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2006年11月24日

『憲法九条を世界遺産へ』『日本という国』

なんか、喉が渇いているときに飲んだ水がこれ以上ないぐらいおいしく感じられるのと同じように、このごろ、読む本がことごとくとてもおもしろく感じられ、ごくごくと飲むように読んでいる。きっとものすごく喉が渇いているのだろう。

『憲法九条を世界遺産へ』太田光・中沢新一(集英社新書)と『日本という国』小熊英二(理論社)を読んだ。

旅を終えて大学に復学してからも、ぼくはあまり学ぶことに身を入れていなかったけれど、例外的に面白かった本や授業がいくつかあって、中沢新一さんの本(『カイエ・ソバージュ』等)や小熊先生の授業はその例外。

だから、九条問題を考えたいと思って読んだというよりは、中沢さんの本だからできるだけフォローしていきたいと思って、『憲法九条を世界遺産へ』を読んだのだ。
そんな軽い気持ちで読みはじめたのだが、これがまれにみる白熱した対談で、一気に引き込まれ読了した。九条問題ってこんなに深かったんだ!と驚きだった。

宮沢賢治と日本国憲法、一万年規模の環太平洋の思想の流れと憲法など、ただの法律と政治の話だと思っていた九条問題が、あらゆる領域とつながる全体性の話へとつながっていき、発見の連続だった。
このごろはテレビをほとんど見ないので、爆笑問題の太田さんがテレビでどんな発言をしているのかは知らないけれど、この本を読み一気に好きになってしまった。

『憲法九条を世界遺産に』を読むまえの僕は、九条問題について、はっきりいってそれほど積極的な関心も意見もなかった。
古い時代に作られた法律で、現状と合わなくなってきたから、改憲派はバージョンアップしたがっていて、護憲派はいいものだから守りたいと思ってるのだろうなぐらいの認識だった。

でも、『憲法九条を世界遺産に』を読んだ後は、九条についてどう考えるかという問題が、死刑制度についてどういう態度をとるかということと同じぐらい、自分の人生観、価値観ときわめて密接に関係してくる、もっとも個人的で切実な問題であることがよく分かった。

九条問題は、理想を抱きつづけ、矛盾を抱えつづけるか、ということだった。
そしてまた、悪について、内面にある闇についてのどう捉えるのか、ということだった。

戦争はしない、軍隊はもたない、そうはっきり憲法に盛り込むことは、無邪気なまでの理想主義だ。そんな無邪気な理想を憲法にして掲げることは、普通は出来ないことだけれど、どういうわけか敗戦時に、偶然といっていいぐらい奇跡的に成立した。こんな理想、本当に実現できた国はいままでないし、これから先あるかも分からない。

だから、九条を変えようとするということは、「現実に合わせる」ということで、「バージョンアップ」というのではニュアンスが違ってくる。九条はすでに窮極の理想を語っていて、あれ以上の「バージョンアップ」はありえないからだ。

国家という共同体の擬人化がどれぐらい有効なのかは分からないけれど、理想と現実とのギャップは、自分の人生を見つめれば、きっと誰にだって切実な問題だと思う。

若く無邪気な時期に、なにかのきっかけで「宇宙飛行士になる」「プロ野球選手になる」などと理想を掲げても、ある時期に現実の厳しさに直面し、とてもじゃないけどやっていけないと追いつめられるのが普通だ。そんなときでも、どうにかして「解釈」でしのぎつづけられるか、なのだろう。

理想を掲げるということは、同時に矛盾を抱えるということでもある。
その矛盾を抱えつづける覇気がまだ自分の中にあるのか、もう本当にとてもじゃないけどこれではやっていけないのか。
自分の人生に関して言えば、内心びくびくしながらも、まだやっていけると断言しちゃうけれど、九条についての態度は、これから長い時間をかけて鍛え上げていかねばならないなと思った。


それで、僕は日本の歴史について、基本的なことすら何も知らないと思い、『日本という国』を読んだ。
この本は「歴史」という漢字に「れきし」とルビがふってあるぐらい低年齢の読者を意識した本。これぐらいが分かりやすくていい。(理論社の「よりみちパン!セ」シリーズの中の一冊)

