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2006年06月15日
矛盾につきあい続ける強さ
最近は、午前中は執筆、午後はクライミング、ジョギング、水泳、読書、映画、写真展、美術館鑑賞、人と会う、エッセイを書くなどにあてている。
しばしばリズムは崩れるのだけれど、おおむねこの通りになっている。
だけど、今日は散々だった。
ずうっと頭が痛く、吐いて、何が原因かもよく分からなかった。
だから、一日中何もできなかった。ずっと横になっていた。読んだり書いたりなど論外だった。今はようやく落ち着いている。
横になってひどい頭痛に苦しみながら、くり返し思い出されたのは、昨晩DVDで観たドキュメンタリー映画「Littlt Birds -イラク 戦火の家族たち-」のいくつかの場面だった。
クラスター爆弾の破片が少女の目に入り、それを取り除く手術をしたあと、ベッドで目がさめた少女が頭が痛いといっていた。父親は娘の手を握り、頭痛薬をもらってこよう、それで大丈夫だと少女をなぐさめていた。
普段は寡黙そうな老人が、病院のベッドで、爆撃で亡くなった子供を目にし、突如発狂するような声をあげて自分の頭を何度も叩き、祈るようにうずくまっていた。
小学生ぐらいの子供が、腹に流れ弾が当たり、病院で摘出手術を受けていた。「痛くしないで」と泣き叫んでいた。
そういう、無数にあった痛い場面がくり返し思い出されていた。
実はこの映画は、一年ほど前に映画館で観た。新宿のK'sシネマという映画館で見たのだが、映画館を出た後世界が一変して見えた。友人と一緒に見たのだが、観終わったあと一切なにも話せなくなってしまった。あらゆる感情が沸騰し、混乱し、文字通り言葉を失っていた。
今回もう一度見ようと思ったのは、先週の土曜日と日曜日に別のドキュメンタリー映画と写真を見たからだ。
土曜日に「ガーダ/パレスチナの詩」をみた。ガーダというパレスチナ人の女性を12年間に渡って撮り続けたドキュメンタリー映画だった。監督は古居みずえさんという女性の方なのだが、女性でしか撮れないような映像も多く、取材対象に本当に深く関わらないと撮れない映像ばかりだった。
映画を観た後、監督とフォトジャーナリストの広河隆一さんとのトークショーがあった。古居さんも広河さんも、いわゆる”ジャーナリスト”の独善的な押し付けがましさがまったくなく、むしろ話し方は静かでおだやかだった。リラックスし淡々と話すのだが、そのおだやかさは、矛盾する現場にずっと付き合い続けてきたことと無関係ではないのだろうなと思った。
日曜日には新宿のコニカミノルタプラザに行き、「地球の上に生きる2006 DAYS JAPANフォトジャーナリズム写真展」を見に行った。広河隆一さんが編集長をする雑誌『DAYS JAPAN』主催による写真展で、世界中のフォトジャーナリストからの報告を一同に会したものだった。
言うまでもなく、直視するのがつらいものばかりだった。まともに見てしまうと心がもたないものばかりだった。日本で安全に暮らしているものにとって、一番知りたくない現実、もっとも知らないふりをしたい写真ばかりだった。なぜなら、世界中からのどの報告も、直接、間接的に自分たちの生活と関わりがあるということを本当は僕たちは知っているからだ。ただ遠くの国の過酷な情況を伝えている写真ではないということ、遠因の一部を自分たちの生活が図らずも担ってしまっているということ。そういうことを知りたいわけがない。でも、「知らなかった」で済むわけもない。
ただ、いまでも不思議なのは、重たいテーマを扱ったものばかりなのだが、そこに美しさが感じられたことだ。悲惨な情況の写真に美しさを感じてしまうのはどこか後ろめたいのだが、やはり深い美しさを感じていた。
ジェイムズ・ナクトウェイ氏の、ベッドに横になるエイズ患者の上で、窓から風が入りカーテンがふくらんでいる写真。テル・クワヤマ氏の、パキスタン大地震の被災者の女性たちが不安そうに遠くを見ている写真など、ただ悲惨な瞬間を写しただけではない、優しさのような視点があり、それが美しく感じられたのかもしれない。重く、残酷な情況の中での優しさのようなもの。どこかラファエロやミケランジェロの宗教画のような美しさがあった。
写真展は三部構成になっているのだが、第三部は残酷な情況ではなく、すみずみまで安心して見れるものだった。アンドリュー・テスタ氏の「海の民モケン族」の写真が美しく、誇りを持って生きている姿にすくわれる気がした。
会場を出て、新宿の町を歩いていると、小さな会場で女性アイドルグループが鼻にかかった声で歌い、手を振っていて、それに合わせて男たちも手を振っていて、さっきまで見ていた情況とのコントラストに目眩がした。その後、ニコンプラザ、ペンタックスフォーラム、エプサイトといつもの写真展めぐりをし、いくつかとても素敵なものもあったのだが、なんとなく「アート」なものや「旅日記」のようなものをみると、「だからなんなんだ」と思ってしまい、素直に見れなかった。そのように一時的にだけ”ジャーナリスティック”になっていることは恥ずべきことだと思ったが、怒りや悲しさや無力感で頭が真っ白になっていた。
