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2006年10月29日

二つの方針について、パワーズ、ハルキについて

読書を(あるいは言葉を)心と生活の中心に据えようと思ったのはいいけれど、すぐさま問題になったのは、何を読むか、でした。
時間もお金も限られている。そして、読みたい本はありすぎる。そして、一冊ずつ、ゆっくり読もうと思っている。となると、読む本は厳選しないといけないのです。

そしていろいろ考えたのだけど、
・今までとても好きだと思ってきた作家をさらに読み込む
・その作家からつながっていく未知の作家を読む
という二つの方針をとるようにしようと思いました。これは、今までの読書の仕方と同じなのですが、それを意識的にしようと思ったのです。

こう思う背景には、以前『若い読者のための短編小説案内』(文春文庫)で村上春樹さんが
「今ここにある自分の偏った読書傾向、教養体験をそのままのかたちで保持し、より深く追求していくことによって、その結果小説家としての自分がいったいどのような地点に行き着くのか、それが知りたかった」
と書いてるのを読んで、共感したからです。

過去の名作とよばれている作品は、きっとどれも素晴らしいのだとおもうけれど、縁がないとなかなか読めません。歴史的な評価は高いけれど、あまり興味が湧かない作家は、まだ読む時期ではないのでしょう。虚栄心ではなく、本当によみたいなという時期が来たら読もう。

…などと、自問しながら、本屋をうろうろしていたら、『A Wild Haruki Chase 世界は村上春樹をどう読むか』(文藝春秋)という本が目についたので、面白そうだと思い、買って読みました。

これは、世界中から、村上春樹の本の訳者20人以上が一堂に会して開かれたシンポジウムの記録です。一人一人の翻訳者がその国の読者の代表だということを考えると、とんでもない規模のシンポジウムだと思いました。一人の作家が、その物語の力で、世界中の様々な文化にいるひとたちを魅了するということがありありと分かる会議で、なんだかとても素晴らしいなあと思いました。

その中でも特に良かったのが、アメリカの作家リチャード・パワーズの基調講演でした。リチャード・パワーズは以前『ナイン・インタビューズ』という翻訳家柴田元幸さんが英米の作家たちにインタビューした本で知り、いつか読みたいと思っていた作家でした。

そのパワーズの基調講演。
わずか27ページの文章に、2時間ぐらいかけて読んでいました。
カフェで読んでいたのですが、息をするのも忘れるぐらい文字の奥へ奥へと入っていくような体験で、ちょっとあたりを見回したりして本から眼を離さないと怖くなるぐらい集中していました。

パワーズは、脳科学の見地から、「ミラー・ニューロン」を手がかりにて村上文学を読み解くように語っていました。
村上作品を読んだことのある方はよく知っていると思うのですが、彼の小説のなかには、「鏡」「影」「迷宮」「井戸」などの、「あっち側とこっち側」やその境界に関するモチーフが頻出します。僕は村上作品を読んで「ぜんぜん分からないけれど、なぜか深く共感している」という余韻をよく抱きます。その不思議さの秘密をパワーズはその博学で愛情に満ちた語り口で教えてくれて、ああ本当にそうだなあと思い、読みながら、脳の中の神経細胞がぐんぐん繋がっていくのを感じました。脳がオーバーフローしてしまうぐらい深く感じ入っていたので、すごくジーンとして読み終えました。
パワーズの講演は、作者への深い共感に満ちたものだったから、どんなに分析的な語り口であろうと、強く伝わるものがありました。

この本は、パワーズの基調講演はすごくよかったけれど、村上作品に魅了されていない学者が社会分析をするように解説する部分は、「けっ」と思って読み飛ばしました。翻訳者の話は作品に対する愛情に満ちていてとても面白かったのだけれど。

『若い読者のための短編小説案内』で村上さんは
「気に入った本について、思いを同じくする誰かと心ゆくまで語り合えることは、人生のもっとっも大きな喜びのひとつである」
と書いてます。パワーズも翻訳者も、このシンポジウムで、きっとそういう喜びをひしひしと感じていたのだと思います。この本でそのおすそわけをしてもらった気がしました。