著者の小熊先生は、僕が行ってた大学で先生をしていた人。
僕は彼の授業をかなり熱心に授業を聞いていた。カリスマ性がある先生で、毎回ポイントだけを箇条書きしたA3の紙を一枚配り、パワーポイントも使わず、視聴覚資料も使わず、板書もほとんどせず、ずっと座って淡々と話すだけというスタイルのストイックな授業だったが、三百人ぐらい入る広い教室はいつも満員だった。

『日本という国』は、考える土台となる基礎知識をわかりやすく解説してくれる本。
知らなければ、考えることすらできないのだから、基礎知識をきっちり知るということは大切だ。さくっと読めたけれど、必要最小限をバランスよくという感じで、いい復習になった。

小熊先生は、常にモノゴトを外から醒めた目でみているという印象がある。
日本という国のナショナリティなど、ナイーブな問題を専門としている先生だからなのかもしれない。

九条問題などナイーブで感情的になりやすい問題を考える時はきっと、小熊先生ぐらい醒めた目で見ることを忘れないようにしないと、ただの感情的な水掛け論になってしまう危険がある。
お笑い芸人が観客が爆笑しているなか表情一つ変えないのと同じように、自分を客観視すること、自分からちょっと外にでてしまうということ。ニュートラルな場所に自分を置くということ。思考停止することなく考え続け、表現し続けていくための態度として、とても大切なことだと思った。

投稿者 tsuyoshi : 10:25 | トラックバック

2006年11月23日

『さよなら、サイレント・ネイビー』

本屋で目にした瞬間に、「これは読もう」と思う本がたまにあるけれど、この本がそうだった。
第4回開高健ノンフィクション賞受賞作『さよなら、サイレント・ネイビー

実はこの賞の第3回に僕の書いたものが最終選考まで残ったことがあり、この賞にはちょっとした縁があったのだが、読み始めると賞のことは遥か後方へ遠ざかっていった。そしてかなり興奮しながら読み終えた。
選考会では4人が満点で、1人が拒否権発動寸前だったらしい。(僕の書いたのは、一人満点二人最低点)僕のときと比べると、はっきり言って県大会と全日本選手権ぐらいのレベルの違いがあった。スケールと視野が違いすぎるのだ。受賞するに決まってる。

地下鉄サリン事件の実行犯豊田亨被告と東大で同級生だった著者が書いた本。
著者の伊藤乾氏は、東大で物理を研究し博士号まで取る一方で、音楽の分野でも活躍しているらしく、現在は東大助教授でもあり、作曲家・指揮者でもあるらしい。

親友だった二人が、ほんのちょっとの違いで、一方は死刑判決を受ける身になり、一方は東大助教授になっている。そういう「偶然のちいさな分岐点」が何だったのか、この社会の構造へと著者が執拗に追う物語。著者には、自分が親友と入れ替わっていないのは「たまたまでしかない」という思いが強くあるから、筆圧はかなり強い。

著者の伊藤氏は、理系の専門的な教育を経ている一方で、音楽家でもあるというキャリアが示すとおり、知性が専門性をどんどん横断し越境していくようなロゴス(全体性)の人。茂木健一郎さんとも似ている知性のあり方で、僕はこういうロゴスの知性のあり方が好きだ。

この本で著者は、脳科学、メディア論、法律、戦争、教育、物理学などを総合し、「オウム的」なものと「日本的」なものの相似を示し、そしてその物語を完全に一人称の自分に引き寄せて語るという、とんでもない知の力技を成し遂げている。この本を書かせる動機の強さ、書かねばならないという危機感に圧倒される。


僕はいままでオウム関連の本では村上春樹さんのインタビュー集『アンダーグラウンド』『約束された場所で』を読み、森達也監督のドキュメンタリー映画『A』『A2』を観、それぞれ非常に強く揺さぶられるようなものを感じてきた。

オウムに対して「異常」「狂気」というレッテルを張り、ひたすら思考停止しようとする人こそが、もっとも「オウム的」(=日本的)なのではないかということを示す、非常に勇気ある仕事だった。

でも、村上さんにせよ、森さんにせよ、立ち位置をニュートラルなものにしようと強く自制していた。いい換えれば、静かに深くコミットしているような態度で事件に接しているのだ。きっとそうでなければ作品にならないからだろう。

一方で、この『さよなら、サイレント・ネイビー』は、被告が友人だという点で、著者の立ち位置がだいぶ違っている。「どうしてあの豊田が?」という極私的な疑問を出発点にしているので、ニュートラルな立ち位置にはなっていない。豊田被告に起こったことを自分ごととして引き寄せながら、「豊田探し」をしているような立ち位置だ。

