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2006年05月28日

グレーディングのアナロジー

久しぶりに友人を誘い、クライミングジムへ行った。
ブランクがあったのですぐに腕が張ってしまった。でもぎゅっとホールドを掴み、体を持ち上げることは、やはりそれだけで純粋に楽しい。

ひとくちにクライミングといってもいろいろあり、今回ぼくがやったのは、クライミングというジャンルのなかの「ボルダリング」というもの。ボルダリングは高さ3、4mぐらいの壁、ボルダー(岩、大石)を、ロープを付けないで登ること。ロープを付けない非常にシンプルなクライミングだ。

ボルダリングには課題ごとに10級から六段まで、難易度が付けられている。

10級から5級 : 初級者
4級から1級 : 中級者
初段以上 : 上級者  

ぐらいではないかと僕は思っているだが、こういうのは感覚的なものなので個人差があると思う。1級から上級者かもしれないし、4級でも初級者かもしれない。

僕は調子がいいときは3級の課題が登れるけれど、いまだに2級がのぼれたことはない。4級/3級あたりをうろうろとしているので、中級ボルダラーなのだと思う。初心者ではないと思うが、決して上級者ではない。初心者にあれこれアドバイスはできるけれど、ぼくより上手い人はいくらでもいる。
で、今回はボルダリングをしながら、グレーディングについてあれこれ考えさせられたのだった。

たぶん、中級レベルまでは、好きであれば誰だって到達できると思う。ときどき夢中になり、ときどきブランクが空いたりしながらも、続けてさえいれば、才能などまったく関係なく到達できるレベルだと思う。

でも、初段はそういう態度では登れないと思う。よっぽどセンスのある人は別だが、凡人が初段を登ろうと思うのなら、人生のある時期において全面投資をすることを要求されると思う。夢中になり、没頭し、それがすべてだという生活を送ることを要求されるのだと思う。そして、二段、三段、四段…となっていくと、“人生のある時期”では済まされなくなっていくのだと思う。

ボルダリングについてこのようにあれこれ考えながら、これは他のどのようなことにも当てはまるなと思っていた。そして僕には、中級レベルでうろうろしている事柄がたくさんあるなと思った。

今月は写真展を二度もやったけれど、僕にとって写真はいまだに3級だ。最近は全然撮っていないので4級かもしれない。
沢登りは、去年に10回も行き、ようやく2/3級ぐらいになったなという感触があった。でも初段レベルにはまだほど遠い。
メッセンジャーはぎりぎり4級だろうか。もう辞めてから時間が経っているので5級かもしれない。
料理は好きだし、美味しいと言ってくれる人もいるので、4級ということにする。
読書は、わりと深く、真剣に読んでいるので、1/2級ぐらいかもしれない。
中学のころに卓球部でがんばっていたので、卓球はいまだって3級だという自負がある。
英語は、日常英会話程度なので、4級かな? 
水泳は、このまえ有段者のごうくんにクロールを教えてもらったので、7級。いままではちゃんとクロールができなかったのだ。

このようにグレーディングするときのポイントは、あくまでも自己採点だということだ。他人と比べてどうこうというより、自分を客観視することの方が大切だ。

そして、ぼくの今までの人生のなかで、初段以上だと胸を張れる事柄は何なのだろうと考え、やはり「自転車旅」だと思った。人生のある時期に、全面展開し、全面投資し、魅了され、没頭したのだから、初段でもいいと思う。もしかしたら二段でもいいかもしれない。
それから「書くこと」。これは、本当は初段や二段だと言いたいのだが、まだ一つも「作品」と言えるものを完成させていないので、ちょっときついかな?
それから、恋愛。これは、えーと、全面展開全面投資の時期があったから、世界最難の六段と言いたいけれど、それはたぶん気のせいで、せいぜい6級でしょう。まだ初心者です。なかなか上達できません。でも、恋愛における「上達」ってなんなのだろう?

ボルダリングのグレーディングからのアナロジーで、あれこれと考えていたら、思いの外考えさせられました。
ものすごく好きで、かつ、全面投資し、理性的な計算を無視して取り組まないと初段にはなれない、ということ。そして初段以上を目指すのなら、さらに人生をどんどん投資していくことになる、ということ。でもやはり、初段以上の事柄が人生に深みをもたらすのではないか、ということ。“愛は惜しみなく奪う”なんてことばがあるけれど、そのとおりだなぁと思ったりしました。でも、中級レベルの事柄がたくさんあると、人生に広がりがうまれるなとも思いました。いろいろと、考えさせられます。


(3級の課題を登る僕。結局登れなかった。3級だって大変なんです)

