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2005年10月25日

回転するイメージ

先日、旅で出会った友人の個展に行ってきました。そこで僕はなかなか感慨深い想いにかられていました。
もし僕が彼女とカルカッタで出会っていなかったら、そして僕が彼女に恋をしなかったら、間違いなくこの個展は開かれていなかったのだなと思ったのです。さらに言うなら、カルカッタで出会ったあと韓国まで、長い距離を彼女に会いに走っていなかったら、この個展は開かれていなかったのです。あの時の夢中で走った距離と期間を少しだけ思い出して、あの走りがこのように形を変えたのだなと思い、恋自体はうまくいかなかったけれど、本当に予想もつかない形で縁は続いていくのだなと思いました。

旅の紀行文の第三章は全部このカルカッタ以後の出来事が書かれています。自分で言うのもなんだけれども、完成度はとても高いと思っています。この文章を書き終えれたからこそ、今回の彼女の個展に行けたし、特別気負うこともなく彼女と再会できました。いまはやっと、最もいい距離を見つけられたなと思っています。

彼女の個展を見てから、その日の夜眠る前の布団の中で、「回転」という言葉が脳裏を離れなくなりました。そして、あの旅を全体で包み込む言葉として「回転するイメージ」がぴったりだなと思いました。タイヤの回転。人の縁の回転。出発地点に戻るという回転。そして祈ることと同義の回転。

僕は無限に思えるような道のりを回転しつつ前進し、前進しつつ始まりの地点に戻りました。常に回転は僕と共にありました。黙々と繰り返すおそろしく地味な行為ですが、淡々とした繰り返しのリズムが好きでした。きっと、地球が常に回転し、季節がいつも巡っているから、ゆっくりと繰り返すリズムは無理がないかもしれません。回転することは祈ることと同じだとチベットで発見してからはもっと好きになりました。

「回転」という言葉は、時々「徒労」という言葉を連想させます。同じことを繰り返し、どこにも辿り着けず、成長できないイメージです。でも、繰り返すことは徒労かもしれないけれど、「美しい徒労」もあるということを、前にある人から教えていただいた言葉から知りました。それはとあるハンセン病患者が書いた本にあったという言葉で、正確な言葉は忘れてしまったのですが、春の満開の桜を見て、「どうせ散る花だけど、なんて美しい徒労なのだろう」と作者が思う場面です。花が咲いては散るような「美しい徒労」という言葉がとても印象に残っています。

僕は、回転をしつづけ、ずっと徒労に徒労を重ねるのだと思います。それが美しいかどうかは自分には分からないと思います。僕はずっと不安定で、回転していないと倒れてしまう独楽のような状態に身を置き続けるのだと思います。そしてそれは同時に「自由」ということでもあります。「旅」という状態でもあります。「不安定」「回転」「旅」「自由」そういう言葉をキーワードとして、僕はどんどん言葉を紡ぎたいのです。

きっと、僕はもっともっと旅をするべきなのです。
僕は長い旅をしたけれど、あれで満足なんかしてはいないのです。
それどころか、もっと長い旅、死ぬまでずっとの旅をしたいのです。
旅とは、もちろん航空券を買って外国に行くことだけを意味しません。
旅とはきっと、回転することなのです。回転数が減ると倒れてしまうから、もっともっと回転する。それはきっとぐらぐらする大変な日々なのですが、そういう状態に自分を突き放し、そういう状態からの言葉を僕は欲しているのです。そういう言葉をずっと書いていきたいのです。

ときどき、ノンフィクション作家になりたいのか、小説家になりたいのかと聞かれることがあります。それで僕はなんだかよく分からなくなります。ただ僕はちゃんとした言葉、嘘のない言葉を書きたいだけなのです。フィクションかノンフィクションかは、書き始めるときに予感として抱く程度でいいと思います。あるいは書き終えてから決めてもいい。

僕はいまクライミングに夢中なのですが、あれなんかまさにわざわざ不安定な岩壁に取り付いて、必死でバランスをとる行為で、ある意味濃密で瞬間的な旅です。僕はこれからゲレンデやジムでのフリークライミングをたくさんし、自分でプロテクション(中間支点)を設置するクラッククライミングもたくさんし、目指すはフリーもできるアルパインクライマーです。あらゆる想定外の厳しい状況でも生きられるアルパインクライマーになりたいです。

自転車で旅をするのも、沢登りをするのも、クライミングをするのも、ぜんぶ言葉探しです。言葉になり切らない、名前を与えられていない言葉以前の衝動/予感があり、だからこんなに必死であの手この手でのたうち回っているのです。僕は、27才になっても定職に就かず、就く気もなく、アルバイトをしつつ風呂なしのアパートに住み、言葉言葉と言っている、社会的に見れば眉をひそめられる存在かもしれません。「社会の役に立つこと」は何一つしていないし、「社会的に責任のある仕事」も全然していません。ただクライミングがしたくて、ただ沢に行き美しいものに接したく、ただそこから本当の言葉を見つけたいと思っているだけです。部分ではなく、感覚の全域で生きたいと思っているだけです。

僕はもしかしたらすごい遠回りをしているのかもしれません。でも、遅ければ遅い程贅沢なことだとも思えます。だからこのままがんばっていけると思います。僕はずっと回転しています。これまでも、これからも。

投稿者 tsuyoshi : 2005年10月25日 22:46

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コメント

そういうミサキ君はとっても素敵だと思いますよ。
私なんてやろうにもできない事も沢山あるし、
ミサキ君のような人生ってとってもうらやましく
さえ感じます。うまくはいえないけれど。

投稿者 すわん : 2005年10月26日 22:58

すわんさんこんばんは。
僕にはものすごく素敵で羨ましいと思える人が3人います。
開高健さん、星野道夫さん、山野井泰史さんです。
ぼくにとってのヒーローです。彼らの影響をもろに受け、僕の人生はこんな感じになってます。


投稿者 tsuyoshi : 2005年10月27日 03:34

sweet!
as hell!

投稿者 刺身 : 2006年01月01日 21:02