たいていそのような極私的な立ち位置でノンフィクションを書くと、独りよがりなもの(「私の○○滞在記」などの類いのもの)になる危険があるのだが、そうはなっていないのがすごい。一人称で語る極私的な立ち位置に、深く同時代性があるのだ。そして、同種のことがまだ自分の身にも起こっていないのは偶然でしかないと思えてくる作品なのだ。

キーワードは「局所最適 全体崩壊」という言葉。
オウムを論じることが、日本の病んだ社会の構造を論じることにつながり、「局所最適 全体崩壊」という言葉が、個人の内面においても、この社会の構造においても、切実に響いてくるように思われた。

メディア・マインドコントロール、太平洋戦争時の軍部の稚拙さ、サリン事件以後も続く気の滅入る事件、テレビ、週刊誌等が煽り続けるレッテルの数々、そういうものを全部ひっくるめ、著者は「自分が沈黙を守ることで、これ以上人を不快にしないように」している豊田被告に「豊さんでしか語れない、また豊さんだからこそ語りうることを語ってくれないか」と呼びかけている。

「一人称で語ることの力」と「ノンフィクションの力」をまざまざと感じさせる、すばらしい作品だった。

投稿者 tsuyoshi : 02:35 | トラックバック

2006年11月22日

『地下室の手記』

本を読むことって、こんなに危険なことだとは知らなかった。
『地下室の手記』ドストエフスキー(新潮文庫)を読んだ。
それで、一日中ものすごくいらいらむかむかして、あったま来ていた。

『地下室の手記』は、極端に自意識過剰な主人公の手記の形の小説。
一般社会からドロップアウトし、地下室へ引きこもった者の、終わりのない自己嫌悪の手記。
インテリで、本をたくさん読んでいる主人公が、世の中すべてへ不満をぶちまけている。
とにかく、自嘲と、自己嫌悪と、呪詛と、劣等感と、その裏返しの優越感の無限地獄にいる、ルサンチマンの塊のようなやつだ。ずっと恨みつらみを叫び続けてる。こんな嫌なやつはいない。

この小説が恐ろしいのは、この最悪の主人公が、僕自身の嫌な部分を反映していると感じられてしまうことだ。だから、もっとも読みたくない小説で、もっとも頭に来る小説なのだ。
このインテリめ!この頭でっかちめ!と読みながらずーっと主人公に腹を立ててたけれど、それが自分に対しても腹を立てることにもなるから、嫌になってしまう。

でも、もし学生時代の、大学の居心地の悪さを強烈に感じてたころにこの本を読んだとしたら、「嫌になってしまう」どころではなかったかもしれない。
きっと感想を書けるような余裕などなく、身動きが取れなくなったと思う。自己嫌悪のナイフで、心の中に多量の血が流れたに違いない。まったく、猛毒の小説だ。

主人公は、ひたすら「地下室」にひきこもって手記を書いている。合わせ鏡の中に映る自分の姿を、一人づつ順番に嫌悪しているような手記だ。あるいは、たまねぎの皮をむくようにいつまでも自分を探し続けているようだ。そんなふうにしても、どこにも辿り着けないのに。

合わせ鏡を覗き込んでも、自分はどこにも見つからない。
たまねぎは全部皮からできている。自分の「中身」をみつけようと、自分を覆っている皮を痛い想いをしてはがしても、剥がした先に現れるのはまた皮だ。
「地下室」からは、いつかは出なくてはいけない。「地下室」から出て、他者との関係性の中に入り込まないと、逃げ場であったはずの地下室が、牢獄になってしまう。

思想的には、この小説は理性万能主義を否定し、インテリによる暴力的な社会主義革命を批判しているものらしい。
でも、そのよう思想的、政治的な背景とは関係なく、僕はこの小説を、本をたくさん読んで頭でっかちになりすぎた者の引きこもり小説として読んだ。

そしてそう読むと、嫌になるぐらい同時代的な作品なのだ。
現代に生きる僕にも、十分すぎるほどの切実さを感じさせるのだ。
実はドストエフスキーを読むのは初めてだったのだけど、
おそろしいまでの生命力のある作品を書く人だと思った。

