡くなり方も似ているし、亡くなった年齢も近い。

マッカンドレスがバスに残した落書きがある。

二年間、彼は地球を歩いている。電話もなく、プールも、ペットも、タバコもない。窮極の自由。極端な人間。路上が住居の美の旅人。アトランタから逃れてきたのだ。汝、引きかえすことなかれ。「西が最高である」からだ。二年の放浪の後、今度は最後で最大の冒険となる。心のなかで偽りの人生を否定する決戦に勝利して、精神の遍歴に終止符をうつのだ。(後略)

彼は、トレイルの奥に打ち捨てられたバスにこう落書きし、「土地があたえてくれるものを食べて生活する」という冒険をするために、数ヶ月間一人でバスに寝起きし、狩猟採集の生活をした。そしておそらくはつまらないミスを犯し、命を落とした。

一方、上温湯さんは『サハラに死す』のなかで、「お前」とサハラを擬人化しこんな文章を残している。

お前は、その仲間の太陽を使者とし、五十度を越す光線で、この肉体の水分を奪おうとした。あるとき、冷たい風を使い、三十分しか眠れぬ夜で、俺を包んだ。砂、砂そして砂。足を棒にさせ、砂丘で行く手をはばみ、砂嵐は目をふさいだ。
…正直にお前に語ろう。恐怖におおわれた闇、お前の体に抱かれていた夜に、何度”死”という言葉が脳裏で舞ったか。
…『冒険とは可能性への信仰である』
こうつぶやき、俺は、汝を征服する、必ず貴様を征服する! それが貴様に対する、俺の全存在を賭けた愛と友情だ。

上温湯さんはこう宣言し、一度は挫折した旅を再開させ、やがて遺体で発見された。ラクダに逃げられ渇死したという見方が有力だそうである。

マッカンドレスに関しては、自殺したのではないかという憶測もされたそうだが、著者は証拠を示して否定した。
僕も確信をもって否定できる。このような文章をかく人間は、生きたくて仕方がないのであり、ほんとうに生きたいからこそ、命の危険を冒さざるを得なかったのだ。だから、彼の死は精神の問題ではなく、危機管理の問題だろう。

著者のクラカワーはマッカンドレスの遺体が発見されてから間もなく、<アウトサイド>という雑誌から依頼され青年の変死について取材し記事を書いている。その記事には雑誌創刊以来もっとも多くの手紙が寄せられたそうである。そして、その手紙は青年への賞賛と非難にはっきり分かれていたそうである。「勇気のある高い理想をもった若者」と書かれた手紙がある一方で「向こう見ずな愚か者、変り者、傲慢と愚行によって命を落としたナルシスト」と非難する手紙も多かったそうである。

そうだろうな、と思う。
ただ読んで楽しいだけではないから、自分の人生の土台の部分を突き崩すような話だから、強い共感と激しい非難とに、見方が二分されるのはもっともだろう。

自由よりも安定を志向し、不確定要素を避け、明日が今日と同じ安定した、安心できる日でありたいと願うおそらくは多数派の人は、マッカンドレスの行動をまったく理解できないし、不快にすら感じると思う。
しかしその不快は、安定している現状への、無意識の後ろめたさと同義なのだから、背中合わせの共感とも言える。

平穏に、心安らかに一日一日を暮らせたら、とってもすばらしいこと。
しかしそれは安定にしがみつくのとは違う。
そんなことをしていたら一日はあっと言う間に過ぎ、気がついたら月末、気がついたら年の瀬となり、一日一日を暮らしているとは言えなくなる。
心安らかに、充実した日々を過ごすには、タフでなければならない。
理想に盲従したり、現実にしがみついたりしないためには、やはり強くないといけない。

もし、マッカンドレスや上温湯さんが旅から帰っていたら、その後どんな人生を送ることになったのだろうか。
著者クラカワーは自身のアラスカの未踏の岩壁登攀について書いた稿で、その登攀が「うまくいっていない私の人生を根底から変えてくれるものと思いこんでいた」と述べている。そして何とか登頂したものの、「結局は、ほとんどなにひとつ変わらなかった」とも述べている。

このクラカワーの言葉は、そのまま僕の旅にもあてはまる。
「根底から変えてくれる」と願い旅立ち、戻ってきてから「なにひとつ変わらなかった」ことを発見した。しかし、もちろん無駄だったわけではない。旅の過程には最大限の充実があった。ただ結果がよく分からないだけだ。そしてそれは大した問題ではない。
マッカンドレスや上温湯さんが、もし生きて帰っていたらどんな人生を歩んでいただろうと想像し、今の自分に重ねると、いろいろと考えさせられる。

投稿者 tsuyoshi : 2005年05月13日 01:50

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