投稿者 tsuyoshi : 21:56 | トラックバック

2006年05月22日

「喜望峰からの回帰録」 展示の様子

投稿者 tsuyoshi : 01:11 | コメント (4) | トラックバック

「THE EXPOSED」 展示の様子

投稿者 tsuyoshi : 00:35 | トラックバック

2006年05月12日

喜望峰からの回帰録

京都に来ています。
京都造形芸術大学で、15日から始まる小さな展示の設営をしています。
大学のカフェテリアの一画にある「地球回廊」というブースで、旅の写真を展示します。
CASOで展示されているものは、自分が写っていないものがほとんどなのですが、こちらはぼくが旅している写真ばかりです。

「地球回廊」のブースにはむちゃくちゃハイテクな「触れる地球」という地球儀があり、そこに旅のルートが書かれ、ルート上のいくつかのポイントにポインターを当てると、プロジェクターでそこの場所の写真が壁に写し出されることになる、ハズ。まだちゃんと機能するかは、分からない。
そしてそれとは別に、紙にプリントした写真をブースの壁に展示します。小さめの写真をちりばめて、カジュアルな展示にするつもりです。

投稿者 tsuyoshi : 03:10 | コメント (6) | トラックバック

偶然という触媒

今日はほんとうにいいことがありました。とある人にお会いしたのです。
同じ大学だという縁で、新宿で待ち合わせて会い、カフェで話していたら、なんと高校も同じであることが判明しました。しかも、学年も一緒。
彼の名前にまったく憶えがなく、彼も僕の名前に全然憶えがなかったけれど、片っ端から高校時代の友達の名前を挙げていったら、何人かヒットしました。それで裏が取れて、ものすごく不思議な気がしました。

なぜ不思議かというと、話していると彼の言葉にとても共感できるからです。
いままでずっと同じ学年の同じ高校、大学で、これほど微妙なニュアンスに共感できるにも関わらず、よく今まで会わなかったなと、それが不思議でした。きっと高校や大学の学食とか、廊下とかで、すぐとなりにいたことも何度もあったはずです。でもたぶんそのときはまだ会う時期ではなかったのでしょう。高校を卒業してから10年ぐらい経ち、僕も彼も、それぞれにぜんぜん違うことをあれこれと経験し、その中で自分の中にある種の軸を形成していったからこそ、このタイミングで会え、共感するものがあったのだと思いました。「このタイミングで」ということが、一番不思議で、かつ重要だと思いました。

もし彼と違う高校、違う大学だったとしても、共感することにはまったく変わらないと思います。でも、こういう偶然の一致は、その触媒のようになると思いました。先日新宿を歩いていて、これだけ人がいるのに出会えるひとはごくわずかだと思っていたことが、見事な伏線になりました。僕はたくさんの人と出会いたいとはそれほど思いません。そんなにたくさんでなくていいから、共感できる人と出会いたいと思っているのです。

黙々と深い森の登山道を上っていたら、尾根の中腹で突如視界が開けたような、思いがけない出来事でした。これから彼と何度も会い、そこから様々に広がっていくものもあるだろうなという予感がひしひしと感じられました。不安になりながらも黙々と歩き続けていて、ほんとうに良かったなと思いました。

投稿者 tsuyoshi : 01:27 | コメント (2) | トラックバック

2006年05月07日

自分を開いていく、訓練

自分にとって「次」とはなにか、しきりに考え続けている。
たぶんもう考えすぎるぐらいだと思う。

なにか、祈りに似たとても強くもどかしい想いがあり、それになかなか形を与えられず、とても歯がゆい。
何でもいい、とにかく実際にアウトプットしてみること。
そうもおもい、いろいろやってみても、なにか今一つ満足しない。きっと自分の実力が決定的に不足しているのだと思う。そのことが分かっただけでもよしとしなければ。そう言い聞かせても、やはり心はざわつく。ただ恥をかいただけなのではないか、と。そう思ってしまうと、とても苦しい。

このようなざわつきは、「次」へと向かわせる力になる。もう一山も二山も、体験の山を越えなければならないと痛感する。自分の無力さが、なにかとても悔しいのだ。
自分のなかの、とても強いもどかしさを持て余し、「自分」などというものを表現しようとすることにうんざりしている。でも、世界は自分のフィルターを通してしか見渡せない。

いま読んでいるエッセイに、こんな言葉があった。

不思議な静けさに満ちていて、それでいて開かれている。

向こう側に、自分を開いていく、訓練。
(『ぐるりのこと』梨木香歩)

