2005年11月19日
クライミングの楽しさについて
自分の掌や指の腹をしげしげと眺め、いいぞと思う。このところ自然の岩を登ってばかりなので、わずかだが指の皮が厚くなっている。だんだんとクライマーっぽい手になってきている。それがこの上なく嬉しいのだ。
先週は木金と小川山、土曜日は三ツ峠でクライミングをした。今週は今日(金曜日)に御岳でボルダリングをした。明日明後日も御岳に行けたら行きたい。
先々週はじめて小川山に行ったときは、指が痛くてたまらなかった。小川山の岩質は花崗岩なのだが、花崗岩は結晶が荒く、フリクションは抜群なのだが、その分結晶が指に食い込み、激痛なのである。皮が薄いものだからすぐに指から血が出て登れなくなってしまった。
でも二度目の小川山はだいぶ指の皮が厚くなっており、初回ほど痛くはなかった。そして今日行った御岳では、チャートというわりと指にやさしい岩質でもあるのだが、指の痛さはさほど問題にならなかった。
クライミングも上達していると思う。劇的な上達はないが、毎回ほんの少しだけ限界を押し上げるクライミングができている。
最近はボルダリングに専念している。リードクライミングをやっても難しい課題は核心部でボルダームーブが出てきて、それができないのである。全然ボルダリング力が足りないのである。だから、しばらくボルダリングに専念し、核心部をこなせるだけの力をつけたいのである。
クライミングをしているとき、核心部で「永遠の数秒間」を経験できることがある。頭は真っ白で知らぬ間に腹から声が漏れており、限界ぎりぎりでホールドをつかんで登る数秒間。それはちょっと考えられないぐらい濃密で、計量不可能な時間だ。そうして登り切り岩の上に立ったときは、これまたプライスレスで比較不可能なぐらい絶対的に嬉しい。
核心部につっこむ前はありったけの勇気が必要になる。何かをきっぱりと諦めるような種類の勇気だ。そうして自分の限界を出し、その結果限界を押し上げられたらもう至福としか言いようがない。
クライミングって不思議だと思う。
絶対にやってみないと分からない種類の楽しさだし、ある種の感受性がないとやっても分からない種類の楽しさだと思う。そしてやっている者は最大の喜びを全て独占しているので、社会的な見返りなど見向きもしない。ただ岩や石にかじりつくだけの他愛もない遊びなのだが、人生の舵取りを大幅にそちらに向けてもいいとすら感じられるからすごい。
投稿者 tsuyoshi : 2005年11月19日 03:13
トラックバック
このエントリーのトラックバックURL:
http://hanamote.com/cgi/mt/mt-tb.cgi/72
