2005年07月16日
待ちながら読む本
もうすこしで午前三時。
これから眠り、起きて、夕方には結果が出る。
それまで僕は待つだけだ。
本を読むか寝るかしながら待とう。
最近僕は読書欲がけっこうある。
週に二冊ぐらいのペースで読んでいる。
それに、以前ならばハードカバーの単行本を買うのにはそれなりに躊躇したのだが、この頃はあっさり買ってしまう。本に対しては財布のひもがとても緩くなっている。いいことだ。やっぱり本は身銭を切って買わないとね。
今日は『ものがたりの余白』ミヒャエル・エンデを読み終えた。エンデが物語を書くことや芸術について述べている箇所がとてもよかった。やはり作家は書くことについて述べるだけで、それが人生論になると思った。同様に、木工職人が家具を作ることについて、農夫が作物を作ることについて、野球選手がバットを振ることについて述べれば、それがそのまま、聞く人にとって、人生論になる。(…というような内容のエッセイを保坂和志さんがどこかに書いていた。)
夜、カフェで『ものがたりの余白』を読み終えてから、次は何を読もうかと考えた。今の状況にぴったりの次に読むべき本は何かを考えるのは、僕のほとんど自動的に行うような癖みたいなものだ。
そして、サミュエル・ベケットの『ゴドーを待ちながら』がピッタリだと思い当たり、本屋に行き、買う。ずっと読みたい本リストにあった本である。いわゆる不条理演劇の傑作と言われる戯曲である。ベケットはノーベル賞をとっているらしい。
なんとなく内容は知っていた。エストラゴンとウラジミールという二人が、田舎道で「ああだこうだ」と話しながら、「ゴドー」を「待っている」という話し。
なんとなく、「待っている」という言葉に反応し、これは今読むしかないと思い、買ったのである。
いま、半分ほど読んだのだが、まさにそういう話しである。「ああだこうだ」と二人は話しながら、とにかくゴドーを待っている。ゴドーが何者なのかはよく分からない。Godとゴドーをかけるのがひとつの解釈らしい。ともかく、不条理だということはよく分かる。つまり、よく分からない。
僕はゴドーは待っていないけれど、結果が出るのは待っている。『ゴドーを待ちながら』を読みながら待つのも悪くはないだろうという、ささやかな遊びをしつつ、もうすこし待とう。ほんとうにもう少しなのだから。
投稿者 tsuyoshi : 2005年07月16日 01:50
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