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2006年01月24日

メッセンジャーを終える

そうとう気を張っていたらしく、アパートに着いたらバタンと倒れる様に寝てしまいました。そして真夜中に起きました。その間見た夢がメッセンジャーバッグの中に配り忘れた書類が入ったままなのを発見して青ざめるという、嬉しくないものでした。起きてから思わずバッグの中を確認してしまいました。

仕方のないことなのだと思います。何か慣れ親しんだ環境から離れるときは、どうしても「何か忘れ物をしている」という感覚が拭い切れないものです。旅をしていたときの、仲良くなった人と別れるとき、長居した町を離れるとき、国境を越えるときのあの感覚を思い出しました。拭い切れないわだかまりも丸ごと抱えたままもう次へと進むしかありません。

今日は最後の日でした。そしてなぜかかなりスムーズに走れました。やればできるじゃないかと思いました。これぐらいの走りを毎日コンスタントにできていればもう少し優秀なメッセンジャーになれたのだと思いました。業務中はものすごく集中しているので「今日が最後」という意識がどれほどあったかは分かりません。でもやはり今日はきっと、特別集中していたのだと思います。そして、「一日一日、最善を尽くす」ということの難しさを知りました。これが最後の日に学んだことです。かなり強く意識していなければできないことなのだと思いました。

一年間、得難い経験をしました。
東京の中心部の地図ができました。例えば事務所のある西麻布から大手町まで走ったときに、どんな光景でどんな起伏なのか、左右に何というビルがあり何という会社がありどんな表情の人たちが働いているのか、生々しいまでにありありと分かります。濃密な体験が染み込んだ東京の地図ができました。その地図を得た状態で、日本から喜望峰までの距離を思い描き、途中にある山脈や砂漠や都市や人々を思い出し、二つの地図を重ね合わせると、世界の広がりの途方もなさを感じられます。

東京に流れている時間を知ることができました。ピックアップしたときに深々と頭を下げられ「どうか○○時までにお願いします!」と懇願するように言われたり、届けたときに走って出てきてひったくる様に荷物を受け取っていったりしたことがありました。東京のビジネスの最前線に流れている時間を知ることができました。この分秒を争う時間の流れている社会を知ったことは、自分にとってかなり強い異文化体験でした。東京が、何もかもを飲み込んでいく、旧約聖書にでてくる多頭竜の怪物リヴァイアサンに思えることもしばしばでした。そして僕は怪物の一滴の血になり、怪物の体内を巡っていました。

そんな想像がつらく感じられるとき、ぼくはよくチベットで見たヤクを追うおばさんの光景を思い出してバランスをとっていました。チベットの見渡す限り荒野また荒野を走っていたとき、谷を挟んで反対側に点のように小さく見えた光景です。百頭あまりのヤクとヤクを追っているおばさんのゆっくりとした様と背後にひろがる空間の広大さを、そのとき僕は惚けたように見続けたのですが、これは本当に「使い道のある風景」でした。

ただ殺人的に忙しいだけだったら、それは心を亡くした最悪な社会だと思うだけです。しかし、殺人的な忙しさのなかには、カーニバルのような活気がありました。他の会社はよく分からないけれど、少なくとも僕が働いていた会社の心臓部、メッセンジャーに無線で指示を出す部屋(ディスパッチャールーム)は、まるでバブル期の東京証券取引所のような活気です。あるいは朝の市場のセリのようでもあります。感動的なまでの活気で、最前線の趣きがあり、生き生きと働いているさまを見るたびにかっこいいなーと思っていました。心を亡くしていないどころか、その活気に圧倒されるような忙しさがそこにはありました。

僕には「忙しいのはよくない」という図式がありました。でも、現場に接することでそのような思い込みはあっさりと崩れていきました。そんな単純であるわけがありません。
体験しないと分からないことが多いけれど、体験するとますます分からなくなることがあります。しかし、分かりやすく白黒をつけることは実は大切ではないのだと思います。大切なのは、グレーゾーンの無限段階のグラデーションを知り、混乱し、その混乱に思考停止することなくつきあい続けることなのだと思います。それが僕の仕事なのだと思います。もとより僕がジャッジなどできるわけがありません。ぼくにできることは見ること、体験することです。そしてそれを嘘なく言葉にすることです。

