2006年10月10日
『冷血』、映画「カポーティ」
トルーマン・カポーティの小説を読んだのはこれが初めてだった。
映画『カポーティ』がとても面白そうだから、映画を観る前に『冷血』(新潮文庫)を読んだのだ。
昨日『冷血』を読み終え、その余韻の新鮮なうちにと今日映画館へ行き『カポーティ』を観た。
正直、一つの映画を観るための下準備として読むには、『冷血』は分厚すぎる。そして内容が重たすぎる。「天才」と言われているカポーティの文章がどんなものなのだろうかと思って読んだのだが、文章自体はどこまでも客観、正確な描写に徹していて、新聞記事のように乾いていた。文章の断片にはどこにも「天才」はないように思われた。しかし、長い文章を我慢して読み進めていたら、それと分からないうちに水位が上がっていくように、徐々に作品にのめりこんでいった。そして読み終えたときに、最後までストイックに自分を出さないという態度が、この長い長い新聞記事のような文章を「作品」にしているのだと思った。
『冷血』は1959年11月15日にカンザス州ホルカムで実際に起きた一家4人惨殺事件を、カポーティが5年余りかけて取材し書いた作品。
事件自体は、悲劇ではあるけれどありふれたものかもしれない。50年前のアメリカでも、新聞を開けば数週間に一度はこの種の事件が載っていただろうし、現在ではもっと多い。
この作品が数ある文学作品の中でも特別な地位を占めているのは、事件の悲劇性自体ではなく、犯罪者の心理に迫ったことでもなく、カポーティが「ノンフィクション・ノベル」というある意味矛盾を孕んでいるジャンルをストイックに切り開いたからだろう。
それまでジャーナリストと小説家は別種の文章を書いていたが、カポーティがその二者の境界から初めて文章を書いたのだ。そしてその立ち位置は後に「ニュージャーナリズム」と呼ばれ、文学の一つの潮流にまでなった。
「ノンフィクション・ノベル」という新しい試みにカポーティがのめり込み、そして引き裂かれていく過程を描いたのが、映画『カポーティ』だった。この映画は、言わば『冷血』のメイキングストーリーだった。映画には、『冷血』の中で一切書かれなかった作者カポーティの姿が丹念に描かれていた。
カポーティは「ノンフィクション」にこだわった。それは、「ノンフィクション」で書き通さなければ「作品」にならないと確信していたからだろう。
しかし、「ノンフィクション」にこだわるということは、二人の犯人ペリーとヒコックの絞首刑を見届けなければ作品は完成しないということと同義だった。
僕が君を理解できなければ、世の中は君をいつまでも怪物とみなすだろう。
僕はそれを望まない。
たとえて言えば、彼と僕は一緒に育ったが、ある日、彼は家の裏口から出ていき、僕は表玄関から出た。
このように言うほどカポーティは犯人に、とりわけペリーに共感し、共鳴し、幾度となく独房を訪れ心を通わせ友人になる。しかしそんな友人が死刑にならなければ作品は完成しないという袋小路に、いつの間にかカポーティは追いやられていくのだ。
カポーティにとって、ノンフィクションで書くということは、選択の余地もない強制的なことだった。すこしでも「フィクション」が混入してしまうともはや「作品」ではなくなるという信念の正しさは、『冷血』が未だに読まれ続けていることで証明されている。
カポーティは本物の作家だったからこそ、徒刑囚のようにこの作品をノンフィクションで書いたのだ。そしてそれは、本物の作家であることの悲劇でもあった。
被告人ペリーとカポーティが同じように抱えていた孤独で傷つきやすい内面は、どこまでも繊細であるがゆえに、同じように自分自身を滅ぼしてしまった。一人は殺人を犯すことで滅ぼし、もう一人は作品を完成させることで滅ぼしてしまった。カポーティは『冷血』以後、作品を書けなくなったのだ。
作品を完成させるための芸術家の冷酷さ傲慢さというものがよく言われる。しかしそれは、作品の鑑賞者の保身が発する言説だろう。
作家がその存在すべてを賭け、強制に促されて書いたものは、作者自身を救うと同時に取り返しがつかないほど深く損なう場合があるということ。映画『カポーティ』には、そのような作品誕生の裏にある悲劇が描かれていた。
投稿者 tsuyoshi : 2006年10月10日 19:48
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「冷血」が40年ぶりに新訳で登場したっちうことで、ワタクシも再チャレンジー。前に読んだことがあったはずなのですが、話をまーったく覚えてなかったちうことは、... [続きを読む]
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コメント
「ウルトラ・バイオレット」のDVDを借りた時、「カポーティ」の紹介映像を見ました。
最初は、このカポーティ役の人、見たことあるな~(ミッション・インポッシブル3の悪役)、その程度の関心しか持っていませんでしたが、見ているうちに「冷血」とはカポーティ自身の事なのではないか・・・と考えていくようになりました。
ぜひ小説を読み、映画館へ足を運んでみようと思います!
投稿者 詩心 : 2007年01月13日 14:08
詩心さんはじめまして。
『冷血』、ぜひ読んでみてください。すごい作品です。
原題は『In Cold Blood』というそうです。
読み終わったあとなぜ『冷血』という題なんだろうと考えてみると
さらに余韻が深まるような気がします。
投稿者 tsuyoshi : 2007年01月14日 00:59