もう『地下室の手記』は読み返さないと思う。
こういう本は、服用に注意しないと、毒が強すぎて危ない。
毒にも薬にもならない本は読んだあとあっさり消化してしまうが、
毒が強すぎる作品は、精神のバランスを著しく崩す可能性がある。

投稿者 tsuyoshi : 06:25 | トラックバック

2006年11月20日

『やわらか脳』『わが悲しき娼婦たちの思い出』

茂木健一郎さんの『やわらか脳』(徳間書店)を徹夜で一気に読んだ。
彼のブログ「クオリア日記」を整理したもの。
なんか、ふつふつとエネルギーが湧いてくる感じで、ああいいものを読んだなあ!という興奮を感じつつ、どうにかその興奮を制御しこれを書いている。

僕は茂木さんの本を結構読んでいる。読書記録を見直すと、いままでに9冊も読んでいた。(『脳とコンピューターはどう違うか』『脳内現象』『「脳」整理法』『脳と創造性』『脳の中の人生』『ひらめき脳』『食のクオリア』『クオリア降臨』『脳と仮想』)

どれもそれぞれとてもおもしろかったが、もし誰かに彼の本で一番最初に何を読んだらいいか尋ねられたら、僕は今回読んだ『やわらか脳』を勧めると思う。なぜならブログが元になっているからか、茂木さんの真骨頂である即興性が生き生きと現れているからだ。茂木さんのユニークなクオリア(質感)がダイレクトに感じられるのだ。

『脳と仮想』の中に、小林秀雄の講演テープを聴いた衝撃を受けて、「話し言葉の生々しい臨場感、肉声を通して伝わってくる小林秀雄という人物の塊のようなもの」に強く惹かれたことが書いてあった。

『やわらか脳』は書き言葉だが、畳み掛けるように書かれた鮮度ある言葉だからか、茂木さんの肉声に近いものが感じられ、茂木さんの一番コアな部分がむき出しになっているように思えた。あらゆる領域を軽々と横断していく知性のあり方に興奮した。だから、『やわらか脳』を入り口にして、しかる後にそれぞれの専門性のあるテーマの本を読むと、茂木さんとのファーストコンタクトがしあわせなものになるのではないかなどと思った。

茂木さんは、なにかに恋しているのだと思う。
大竹伸朗さんの展覧会を見たときも思ったけれど、きっと彼らは、無限、美、永遠、真理、芸術というような言葉の裏に隠れている「なにか」に抗い難く想いを寄せ、どうにか想いを伝えようと、あの手この手でのたうち回っている。開高健さんも、クライマーの山野井泰史さんも、片想いの人だと思う。求めて止まない精神のリズムに殉じている。惚れていることを真正面から認め、技術の限りを尽くし、「なにか」を掴もうとしている。その片想いの苦しさ、切なさに胸が苦しくなり、想いに殉じる甘美と恍惚に嫉妬する。僕は、そういう表現者にとことん惹かれる。

片想いは、どうしたってブザマでぎこちないものだ。
いままでの僕の経験を思い出すと、そのブザマさがありありと思い出され逃げ出したくなる。でもその時の僕は、自分のどうしようもない欠点をどうにか克服しようと、そしてどうにか想いを伝えようと、必死で転げ回っていた。全力疾走していた。そのときに発するエネルギーは凄まじいものがあった。そして生命の躍動(エラン・ヴィタール)に満ちていた。現在の一瞬一瞬が永遠になっていた。

昨日『わが悲しき娼婦たちの思い出』ガルシア=マルケスを読んだのだが、そこには90歳の老人が14歳の少女に、雪崩のように恋をして心を焦がす話が書かれていた。身も蓋もない話なのだが、それを読んで、90などというように計量化・数値化できないその人の魂の年齢を感じた。90歳の老人の、ぶざまでみっともない、そしてそうであるが故に魅力に満ちた生命が躍動していた。そして、ああこうでなくっちゃなと思った。肉体の衰えと、恋の真剣さ、切実さがからみ合い、すばらしい作品だった。

きっと異性に恋するのも、スポーツや学問や芸術などに恋するのも、そのときの精神のありようは同じだとおもう。切実さのクオリア(質感)に違いはない。

恋している人は、張りつめた表情をしていて、とても美しい。
「片想いの人」の作品も、その生き方も、どこかに張りつめた精神のリズムがあるから、生きることを鼓舞してくれる力がある。
このごろ浴びるように本を読んでいるが、いい本に立て続けに二冊も出会えてしあわせである。