一年前に思い悩んだ末にメッセンジャーを選んだことは大成功でした。
それは地図ができた、時間を知れたからだけではありません。多くのメッセンジャーと一緒に走れたからです。天候が過酷であればあるほど、異常なまでに高いテンションの無線が入り、それにつられてどうにか走っていました。ベテランメッセンジャーの、洗練され尽くした動きで「メッセンジャー」というアイデンティティに誇りを持って走っている様に惚れ惚れしていました。そして得難い友人にも出会えました。

だけどもう次の一手は決まっています。次も状況に応じた最善と思われる一手です。だからメッセンジャーはおしまいです。若干見切り発車ですが、もうサイは投げられました。

投稿者 tsuyoshi : 03:39 | コメント (10) | トラックバック

2006年01月22日

最終稿にとりかかる

明日はメッセンジャーとして東京を走る最後の日です。
12月上旬に決めたことなのですが、明日でメッセンジャーを辞めます。ちょうど一年間メッセンジャーをしたことになります。当初は半年はやろうと思っていたのだから、倍の時間やったことになります。辞めた後、しばらくは執筆に専念します。

開高賞に応募するために書き上げた原稿があり、書き上げてからある程度時間が経ってから読み返すと、あまりにも推敲の余地がありすぎるように感じ、かねがねこのままでは出版したくないと思っており、書き直す機会を伺っていたのですが、そろそろいいだろうと思えてきたので、メッセンジャーを辞めて推敲に専念することにしました。
処女作の特徴は締め切りがないことです。だから、納得できるまで推敲ができます。あるいは、際限なく推敲ができてしまいます。
自分の体験を文章にする場合、その体験が生々しいうちに言葉にしてしまうことは大切です。だから帰国直後のまだ旅の余韻が残っているうちに第一稿(ホームページの載せている文章)を書きました。それから作品としてまとめるために冗長な部分を削ったのが第二稿(開高賞に応募した文章)です。第一稿は原稿用紙750枚ぐらい。第二稿は450枚ぐらい。そしてこれから第三稿、最終稿にとりかかります。分量は400枚弱ぐらいを予定しています。

もう旅をしていた時間よりも長い時間が帰国してから経っています。だから自分の体験も、ある程度客観的に見ることができます。そういう客観的な視点であのときの出来事を捉え直すと、もっと的確な言葉が見つけられるのではないかと思います。体験を寝かせたのちにもう一度客観視することは、体験をより深い次元で捉え直すことでもあります。あの時はまだ体験が熱を持ちすぎていて強引な言葉にせざるを得なかったような出来事も、いまなら的確に言葉にできるのではないかと思っています。

もちろんこのようなことが程度問題なのは承知しています。生々しい未熟なままの強い言葉から、客観的で醒めた的確な言葉までグラデーションするように色々な段階があります。しかし、いまなら生々しさを残しつつ的確な言葉にするということが可能なのではないかとも思えます。それは、第一稿、第二稿を書いているからであり、それ以前に旅の途中に詳細な日記を残しているからです。私が私や私が過去に書いた文章などを取材して書くような文章、そのような「私」の絶妙な立ち位置を見つけられれば、作品としての完成度も高まるのではないかと思います。
そして、そういう立ち位置に立つには、やはり時間が必要でした。自分の体験や自分の書いた言葉からもう一度距離を置くためには、それ相応の時間が必要でした。そしていま、ほんとうにそろそろだなと思えるので、最終稿にとりかかります。短期間で集中するのがいいと思うので、目標は二カ月間、春には脱稿する予定です。収入はゼロになるので、それほど長い期間書いているわけにもいきません。

投稿者 tsuyoshi : 22:31 | コメント (5) | トラックバック