というわけで、リチャード・パワーズの本は「読みたい本リスト」の最前列まで移動しました。もっとも最前列は、中国の駅のキップ売り場のようにひしめき合っているので、いつ読めるかは分からないのですが。

投稿者 tsuyoshi : 01:42 | トラックバック

2006年10月28日

『私という小説家の作り方』大江健三郎

ハウツー本のようなタイトルだけれど、第十章の章題になっている「小説家として生き死にすること」がこの本の内容を表していると思う。とても真摯で誠実な自伝として読んだ。

大江健三郎を読むのはこれがはじめて。
たしか高校のころに課題図書かなにかで『個人的な体験』を読もうとしたけれど、はじめの数ページで挫折した覚えがある。文字がぎちぎちに詰まっていて、もうそれだけで頭に来てしまった。でも今回は読めた。そのなかにこんな言葉があった。

読書には時期がある。本とジャストミートするためには、時を待たねばならないことがしばしばある。しかしそれ以前の、若い時の記憶に引っかかりめいたものをきざむだけの、三振あるいはファウルを打つような読み方にもムダということはないものなのだ。

この『私という小説家の作り方』も、じつは数年まえに三振し、ずっと本棚に眠っていたもの。でも今回はなんとか出塁できたようだ。
彼の投げたどんな球が僕のバットにあたったか、何箇所か引用してみる。

私はいつも緊急避難の小さな船が港に入るように、人生の時の嵐を避けて、これら詩人のもとに身をひそめたのだ


すでに小説はバルザックやドストエフスキーといった偉大な作家によって豊かに書かれているのに、なぜ自分が書くのか? 同じように生真面目に思い悩んでいる若者がいま私に問いかけるとしよう。私は、こう反問して、かれを励まそうとするのではないかと思う。すでに数えきれないほど偉大な人間が生きたのに、なおきみは生きようとするではないか?


耳を澄まし、眼を見開くようにして、そこをみたしている沈黙と測りあう言葉を探す自分、というところに立ち戻る

こういう言葉が、いまの僕のバットの芯の部分にあたる。ここ以外にも、線を引きページの端を折った箇所がずいぶんたくさんあった。

高校時代に、たった数ページ読んだだけで、「文字がぎっしり詰まっているから」という理由で挫折した大江さんの本。
でも、球を投げる側が、生き死にを全部込めたようなボールを投げているのだということを知ると、ああちゃんと打席に立たないとと思った。そして、彼の小説も読んでみたいと思った。

投稿者 tsuyoshi : 04:45 | トラックバック

2006年10月27日

急坂はじまる

ひとつ前の文章に、なにか一般論のような書き方で初対面の方と話したあとのことを書いたけれど、あれは間違った書き方だった。あれは「その人」と話したあとに感じたこととして書くべきで、一般論のように書くべきではなかった。
なぜこんなことをいちいち書くかと言うと、あのあとから急坂が始まったからなのだ。

平坦な道をだらだら漕ぎながら惰眠をむさぼり、適当に本を読み飛ばし、生活のリズムもめちゃくちゃで、長い長い待機の時間の中で、手探りだけはずっと続けながら、焦燥と嫌悪にくたくたになっていたのだが、やっと手が何かに触れたのかもしれない。「気づき」があったことは確かだ。本当に追いつめられなければ重い腰は上がらないのだなあと、いま思っている。

具体的には、「本を、一冊ずつ、もっと丁寧に読んでいく」ということ。
趣味の域を越えて、言葉に深く関わる仕事をしていきたいと、思い定めているわりには、ぼくの読書経験は浅すぎるとずっと思っていた。
尊敬する作家たちはみな、10代のころの読書経験がとてつもない。でも僕は本を読むことが生きる糧になってきたのは20代の前半からで、しかもいろいろな作家に魅了されてはきたが、限定的な読書だった。10代はまったくと言っていいほど本を読んでいない。どちらかというといままでずっと、読書よりも山とか旅に深く心を奪われてきた。

