2005年07月09日

『モモ』 ミヒャエル・エンデ

どうも忙しい、時間がない。そう感じることが多くなってきた。これは何かおかしいと感じて、もしかして時間どろぼうに時間を盗まれているのではないかとふと思い、『モモ』を再読してみることにした。
たぶん、小学生のときに読んだか読み聞かせてもらったかして以来の再読だ。
「灰色の男」とか「カシオペイア」とか「道路掃除夫ベッポ」とか、単語だけは覚えているけれど、どんなお話かはすっかり忘れていた。

本屋へ行く。児童書のコーナーへ行く。そうしたら『モモ』が岩波少年文庫で平積みされていた。奥付を見ると発行日は2005年6月16日。つい最近文庫本になったばかりだった。だから平積みだったんだ。まるで僕が読むことを待っていたみたいじゃないかと喜んで買い、平日に一章か二章づつ、くたくたになっていたが、時間を盗まれてたまるかと思い読み、週末に一気にまとめて読み、読了。

自分がいま一番欲している物語に、最高のタイミングで出会えた。
とても喉が渇いているときに水を与えられたように、物語が体にごくごくと入ってきた感じだ。とても幸せな読書体験だった。

そして、痛いほど身につまされる話だった。
やはり僕は知らぬ間に灰色の男と契約していたのだ。
僕の時間の花は、灰色の男によって盗まれ、冷凍保存され、乾かされ、葉巻にされ、ぷかぷか吸われていたのだ。なんてこった!

僕は、いらいらせかせかメッセンジャーの仕事をしている時がある。
いくつもの急ぎの荷物を同時に持ち、赤信号でいらいら、内線電話をして呼び出したのになかなか現れなくていらいら、エレベーターがなかなか来なくていらいら。
本当に、一分一秒を節約するうような仕事なのだ。お祭り騒ぎかと思われるぐらい、毎日てんやわんやの忙しさなのだ。どうしてこんなにたくさん急ぎの荷物が発生するのか、僕には見当もつかない。
でもそれが東京に流れている時間なのだ。そして僕は東京に流れている時間を、嫌というほど体感している。この町は灰色の男に盗まれ続けている。僕も盗まれ続けている。

モモと時間の国にいるマイスター・ホラとの会話にこんな場面がある。

「じゃあ灰色の男は、人間じゃないの?」
「いや、人間じゃない。にたすがたをしているだけだ。」
「でもそれじゃ、いったいなんなの?」
「ほんとうはいないはずのものだ。」
「どうしているようになったの?」
「人間が、そういうものの発生をゆるす条件をつくりだしているからだよ。それに乗じて彼らは生まれてきた。そしてこんどは、人間は彼らに支配させるすきまであたえている。それだけで、灰色の男たちはうまうまと支配権をにぎれるようになれるのだ。」

つまり、灰色の男は、梅雨の時期にカビを発生させてしまうようなものかもしれない。「発生をゆるす条件」を与えているから発生してしまう。本当に身につまされる。

今回『モモ』を読んでみて、もっとも印象に残った箇所は、モモが時間の国で、マイスター・ホラに連れられて自分の心のなかの時間の場所へ行った場面だ。
黒い鏡のような池の上を、ゆっくりと星の振り子が揺れ、その度に花が池の中から咲き、すぐにしおれて池に戻るという場面。どの花も、これこそ一番うつくしいと思える花だということ。そんな花が、振り子が行きつ戻りつする度に、咲いては散ってゆく光景。そして丸天井から射しこむ光と、そこで聞こえている音楽、声、ことば。

モモはふとこんな気がしました。——この鳴りひびく光こそが、どれとして同じもののないあの類いないうつくしい花のひとつひとつを、くらい水底から呼びだして形をあたえているのではないでしょうか。

毎回、二度とないうつくしさを感じさせる花。そういう花が咲いては散り、また咲いては散っているのが、「時間」なのだという。
ぼくはこの、新しく咲く花がいつもいつも、これこそ一番美しいと感じるという感覚を、旅の途中のある時期、夕日を見ることで経験していました。(この紀行文の初めの方を参照してください)
言うなれば、僕は毎日二度とないほど美しい夕日に見とれながら、自分の時間の花が咲いては散る光景を見ていたのだとも言えます。
そして、そう言えば僕のホームページの題は「花もて語れ」でした。