投稿者 tsuyoshi : 08:16 | トラックバック

2006年11月19日

全部を経験できるわけがない

先週今週はなぜか、縁あって多くの人と話す機会があった。
すごく久しぶりだったり、初対面だったり、よく話す友だちだったりしたのだが、
ほとんど一対一で何時間も話したように思う。
そしてそれが、とても興味深く、とても楽しく、とても貴重な時間だった。

こういうことは、以前の(とくに旅の前の)僕には考えられなかったことだ。
かつては、人と話すことほど苦手なことはなかった。
とくに女の子と一対一などは考えられなかった。
でもいまは、性別はあまり関係なく、話すことほど楽しいことはないと思えている。

話していて断然楽しいのは、やはりその人の、その人しか話せない一人称の物語だ。
そういう物語にぼくが相づちをうったり、なにか言ったりすると、なにか即興演奏のような、二度と得られない、一期一会の貴重な時間になるような気がする。

以前ぼくは、「全部自分で経験したい!」というものすごい情熱に突き動かされていた。
あらゆる国を訪れ、あらゆる道を走り、あらゆる人と出会い、あらゆる都市に滞在し…
全部の山に登り、全部の岩を登攀し、全部の沢を遡行し…
絶景を、名作を、名演を、美しきものすべてを、見捨てられたものすべてを…
そういう、「世界のすべて」を、「自分で経験すること」を志向していた。
他の誰かが経験した話を聞くのではなく、この僕が経験したいと思っていた。

でも、全部経験するには、ぼくの人生はあまりに限られていた。
きっとそのことを、最近になってようやく認めつつあるのだと思う。
かなり苦々しい思いとともに、ちょっとした挫折感とともに、「全部を自分で経験できるわけがない」と納得しつつあるのだと思う。
たった一つの国、たった一つの都市、たった一人の人を知ろうとするだけで一生かかってしまうことを、ようやく学習しつつあるのだと思う。
全部を自分で経験しようとすると、世界の無限をまえにして焦るばかりになってしまうのだ。

だから、大切なものごとでも取捨選択せざるをえなく、優先順位をつけなければいけなく、自分では経験できないものについては他の人に任せ、その人の報告を聞きたいと思ったのだと思う。

そしてそのような態度で耳を傾けてみると、どんな人にもその人が置かれた状況ならではの物語があり、だれもが僕が経験できないことを経験していた。べつに奇抜な半生を送っているわけではなくても、「普通の経験」などどこにもなかった。
そういう、その人ならではの物語を聞いていると、なんというか、国境を越えて新しい国へ入ったような、異文化に接するような興味深さがあった。
だから、人に会って話すことが、旅をすることと同じぐらい楽しくなったのだと思う。

とはいえ、充実した時間を過ごせば過ごすほど、どこか深い場所で摩擦や傷を感じるのも事実で、くたくたになり家に帰ってバタンと眠ってしまうこともあった。
二日連続で会ったあとは、もう敗残兵のように満身創痍になっていた。
お互いがなにか、こころの柔らかい部分で話し合うので、言い争いをしたとかではないのだけれど、やはりどうしても痛みのようなものを感じてしまうのだ。

でもそのような傷や痛みのような引っかかりめいたものを、一人になってからゆっくり丹念に振り返って検討してみると、そこにはとても大切な気付きが隠されていた。
痛みの裏側には必ず、それこそいま僕が探していたことが隠されていた。
きっと、そういう経験を繰り返し、摩擦の中にこそ鉱脈があると思えるようになったから、人と話すことが楽しいと感じているのだと思う。

だから、決して社交的になったというわけではない。
むしろいよいよ社交的ではなくなっているのかもしれない。
多人数で話している場などで、ぜんぜんそういう個人的な話ができない雰囲気だと、僕はわりと静かにしている。そして、くだらないな、早く終わらないかなと思ったりしている。内輪だけに通じる、ぬるま湯的な会話がもっともダメだ。
でも、少人数で、うまいぐあいにスイッチが入ると、二度と聞けないライブの即興演奏のような、とても充実した時間になる。

有限の命が、無限を志向するということ。「世界のぜんぶ」を志向すること。
それは永遠に叶えられない片思いに似ている。
ときどきその矛盾と不条理に、胸を裂かれるような切なさを感じることがある。