20代の前半に開高健の『夏の闇』を読んでから本に(というより開高健に)魅了された。それからしばらくして宮沢賢治、星野道夫、村上春樹、梨木香歩、谷川俊太郎などに魅了され、それなしでは生きられないぐらい深くそれらの作家の言葉を必要としてきた。
でも、やはり浅いのだと思う。読んだ本の冊数などではなく、ただそう感じるだ。上記した作家の自伝やエッセイを読むと、その10代前半からの圧倒的な読書経験の深さと広さにたじろいでしまう。

いいものを書きたいと思うのなら、いい本をもっとちゃんと読む必要があると、本当に思ったのだ。もう15年ぐらい早く気づけたらよかったのだけど、それはまあ仕方がない。いまから一冊ずつ、気迫を込めて、読んでいる時間は自分の全部を没入させるように読むしかない。そのように、もう待ったなしの状況に追い込まれていると思ったのだ。(やっとそのように思い込めたのだ)

そういう具体的な急坂がはじまり、いまはせっせと登っているところ。
いままで時間は叩き売りしたいほど有り余っていたけど、いまは寝る間も惜しいと思うから不思議だ。
心に誓っているのは、数を読もうとしないということ。
読むべき一冊を、ゆっくり、丁寧に読む。
きっとそうやって読むことが、結果的には数にもつながっていくはず。
(でも、読み始めてみて浅い本だと気づいたら、ギヤを切り替えて一気に読んでしまおう。)

それから、人と会い、展覧会へ行き、映画をみて、山などに行くということも、「出会う」という本質は変わらないから続ける。ただ、時間は限られているから、全部を満遍なくはむりだ。

人と会うときも、できるのなら、全存在でそのひとの前にいれたらいいなと思う。でも、相手も自分も肩こったりしないでそういうふうにいられるのは、なかなかむつかしいことだ。

投稿者 tsuyoshi : 07:28 | トラックバック

2006年10月23日

伝わらなさをこそ

先日もそうだったのだが、ときおり初対面の方と話す機会がある。
そして、話しているうちに何か共振するものがあるとそれがどんどん増幅されていき、ひじょうに得難い時間を過ごせたなと思いながら別れる。

でも、それが得難いかけがえのない時間であればあるほど、なにか後で、ざらざらとした違和感のようなものが残るように思う。のどの奥に小骨が刺さって取れないような、擦りむいたひざがだんだん痛みを帯びてくるような、地団駄を踏みたくなるようなもどかしさが残ってしまう。

伝え切れていない、あるいは決定的な誤解を抱かせたまま伝わっているというような思い。そしてその誤解は、おそらくもう一度会って誤解だと説明しても訂正しきれない深い領域での、もはや誤解という言葉では回収しきれないものだと思う。

仕方がないと思いながらも、とても残念なことだと思っていた。
しかし今日、脳科学者茂木健一郎さんのクオリア日記にこのように書かれているのを読み、何か目が見開かれるように感じた。


この世界で生きていく上で最も
大切なことのひとつは、お互いに容易に
理解し合えない、しかしそれぞれが
固有の豊饒を抱いた世界の間で引き裂かれる
ことを体験することではないか。

 そのようにして、初めて世界の中に
並列する不可視で多様なものたちの豊かさに
感謝する気持ち、簡単には見ることのできない
他者を思いやる心が生じる。

 一つの世界の中での安住よりは、
引き裂かれてありたい。

 そのようにして、初めて魂の運動が始まり、
気付きの時も訪れる。


深く会話をするということは、もしかしたら引き裂かれてあるということを確認することなのかもしれない。もしかしたら伝わらなさをこそ確認しあうのかもしれない。

伝わらなさを想うときぼくはよく、
広い海の真ん中で、小舟に乗っているというイメージを抱く。
その小舟は一人乗りだから、もう一人乗り込むことはできない。
友人たちは波間から見え隠れしている。
ときおり、捕った魚と海草を交換できるぐらい近くに来れたりもするけれど、
潮流にながされて視界から消えてしまうこともある。
そして潮流の偶然の采配で、この広大な海のなかで、新しい人と出会ったりもする。

