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2006年04月25日

THE EXPOSED of the art

今月の上旬から、ずっと展覧会に出品するための準備をしていたのですが、ようやく完成のメドがたちそうなぐらいに準備できてきました。まだやるべきことはたくさんあるのですが。

展覧会は大阪の、海岸通ギャラリーCASOという場所で開催されます。
先ほどCASOのホームページを見てみたら、詳しい企画の内容がアップされていました。NEWSのところの下の方にあります。概要だけこちらにも書いておきます。お近くの方はぜひ来て下さい。

THE EXPOSED of the art vol.1 PHOTOGRAPHS
  curated by NOBORU TSUBAKI × SHIGEO GOTO
ジ・エクスポーズド・オブ・ジ・アート  vol.1「写真」 
    キュレイテッド バイ 椿昇×後藤繁雄

・会期  5月3日(水・祝)〜5月21日(日) 会期中無休
・時間  11:00〜19:00 (最終日〜17:00)
・会場 海岸通ギャラリーCASO  C・D室
・主催 京都造形芸術大学

他の人たちが、どんな写真をどれぐらい展示するのかは全然知らないですが、僕は、A3ノビサイズの写真を40枚弱展示します。壁から離れると、全部が見渡せるように展示する予定です。

このような展示は、実は一年前に大学の卒業制作展でやりました。あのときの展示を踏まえ、テーマをもっと発展させるようなものにするつもりです。
今回は、「連結された光景たち」という基準で新たに選び直しました。旅で撮った写真を全部見直して、以前のセレクトに何枚か加え、何枚か落としました。
全部の写真を見渡す位置に立つと、かなりのバリエーションのある写真になるはずです。アフリカとユーラシアの、様々な光景たちです。しかしそれらはすべて、一人の人間の、具体的な身体行為でつなげられた光景たちです。自転車により連結された光景だということが、すべての写真の通奏低音になっています。

一つの写真は、その時々の自分の立ち位置や旅した時の視点であり、そして背後にはプライベートな物語があります。しかしすべてを見渡す位置に立つと、個々の光景の中にあるプライベートな物語は遠ざかり、旅を全体で一つとして俯瞰するような、言わば“身体化された世界地図”を見るような経験になると思います。だから、できることなら、もちろん一つ一つの写真も見て欲しいですが、一気に全てを見渡すようにも見てほしいなと思っています。旅の途上で目にした、様々な光景と視線と物語のオーケストレーションのようになったらいいなと思っています。すべての写真を連結させるために、言わば指揮者の役割を担ってもらうために、旅で使った自転車のフレームも展示する予定です。
個展ではないので、残念だけれど僕はあまり会場にはいないと思います。初日である3日(水)は他の作品も見たいので会場やラウンジなどにいると思いますが。

そのかわりというわけではないのですが、実は15日から20日に、縁あってもう一つの展示を京都でやることになりました。京都造形芸術大学のカフェテリアにあるブースのような場所で、ちいさな展示をします。これは旅のスナップ写真を展示する予定です。セルフタイマーで撮った「青年荒野を目指すの図」のような、はずかしいくらいベタベタなチャリ旅写真を展示する予定です。
こちらはなるべく会場にいるようにするつもりです。まだ企画段階ですが、とにかく15日から20日にやることは決定しています。詳しく決まったらまたお知らせします。

というわけでこのところ、わりとてんてこ舞いなすばらしい日々になっています。わくわくそわそわしています。

投稿者 tsuyoshi : 01:07 | トラックバック

2006年04月20日

写真展めぐりふたたび

新宿に用があったついでに、またいくつか写真展めぐりをしてきました。写真展は無料のところがほとんどなので、気楽に見に行けます。
その中で、いいなと思ったのがふたつありました。

新宿ニコンサロンの春日広隆展「存在と時間
草むらとか、砂漠の部分とか、岩山とか、木とか、そういう自然物を切り取っているだけなのだが、すごい存在感だった。おそらく中判か大判カメラで撮ったものをスキャンし、デジタル出力しているのだろうが、もう、草の一本まで、砂の一粒までも分かるぐらいに高詳細にプリントされていた。この「高詳細」というのがこの作品の核心だった。ひとつひとつの作品に、息を止め顔をぎりぎりまで近づけて見入ってしまう作品だった。ミクロの、細部の、極小単位が集まって、一つの木や草や岩山になっていることがありありと感じられ、じーっと見ていたら頭がくらくらした。細部へ細部へという方向から立ち現れる質感が圧倒的だった。このくらくら感は、オリジナルプリントでないと十分には感じられないと思った。苦しくなるぐらい見るものに緊張を与える作品だった。撮った後、膨大な手間と暇をかけて、ものすごいこだわりを持ってプリントしたのだろうということがありありと感じられた。かなり好きな写真だった。

コニカミノルタプラザの森弓月写真展 「花天
夕暮れにフラッシュで空を背景に花を撮った作品。フラッシュをたいてスローシャッターにしているのだと思う。なんだか、本当の花でできた花火のようで不思議だった。上記の写真が大人の本気の作品だったのに対して、こちらは若く溌剌とした印象で、見ていて緊張はしない。むしろ、きっと楽しんであれこれと花を空を組み合わせたんだろうなということが想像できて、見る側も楽しくなる。こういう写真も好きだ。