でもきっと、決して叶えられない切なさを積極的に引き受けるという態度の中にしか、生の躍動に満ちた実感はないのだとも思う。
だからいまだって「世界のぜんぶ」を志向している。何かに恋焦がれているという具体的な苦しさがある。でもそれが地理的な移動を繰り返すという現れ方をしていないだけなのだと思う。その別の現れ方の一つが、人の話を聞く、ということなのだと思う。そしてきっと、本を読むのも、絵を見るのも、音楽を聴くのも、映画を観るのも、人の話を聞くことと本質的には同じことだと思う。

投稿者 tsuyoshi : 07:49 | コメント (2) | トラックバック

2006年11月15日

怪物/少年

僕は21歳のときに大学を休学し、3年半自転車で旅したのだが、最近しきりに、あのとき自分を旅立ちへと駆り立てた、あの禍々しいまでのエネルギーは何だったのだろうと考えている。

あれは選択肢のない、ほんとうに切羽詰まった思いだった。
人に説明するときに僕はよく「恋のようだった」といい、人を本当に好きになったときは理由がうまく言えないものだと説明するのだが、ある意味であれは恋に恋した末の告白にも近く、もしかするとかなり自殺に近い行為だったのかもしれないとも思う。

自分をいまいる場所からもっとも遠い場所へ放り投げてしまうという方法でしか、もう立ち行かなくなるほど切羽詰まっていたのは確かだ。幸い両親は旅に反対しなかったけれど、もし反対されたとしても絶対に旅立っていた。そうしなければ生きていけないと思っていたからだ。

問題は、なぜ命の危機を感じるほど切羽詰まっていたか、なのだと思う。
きっと、受験勉強に専念した1年間の浪人生活の影響が強いのだと思う。とにかく受からなければ自分の存在が否定されてしまうという強いプレッシャーの中で、点数化され、序列化されて評価される価値観を無意識に受け入れていた。そしてどうにか大学に入った直後に強烈な危機感を感じたのだ。
それは、怪物に骨をぼきぼきと折られ、狭い「箱」へ押し込まれていくような悪夢に近い。狭い箱に押し込まれ、徐々にその箱の中の水位が上がっていき、このままだと息が吸えなくなってしまうというような、生理的な恐怖に近い。

そういう黒々とした思いと、旅への憧れ、遠い世界への憧れが心躍らす恋のように募り、たまたま世界地図をみながら空想を膨らませていたときに、「もっとも遠い場所へ行き、そこから自転車で日本を目指す」という具体的なアイデアが浮かんだのだ。そしてそのアイデアにワラにもすがる想いで飛びついたのだ。

あのときの僕はただ無我夢中なだけだった。でもきっと、あのとき僕を旅へと押し出したのは、半分は自分の意志で、もう半分は社会の無意識なのだろう。
そして、このような「箱」へ押し込もうとする、わけの分からない、得体の知れない、捉えどころのない怪物の力について考えている。なぜなら怪物は、旅立ったことで退治されたわけではなく、いまだって執拗に僕を「箱」へ押し込もうとするのだから。

あのときは、なにも分からないままただ動物的な直感で、いまこの怪物と戦っても勝ち目はないとおもい、旅立つことで背中を見せて逃げた。生き延びるためにはそれしかなかった。
復学し、就職活動をするときに、もう一度怪物に直面した。やはり恐怖以外の何物でもなかったが、旅ですこし耐性ができていたのか、今度は逃げるのではなく、十分な間合いを取るぐらいにはなっていた。

結局就職せず、肉体労働ならできるだろうと、メッセンジャー(自転車便)の仕事を一年間した。そこで僕が体験したのは、東京という姿に化けて出た、怪物のグロテスクな姿だった。殺人的な忙しさでビルとビルを行き来しながら、怪物の体内に入り込んでいると思っていた。
でも意外なことに怪物は、ただ恐怖を感じさせる、暴力的でグロテスクなだけの生き物ではなかった。そこには傷つき、怯え、泣きはらした少年の姿も見え隠れしていた。

メッセンジャーを辞め、書くことを中心にした生活へシフトしたときに、徐々にその少年の姿が気になりだした。でも、その少年の声を聴こうと近寄ると、急に怪物に変わり、「箱」へ押し込もうとする。このやっかいな怪物/少年について、何か書けないだろうかとずっと思っている。