そんなイメージを、いつからか育てていたように思う。
それは言い換えれば、「個」であることを引き受けるレッスンをしているということだろう。そして、このようなことを直感的に共有できる人とは、縁あって出会えたときに得難い時間を過ごせるように思う。

投稿者 tsuyoshi : 19:54 | コメント (2) | トラックバック

映画「フラガール」

たぶん、事前にこの映画を知っていたとしても、自ら「フラガール」を見に行こうとまでは思わなかったと思う。
昨日代官山で友人と一緒にある人と会い、その帰りに渋谷で友人に「フラガール」を観ようと誘われ、まあついでだしと渋々ながらも映画館へ行ったのだ。

そして結論から言うと、すごくよかった。
誘われなければ出会う機会のなかったであろう作品は、いままでだって数多くある。そして考えてみれば、そうやって誰かに誘われて出会った作品が時に、ぐっと視野を押し広げてくれることが多い。持つべきは、趣味の微妙に違った友人なのかもしれない。


この映画がベタな作品であることは一目瞭然である。
水戸黄門が最後に印籠を出すのとおなじぐらい、予定調和な映画だと思う。
たまたま映画の上映後に李監督のトークがあったのだけれど、監督も同じようなことを言っていた。そして、「ベタな映画で、分かり切ったストーリーだけれど、それを飽きさせずに最後まで見せるのは、ここは声を大にして言いたいのだけれど、じつは結構大変なんです」とも言っていた。

李監督は、おちついた、冷静にじっくりモノゴトを考えるような印象の方だった。情熱はあくまでも内に秘め、観客からの質問に一つ一つ考え、ゆっくり淡々と話されていた。自分の作品についても、ちょっと距離を置いたような、まるで自分の作品でないかのようなディタッチメントの態度を維持されていた。
そして僕は、あのようなディタッチメントの態度がこの映画を素晴らしい作品にしているのだろうなぁと感じ入ってしまった。

映画に僕は、始まってから終わるまで、その世界にかっさらわれるように、ぐいぐい引き込まれていった。監督が精緻に考え尽くして編集しているからか、どれだけベタな場面であっても、映画の中から追い出され、飽きたり冷静になってしまうようなことがなかった。これはたぶん、すごいことだ。細部まで隙のない、完成度の高い、すばらしいエンターテイメントだった。舞台の上で、何かが乗り移ったように踊る姿がほんとうに良かった。シンプルで力強いメッセージを持った物語だった。

(以下、映画の内容に触れるので追記へ)


監督は「いくつものフックを仕掛け、観客の感情をかき乱す」ということが分かり切ったストーリーにおいて飽きさせないために重要だとおっしゃってたけれど、本当に天才的なまでに絶妙なフックだった。その数あるフックの中でも、ある一つの場面が頭から離れない。

それは、フラガールになりたい紀美子が「おれかあちゃんみたいな生き方したくねえ!おれの人生おれのもんだ!」と叫んで、かあちゃんに平手打ちを食らい、泣きながら家を出て行こうとする場面。
シリアスで、感動的で、ぼくも涙がこぼれるぎりぎりになっていた。しかし次の瞬間、勇ましく家を飛び出そうとした紀美子が、ずっと正座していたために足がしびれてしまい、ヨタヨタ、ヨタヨタ、と壁伝いによろめきながら歩くのだ。泣く方向に感情をぎりぎりまで高まらせておいて、急に180度方向転換するのだ。これはずるい。感情がかき乱されることはなはだしい。

「笑い」も「涙」も、処理しきれない感情のオーバーフローだということを、茂木健一郎さんの何かの本で読んだことがある。脳がショートし、処理しきれないエネルギーが溢れ出すと、笑ったり泣いたりするのだという。

大泣きしている声などは、前後の文脈なくそこだけ取り出すと大笑いしているように聞こえることがあるけれど、きっと、「オーバーフロー」という意味では同じ現象の双子のようなものだからなのだろうな。