二日続けて重たい作品ばかりで、相当参っていたが、せっかく集中的にドキュメンタリーに接しているのだからどうせならとことんと思い、やはり「Little Birds」をもう一度見ようと思い、写真展を観た帰りにDVDをレンタルした。でもすぐには見れずに、昨晩見た。
もう今は頭痛も吐き気もまったくない。ただの風邪だったのかもしれない。
でも、久しぶりに「痛さ」というものを味わったのは事実だった。
痛くないときは痛さがどういうものか、ほんとうに忘れてしまう。
ましてや他人の痛みなど、すぐに忘れてしまう。
どこかで鈍感にならないと心が保たない現実に生きているのは事実で、でも鈍感になってしまうと間違いなく、下品で、偉そうで、嫌な奴になるのだろう。鈍感になることなく矛盾につきあい続けられるような強さが欲しいと思った。
投稿者 tsuyoshi : 2006年06月15日 17:58
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コメント
心が麻痺してしまわないように生きたいけど、常に矛盾を意識しながら、現実に向き合うには相当の強さと優しさが必要な気がします。
投稿者 ぶんたん : 2006年06月16日 11:39
ぶんたんさん、コメントありがとうございます。
やはり、鈍くならないように、時々は研ぐことが必要なのだろうなとおもいました。いろいろないいものを見るとかして。
投稿者 tsuyoshi : 2006年06月17日 08:43
体調はいかがでしょうか?
私も同じ日に新宿の写真展に行きました。
去年に引き続き二回目です。
「一枚の写真が国家を動かすこともある」
この言葉に象徴されるように情熱みなぎる写真展だったと思います。
「こんな苦しい事知らなくてもいいじゃん。」と思ったりもします。そう言われたりもします。
でもそこで目を背けたら負けのような気がする。苦くても堅くても不味くても何とか咀嚼して身にしていきたいと私は思うのです。
「矛盾に付き合う」という言葉と同意になるのかは解りませんが、このような写真展に行くたびにそう思うのです。
投稿者 bun : 2006年06月17日 22:02
bunさんこんばんは。
一時的な偏頭痛でしたが、いまはすっかり良くなりました。
同じ日に同じ写真展に来られていたのですね!
僕は2時からあった朝日新聞記者の伊藤さんのトークショーを聞いていたのですが、同じ時間にいらしたのでしょうか?
苦しい写真を見ながら、とにかく見ることだけはできると思っていました。そのジャーナリストの視点から撮られた現実なのだと自覚し、その現実を知ることだけはできると思いました。そしてきっと、見たものが無意識の層にまで降り積もっていくと、それら降り積もったものたちが、ゆっくりと舵を切っていくのだろうと思いました。
投稿者 tsuyoshi : 2006年06月18日 00:53
写真展の前に用事があり、それが長引いてトークショーには間に合いませんでした。行った時は丁度お話が終わって会場が混沌としている時でした。もしかしたら本郷さんとお会いしていたのかもしれませんね。少し不思議ですが、必然のような気もします。
自分の中に積もった因子達がいずれ豊饒の海へと誘ってくれると私は信じたい。
投稿者 bun : 2006年06月19日 21:06
トークショーが終わってからしばらくは写真を見ていたので、同じ時間に同じ場所にいましたね。いいですねそういうのって。でもそういうことって、気づいていないだけでわりと起こっているんでしょうね。
最近は貪欲にいろいろな場所に足を運んでいます。しばらくはそうするつもりです。せっかく東京にいるのだからメリットを存分に生かしたいです。
投稿者 tsuyoshi : 2006年06月21日 02:33
東京近辺はいろいろやっているから是非いってみるといいですよね。
ご存知かもしれないですが、東京都写真美術館で今、報道写真展をしていますよ。
気になります。
投稿者 bun : 2006年06月22日 12:03
ちょっとがんばってアンテナの感度を良くすると、いかにたくさんの催し物をやってるかがわかり、困るぐらいになっちゃいます。写真美術館の報道写真展も気になってます。同時開催している映画や他の写真展も面白そうです。
気になったら、いまはそういう時期なのだと腹を決め、おっくうな気持ちを振り解いて行くようにしてます。感度を高めることは生命線だなって思います。行けば、絶対になにか感じることがあります。肯定的だったら嬉しいけれど、批判的に感じることでも得るものはたくさんあります。
投稿者 tsuyoshi : 2006年06月23日 07:02