投稿者 tsuyoshi : 20:09 | コメント (6) | トラックバック

2006年11月12日

『神の子どもたちはみな踊る』

かつて読んだ本をもう一度読んでみて、これほど印象が違うものかと思った経験はいままでない。
『神の子どもたちはみな踊る』(新潮文庫)という村上春樹さんの短編集は、かつて旅の途中にスイスで読んだから、6年ぐらいまえのことになる。
でも、そのときのぼくにはそれほど強い印象を残さなかった。ふーんと思うぐらいで、特に感想というものもなかった。

でも今回読み直してみると、自分のもっとも深い部分で共振するような、いまの僕にとっていちばん大切な物語に思えるのだ。この読後の印象のあまりの違いに驚いている。
それは、読書というものが自分の中で大きな位置を占めてきた、村上春樹という作家に対する信頼がこの6年の間に大きく育っていた、あるいはあのときよりも「物語」というものに自覚的になっている、ということなのかもしれない。
それに加え、いまぼくが一カ所に「とどまっている」ということも関係しているのかもしれない。あのときは常に移動する生活をしていたけれど、いまは物理的には同じ場所にとどまっている。そういう生活のリズムが、この小説と共振するようなものを形作っていたのかもしれない。よくわからないけれど。
ともあれ、この六つの連作短編集から立ち上がる、願いのような、祈りのような、求めるような気持ちを、ぼくもいま同じように切実に願い、祈り、求めているのだと思ったのだ。

この連作短編集は、どれも阪神大震災を背景にしている。
地震の揺れの、物理的ないみではない「共振」を描いているように思う。他者の痛みへの想像力を描いているのかもしれない。重層的な意味を帯びた、非常に象徴的な物語群だった。物語がしっくりと心の奥に入ってきて、いまでも深い場所で震動しているような気がする。

村上さんの、同時代に対する態度が好きだ。
この時代が抱える闇の部分に目を背けず、むしろ進んで引き受けるような態度と、それを作品として提示できる力量は、ほんとうにとびぬけてすごいと思う。いまという時代の底の方を流れているものが、村上さんという通路を通って作品になっているような感じがするのだ。そのような、同時代への深く静かなコミットに深く共感している。
ぼくは日本人であることに対する想いのようなものはそれほどないのだけど、村上さんの作品を発表されたらすぐによめるから、日本語が読めて本当によかったなと思う。翻訳されるのを待つのはかなりじれったいだろうから。

投稿者 tsuyoshi : 05:10 | トラックバック

2006年11月11日

「スーパーマーケットにて」

昨日の夕方、モスバーガーで『夜のくもざる』村上春樹著(新潮文庫)を読んだ。
原稿用紙3、4枚ぐらいの「超短編」小説が36本。どれもシュールで、可笑しくて、ナンセンスで、教訓と意味がありそうで、でもよく考えると肩すかしをくらってしまうような下らない話ばかり。村上さんの悪のりして書いている姿が目に浮かぶような、とっても楽しいものばかり。
たとえば、「フリオ・イグレシアス」という話はこんな一文ではじまる。

蚊取線香をだましとられたあとでは、もう海亀の襲撃から身を守る手だては何ひとつ残されてはいなかった。

ナンセンスすぎて、書こうと思ってもちょっとこうは書けない。すごいなーと思いながら、なかなかあたたかい気持ちになり、モスバーガーを出た。
それから、セイユーへ行って買い物をし、とぼとぼ家までの道をあるきながら、この本についてどんな感想を書こうかとあれこれ考えていたら、ちょっと『夜のくもざる』的トーンでぼくもひとつ話を書いてみたくなった。こういう作り話を自分でも書いてみたくなっちゃうような本なのです。

というわけで、以下がその書いたもの。意味もなく、なんの役にも立たないお話です。前回の文章に小説とはうんぬんと書いて、その直後にこんな文章をのせるのはいかがなものか、とは思うんだけど、でもよかったら読んでみてください。題は「スーパーマーケットにて」です。