ともかく、ヨタヨタ、ヨタヨタ、と壁伝いに歩く紀美子の姿が、昨日からずっと脳裏から離れてくれない。まんまと監督の仕掛けたフックに釣り上げられてしまった。

投稿者 tsuyoshi : 14:51 | トラックバック

2006年10月17日

単独行で目にする美しさについて

沢登りをしているとたまに、有史以来一度も人間が訪れていないだろうと思われるような場所にいることがある。
ナルミズ沢から山一つ隔てた東黒沢を遡行しているとき、源流部のツメで間違った沢に入り込んでしまった。間違いに気づいて薮漕ぎをしているときに、もしここで何かの拍子に死んでしまったらまず見つからないだろうなと思っていた。

単独行のとき僕は「いま死んだらどういうことになるのだろうか」と考えていることがある。特に、まずだれからも見つからないだろうという場所にいるときによく想像している。自転車旅をしているときも、たとえばチベットの荒野の道を外れた岩陰などに野宿しているときなどに、よく想っていた。単独行をしているときは、程度の差こそあれ常に自分の死を想っている。特別な心境にあってもなくても、想う人がいてもいなくても、危険度が高くても低くても、それほど関係はないと思う。死を想うということは僕にとって、単独行をするということの一部になっている。

僕は、友人と一緒に山に行くのも、一緒に旅をするのも好きだけれど、たぶん単独行が一番好きだと思う。そしてときどき、どうしても単独行をしなくてはいけないと思うときがある。
一人で、ヒトが誰もいない場所へ行くと、精神にこびりついていた贅肉が削ぎ落とされていくように感じることがある。そして、社会的文脈の中で見失いがちな本当に大切なことを思い出させてくれる。
もし僕が死んだら誰が悲しむだろうか、誰はそんなに悲しまないだろうか。死ぬ前に誰かに会えるとしたら、誰に会いたいだろうか。死ぬ前に何かできるとしたら、何をしたいだろうか。そんなことを考えることで、精神の贅肉を落としていくのだと思う。だから、死を想うことと、死にたいと想うことは、一見似ているようだがそのベクトルは逆方向だと思う。

沢登りをしていると、死はそれほど抽象概念ではない。
どんな簡単な沢でもスリップは絶対に許されないという場所はあるし、事故というものはだいたい技術的に難しい箇所ではなく、比較的簡単な場所で起こるものだから。
それが単独行だとさらに、骨折さえ場合によっては致命的になる。だから僕は単独行のときは、臆病なほど慎重に行動している。

しかし、そういう危険を自覚し、それを引き受けた上で目にすることができる光景もある。
単独行のときには、単純に天気の善し悪しだけではない光景の美しさを目にすることがある。物理的には同じであるはずの光景のなかに、単独行でしか目にすることのできない美しさが宿るときがある。そしてそういう光景を目にすると、大好きな女の子と目が合ったときのように胸が詰まり、息ができなくなり、とても嬉しくなる。

投稿者 tsuyoshi : 03:17 | コメント (5) | トラックバック

2006年10月11日

ナルミズ沢へ

これから谷川連峰のナルミズ沢へ行ってきます。
土合駅から東黒沢を詰めてナルミズ沢につなげる予定です。
二泊三日の予定で、単独で。

実は、先週の日曜日にも行ってきました。
しかし、東京は快晴だったのに、沢に辿り着いてみると大雨暴風で、沢は濁流と化していてとても沢登りができるような状態ではなかったので、すごすごと引き返したのです。

今回の沢は「沢登り」というより「沢歩き」と言ってもいいぐらい、技術的にはおそらく簡単だと思います。滝を登るときにロープを出す機会も、たぶんないと思います。今回の沢の目的は、ゆっくり歩き写真を撮ること、焚き火で調理すること、山菜を食料計画に組み込むこと、です。

ではでは、行ってきます。


(13日追記)
無事下山しました。

投稿者 tsuyoshi : 04:20 | コメント (4) | トラックバック

2006年10月10日

『冷血』、映画「カポーティ」

トルーマン・カポーティの小説を読んだのはこれが初めてだった。
映画『カポーティ』がとても面白そうだから、映画を観る前に『冷血』(新潮文庫)を読んだのだ。
昨日『冷血』を読み終え、その余韻の新鮮なうちにと今日映画館へ行き『カポーティ』を観た。