ところで、今日新宿の雑踏を歩いていたら、たくさんの人がいて、それでつくづく、こんなにたくさんの人の中でも、出会えるのはごくわずかな人たちに過ぎないのだなと思った。みんな色々なことを想っていて、きっと話したら楽しそうなひともたくさんいるだろうに。こういうことは程度の差こそあれいつも感じることなのだけど、今日は特に強く感じた。たぶん、写真展を見て、みんないろんな情熱と労力を、いろいろな方法で費やしているんだなと思ったからだと思う。

投稿者 tsuyoshi : 02:59 | トラックバック

2006年04月13日

写真展を見て回る

昨日は、いろいろと写真展を見て回りました。展示方法の参考にしようと思ったのです。
オリンパスギャラリー、フォトグラファーズギャラリー、コニカミノルタプラザ、新宿ニコンサロン、ペンタックスフォーラム、エプサイト、と見て回り、くたくたになりました。東京ってほんとうにたくさんの展覧会が開かれているんですね。(東京の展覧会情報は東京アートビートなどで調べると便利です。)
見て回った中で印象に残ったものが三つありました。

・オリンパスギャラリーの「中村征夫・卓哉親子水中写真
中村征夫さんの水中写真は、いろいろな雑誌でみたことがあるけれど、やはりプリントしたものでみるととても迫力があった。熱帯魚の強い原色の発色は、生のプリントならではだった。

・新宿ニコンサロンの権徹写真展「ブルーオーシャン
白黒の歌舞伎町のスナップ写真。いろんな人が、いろんな姿態を繰り広げている。ひとつひとつじっくり見た。見終わってから「ブルーオーシャン」という題名についてもう一度考えてみて、いいものを見させてもらったなと思った。

エプサイトの上田義彦写真展「at Home」
家族を撮ったスナップ。妻のお腹が大きくなり、女の子の赤ちゃんがうまれて、成長して、また妻のお腹が大きくなって、また女の子が生まれて…、という写真が、150枚ぐらい淡々と並べられているのだけど、すごくよかった。一枚一枚のうしろにあるたくさんの物語を想像するのが楽しかった。赤ちゃんが生まれる度に、また女の子だというのが楽しかった。広くて、古そうな家と、どんどん成長していく子供と、夫の妻を撮る視線。美しくて、とても私的な物語だった。家族を持つってこういう感じなのかなと、普段思いもしないことをちらと思った。
白黒写真が、ファインアート紙(きめの細かい画用紙のようなもの)にプリントされているのが、とても良かった。ファインアート紙にプリントすると、写真というより、なんだか版画のような質感なのだ。インクジェットならではの質感だった。

やはり、実際に足を運ぶと、いろいろと発見があります。
いまいちかなと思いつつ一応見てみたのが、ものすごく良かったりします。
面倒がらずに、これからもいろいろとアンテナを広げようと思いました。

投稿者 tsuyoshi : 00:38 | トラックバック

2006年04月10日

出展の準備

最近は、来月の3日から大阪の海岸通ギャラリーCASOで開催される展覧会に出展することになったので、その準備に没頭しています。
数年前、大学の卒業制作展に出展したのですが、そのときにアーティストの方が来ていて、すこしお話をして、そのときはそれだけだったのですが、すこしまえに突然展覧会の出展のお誘いが来て、出展することになったのです。
今回の展覧会は、写真展です。若手の写真家、アーティストなどが十数人出展するそうです。写真家でもアーティストでもない僕が呼ばれたのは、展覧会のテーマが「The Exposed」というもので、「暴露」「むき出しにされたもの」という意味で、つまりは写真表現として、アートであるとはどういうことかを問う展覧会だからです。旅の写真を数十枚展示する予定です。
いわゆる白い壁に、ライトアップされた作品が展示されるような展覧会ではなく、キュレーターがアーティストの方だから、もっと過剰な、展覧会自体が一つの作品になるような演出がされるようです。そして出展者はその過剰な演出により「Expose」されるようです。詳しくはまだ僕もよく分からないのですが。

写真でも小説でも現代芸術でも、どんな表現分野でも、写真家や小説家やアーティストになりたくてなるものではなくて、ただ、自分にとって自然であり、かつ切実であることを、しぶとくやり続けていたら、いつのまにか社会から「写真家」だとか「アーティスト」だとか「小説家」だとか言われているものではないか、と思います。そしてそういう社会のカテゴライズを引き受けつつ、さらに壊し、再構築していく行為を、名付けられた人は背負っていくのかもしれません。

僕は少なくともそういう筋道を辿っている表現者たちが好きです。なんというか、ほんものだなって思うのです。狭くカテゴライズされた領域に自分を押し込めるのが目的な表現者ではなく、裸の衝動を中心に据える誠実さと潔さを感じます。そしてそういう何とも名付けられない、カテゴライズし切れない行為の中から、何か新しいものが生まれてくるのではないかとも思います。大切なことは、批判精神を持ちつつ、自分にとって自然であり切実であることを、しぶとく、かつ、しなやかに続けることではないかと思います。こうやって言葉で言うのは簡単なのですが。

ちゃんとした展覧会に出展するのは(卒業制作展を別にすれば)はじめての経験で、不安なのですが、結局僕にできることは、あと20日間あまり最善を尽くすだけです。こういう機会があると、いろいろと考えるきっかけになり、とても嬉しいです。もう少し詳しく展覧会の内容が分かってきたらまたお知らせします。

投稿者 tsuyoshi : 18:56 | トラックバック