花がないと、言葉がなくなる。言葉がないと、僕はとても困ってしまう。
だから僕は、『モモ』読み終えてから、強く強く思ったのです。
もう時間の花を盗まれるようなすきを与えないぞ!っと。
本当に、いま読むべくして読んだ本でした。

投稿者 tsuyoshi : 2005年07月09日 05:21

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コメント

本郷さん、こんにちは。

ここ数日、「時間」というものの大事さを痛感している、ひぐらしです。
「モモ」は未読ですが、「時間泥棒」という言葉は知っていました。
「発生をゆるす条件」というのは、たしかに耳が痛いですよね。
私も時間を奪われないよう、気を引き締めていきたいです。

本郷さんのサイトの件、今日私の記事で紹介しました。
事後報告ですみません。

投稿者 ひぐらし : 2005年07月10日 12:46

ひどく不安になってしまいました。
私には、モモは読めません。
どうすれば時間を盗まれないで生きていけるのか、、、わからない。

投稿者 negi : 2005年07月11日 12:53

ぜひ、『モモ』を読んでください。
なぜ、だれからも時間を盗める時間どろぼうが、モモからは盗めなかったのか。今読んでいる本に答えが書いてありました。エンデへのインタビューの本です。

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そうして五年が過ぎて、ある朝、朝食のテーブルで思いついたのです。単純なことなんです。時間が盗めるのは、時間を節約してためる人だけからなのですね。時間を節約してためない少女からは盗む時間がない。盗むものがないんです。
(『ものがたりの余白』より)
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つまり、時間を大事にしてはいけない、節約してはいけない、たっぷり、思う存分使うのがいい、ということみたいです。

なにしろエンデは「なぜ、だれからも時間を盗める時間どろぼうが、モモからは盗めないのか」ということを解決するために5年もかけたのです。惜しみなく時間を使っているエンデからも、時間は盗めないでしょう。

投稿者 tsuyoshi : 2005年07月12日 00:12

はっとしました。
時間のこと。
東京にいると本当に急がなくてはいけません。
何でだろう?と考えてみて
おいてけぼりになるのが怖くなるからかな。
と思いました。

そんな社会にひずみがでてきてるような気がしてなりません。
時々こわれそうになりますよ。

ちなみに私は
掃除夫のベッポおじさんが「一歩一歩ひとつ前をみて掃除をするんだ。ずっと前はみちゃいけないよ。」って言葉が一番しみました。

投稿者 みの : 2005年07月12日 01:59

こんばんはー。
「おいてけぼりになるのが怖くなるから」ってそうだよなーと思いました。赤信号だとホントはわかっていながら、みんなで渡るようなものかもしれないです。
「まあいいや僕は。おいてけぼりで」ってあきらめられたらいいのかもしれません。

ベッポおじさんのことば、自転車で旅してるとき、何度も思い出してました。日本まであと何キロ?なんて考えると絶望するだけなので、今日だけ、次の町までだけ、この国だけって思って漕いでました。

ともかく、『モモ』はこどもにだけ読ませとくにはもったいなさすぎる。忙しいおとなこそ読むべき本だと思います。でも、忙しいおとなは本なんて読んでる暇さえないのかな…。

投稿者 tsuyoshi : 2005年07月13日 20:00

はじめまして。現在の日本の危機的状況を考えると、掃除夫べッポのこの含蓄ある言葉を日本国民全員にかみしめて欲しいと切に思います。そしてモモのような心を持つ人が一人でも増えて欲しいですね。

投稿者 magnoria : 2006年10月18日 20:46

magnoriaさんはじめまして。
『モモ』はほんとうにすばらしい本ですよね。
よく、「こんなに昔に書かれた物語なのに、いまでも色褪せない」というのが、かつて書かれた小説などへの賛辞になるのですが、『モモ』の場合は、色褪せないどころか、時間が経つにつれてますます色鮮やかになっていくような気がします。
それはきっと、ますます『モモ』という物語が必要とされる社会になってしまっているということでもあり、『モモ』を愛する者にとっては皮肉な状況だなぁと思ったりします。
コメントありがとうございました。


投稿者 tsuyoshi : 2006年10月23日 14:46

ご返事ありがとうございました。tsuyoshiさんの言葉は私にとってとても共鳴する部分が多いです。御実家は浜松だそうで、私は掛川なので同じ静岡県人ですね(^^)。でもまだまだ根無し草。ブログこれからも愉しみにしています。

投稿者 magnoria : 2006年10月24日 19:03