正直、一つの映画を観るための下準備として読むには、『冷血』は分厚すぎる。そして内容が重たすぎる。「天才」と言われているカポーティの文章がどんなものなのだろうかと思って読んだのだが、文章自体はどこまでも客観、正確な描写に徹していて、新聞記事のように乾いていた。文章の断片にはどこにも「天才」はないように思われた。しかし、長い文章を我慢して読み進めていたら、それと分からないうちに水位が上がっていくように、徐々に作品にのめりこんでいった。そして読み終えたときに、最後までストイックに自分を出さないという態度が、この長い長い新聞記事のような文章を「作品」にしているのだと思った。

『冷血』は1959年11月15日にカンザス州ホルカムで実際に起きた一家4人惨殺事件を、カポーティが5年余りかけて取材し書いた作品。
事件自体は、悲劇ではあるけれどありふれたものかもしれない。50年前のアメリカでも、新聞を開けば数週間に一度はこの種の事件が載っていただろうし、現在ではもっと多い。
この作品が数ある文学作品の中でも特別な地位を占めているのは、事件の悲劇性自体ではなく、犯罪者の心理に迫ったことでもなく、カポーティが「ノンフィクション・ノベル」というある意味矛盾を孕んでいるジャンルをストイックに切り開いたからだろう。
それまでジャーナリストと小説家は別種の文章を書いていたが、カポーティがその二者の境界から初めて文章を書いたのだ。そしてその立ち位置は後に「ニュージャーナリズム」と呼ばれ、文学の一つの潮流にまでなった。

「ノンフィクション・ノベル」という新しい試みにカポーティがのめり込み、そして引き裂かれていく過程を描いたのが、映画『カポーティ』だった。この映画は、言わば『冷血』のメイキングストーリーだった。映画には、『冷血』の中で一切書かれなかった作者カポーティの姿が丹念に描かれていた。

カポーティは「ノンフィクション」にこだわった。それは、「ノンフィクション」で書き通さなければ「作品」にならないと確信していたからだろう。
しかし、「ノンフィクション」にこだわるということは、二人の犯人ペリーとヒコックの絞首刑を見届けなければ作品は完成しないということと同義だった。

僕が君を理解できなければ、世の中は君をいつまでも怪物とみなすだろう。
僕はそれを望まない。


たとえて言えば、彼と僕は一緒に育ったが、ある日、彼は家の裏口から出ていき、僕は表玄関から出た。

このように言うほどカポーティは犯人に、とりわけペリーに共感し、共鳴し、幾度となく独房を訪れ心を通わせ友人になる。しかしそんな友人が死刑にならなければ作品は完成しないという袋小路に、いつの間にかカポーティは追いやられていくのだ。

カポーティにとって、ノンフィクションで書くということは、選択の余地もない強制的なことだった。すこしでも「フィクション」が混入してしまうともはや「作品」ではなくなるという信念の正しさは、『冷血』が未だに読まれ続けていることで証明されている。
カポーティは本物の作家だったからこそ、徒刑囚のようにこの作品をノンフィクションで書いたのだ。そしてそれは、本物の作家であることの悲劇でもあった。

被告人ペリーとカポーティが同じように抱えていた孤独で傷つきやすい内面は、どこまでも繊細であるがゆえに、同じように自分自身を滅ぼしてしまった。一人は殺人を犯すことで滅ぼし、もう一人は作品を完成させることで滅ぼしてしまった。カポーティは『冷血』以後、作品を書けなくなったのだ。

作品を完成させるための芸術家の冷酷さ傲慢さというものがよく言われる。しかしそれは、作品の鑑賞者の保身が発する言説だろう。
作家がその存在すべてを賭け、強制に促されて書いたものは、作者自身を救うと同時に取り返しがつかないほど深く損なう場合があるということ。映画『カポーティ』には、そのような作品誕生の裏にある悲劇が描かれていた。

投稿者 tsuyoshi : 19:48 | コメント (2) | トラックバック