著者がイギリスの断崖近くをトレッキングしているときに、すれちがった人が言ったことばと、断崖の近くで瞑想していた人が、瞑想を終えて著者と話したときに言ったことば。

「自分」の域から出ることは、死ぬまで叶わないのだから、この自分のままやっていくしかない。しかしそれでも、向こう側に、自分を開いていくことは、意識すればできるのではないか、そういう行為からなにか自分が成長していくきっかけをつかめるのではないか。それは村上春樹さんの言葉でいえば、自分の井戸を掘り続け、普遍の水脈にたどり着く、ということなのかもしれない。
「自分」の域内で共感を求める言葉ではなく、向こう側へと、自分を開いていくような言葉、そういう流動する言葉が、言葉のつらなりを作品にするのではないか。

焦るのがいちばんいけないのだろう。焦ると、安易な結果を求めてしまう。そしてそういう結果には、とうてい満足できない。だれが、どれだけ評価しても、しなくても。

深く、考え続けること。そして、自分を体験へと駆り立てること。
忘れかけていた少年の夢のような心躍る体験をひたすら求め、一方で、静かに自分を開いていくこと。
そういう地点に立つことからしか、言葉はつむげないのではないか。

投稿者 tsuyoshi : 01:59 | トラックバック

2006年05月06日

ナトリウムランプ

ナトリウムランプで照らされた写真は、カラーがすべて白黒になっていた。
そうなることは知っていたが、苦労して一枚一枚プリントしたので、やはり軽いショックを受けた。

たとえて言うならば、大好きな女の子とのデートの前に、せっかくいろいろな店をさがして服を用意したり髪を切ったりしたのに、当日いきなり裸にされ、丸坊主にされたようなものだ。かなり乱暴な展覧会ではある。教訓は、服を探す時間を、腹筋を鍛える時間にあてるべきだったということか??

作品には題名もなく、キャプションもない。作者名は床に石灰で書かれており、時間が経つと踏まれて消えてしまう。そしてナトリウムランプにより色もない。こんなに悪条件の展覧会はちょっとない。この悪条件に作品が持ちこたえられるか、というのが一つの意図なのだろう。

展覧会の意図は「生々しさ」「ラディカル」「はじまりの芸術」「暴露」などというあたりにあるのだろうが、現代アートが、「アートであるとはどういうことか」を問うたり、「ラディカル」を宣言したりすることは、考えてみれば、かなり当たり前のことだと思った。
それはある新聞が「ジャーナリスト宣言!」などという広告をするのと同じようなもので、新聞はそもそもジャーナリズムであり、現代アートはそもそもラディカルなものである。
だから、出展しておきながら言うのもなんだけれど、いま僕は軽く違和感も覚えている。
たぶん、「ラディカル」という言葉が「過激」と「根源的」との二方向にあるあたりで、違和感を感じるのだと思う。

うるさいもの、刺激が強いものは、僕にはノイズが多すぎて耳を澄ませられない。
僕は、静かで、力強いものがラディカルであり根源的だと感じる。ほんとうのことは耳をすまして、ごくささやかな声を敏感に察知するような姿勢で聞き取れるのだと思う。そして、そのような根源的な言葉は、一見とても些細でこわれやすいけれど、ほんとうはとても過激なのだ。

展覧会の意図には、共感できるところも多々あるけれど、当然批判したい部分も多々ある。でも、そういうストレスや違和感を感じさせることが、そもそもの展覧会の意図なのだろう。出展する側にとっても、見る側にとっても、けっこうキツい展覧会ではある。

投稿者 tsuyoshi : 04:16 | トラックバック

2006年05月02日

展覧会がはじまる

CASOでの展覧会の設営が終わりました。明日から21日まで開催です。
参加することが決まってからずーっと不安だったので、やっと形になり、すごくほっとしているというのが正直な感想です。参加者の方々ともあれこれ話せて刺激を受けました。
とくにこの展覧会に誘っていただいた、椿昇さんと表現や芸術について議論するように話せたのが今回の最大の収穫でした。これから僕がどのように表現するということに向き合っていくか、いろいろといい刺激を受けました。
椿さんは、横浜トリエンナーレでビルに張り付く巨大なバッタを出現させた方で、今回はキュレーターであると同時に、ずーっとロウソクの炎を撮っただけという映像などを出品されていて、ロウソク好きの僕としてはかなり興奮する作品でした。

会場は、ナトリウムランプ(トンネルの中のオレンジ色の光)で照らされ、かなりストレスのある空間になるはずです。僕は会場にナトリウムランプが灯る前に帰ったので、作品がどのように見えるのかはまだ知りません。明日昼頃に会場にいって、どうなっているか見てから東京に帰ろうと思います。15日から20日まで京都造形芸術大学でちいさな展示をするので、あと一週間ぐらいまたせっせとプリント作業に没頭です。

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投稿者 tsuyoshi : 23:49 | トラックバック