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「スーパーマーケットにて」

あのときあんなことをとっさに言ったのは、あるいはモスバーガーで村上春樹の『夜のくもざる』を読んだあとだったからかもしれません。
すっかり暗くなったころ読み終えて、モスバーガーを出ました。
それから駅前のスーパーマーケットへ行き買い物をしました。まずエスカレーターで二階へいき、かごを持って魚売り場でほっけの開きを一つ入れました。それから肉のコーナーで三割引になっている豚ハツとしろもつを入れて、味付きの牛肉とインゲンのパックも半額になっていたので入れました。(いつもぼくは安くなっている肉しか買わないのです。ちょっと切ないですね)それから、しょうゆと料理酒が切れているのを思い出し、それぞれかごに入れました。450グラム入りのスパゲッティとインスタント麺とベトナム麺のフォーを入れました。
階段で一階へおりて、しめじと焼きそばとレーズンバターロールを入れて、さいごに6個入り卵パックを入れ右から二つ目のレジへ行きました。
レジ係の女の子は素敵な笑顔で「いらっしゃいませ」と言いました。目が合ったので軽く会釈をしました。
女の子がバーコードを読み取っている手元をみながら、全部で2000円ぐらいかな、と思いました。2100円にはなるまい。1900円は越えるだろう。スーパーで会計を待つ間はいつも、ぼくは合計金額を予想しているのです。

レジ係の女の子は「1977円になります」と言いました。ぼくは予想どおりだったことに気を良くしながら、千円札を二枚とりだしてレジ係の女の子に渡しました。「二千円お預かりします」女の子がそう言ったときに、また目が合いました。ぼくは1977という液晶の文字を指差して、「ぼくが生まれた年」と言っていました。言ってからすぐに、しまったと思いました。スーパーマーケットのレジは、そんな個人的なことを言っていい場所ではないのです。
案の定女の子はちょっといぶかしげな顔をしてお金を受け取りました。でもレシートと23円のおつりを手渡すときに、いたずらっぽい笑顔になって自分を指差し「23歳」と言いました。

さて問題です。どこから作り話でしょう。
「ぼく」の願望などに考慮して答えてください。
解答時間は3万年です。ちくたくちくたく…

投稿者 tsuyoshi : 15:24 | コメント (4) | トラックバック

2006年11月10日

『完璧な病室』小川洋子

僕は小説も好きだが、エッセイや対談もかなり好きだ。
小説は、その物語の世界に入っていくときにエネルギーを使うが、エッセイや対談は気軽に読めるからいい。

先日、『深き心の底より』(PHP文庫)という小川洋子さんのエッセイ集を読んだ。
ごくささいな身の回りの出来事が書かれたエッセイなのだが、どの言葉も大切に扱われているという気配に満ちていてとてもよかった。裏表紙に「言葉の石を一個一個積み上げたような」とこの本が紹介されているが、本当に彼女が丁寧に石を積み上げている様子が想像できるようなエッセイだった。
さらに、彼女の旧姓が僕とおなじ本郷だということがエッセイを読んでいて判明した。こういう偶然の一致があると、急に親近感が湧いてくるものだ。彼女の小説も読んでみたくなった。

それで今日『完璧な病室』(中公文庫)を読む。彼女のデビュー作を含めた最初期の短編集。
作者の、もっともプライベートな部分、普段の会話では絶対にしゃべらないだろう、心の一番やわらかい部分が、こわれそうなほど繊細に描かれていて、読みながら息が詰まった。土足で彼女の心のなかに入り込んでしまっているような後ろめたさすら感じた。

彼女のベストセラーの代表作『博士の愛した数式』を読んだ時とはちょうど正反対の印象だった。『博士の愛した数式』を読んでいる時は、小説を書くことが楽しくて仕方がないような、弾むようなリズムがあったのだが、『完璧な病室』の4短編はどれも、どこにも行けないような閉塞感があった。

『完璧な病室』は、主人公の身体が感じる快感と嫌悪の入り交じった物語だった。自分の身体に閉じ込められている閉塞感の物語だった。
その手触りの切なさ、匂いのグロテスクさ、味の甘美など、作者が丁寧に描き込むことで立ち上がる、繊細で、透明で、悪夢のように残酷な質感に目眩を覚えるほどだった。

そして、本当に自分の身体ほど逃れられないものはないと思った。
どれだけ美しいものを志向しても、どれだけ普遍的で天上的な世界を志向したとしても、この身体はいつでもぴったりと自分に張り付いている。たとえアフリカの奥地まで逃げたとしても、この身体からは逃れられない。
もっとも私秘的で、個別的で、だからこそ切実なものが自分の身体なのだと思う。どんなに理不尽だろうが受け入れるしかなく、一生逃れる術がないのだから。

『完璧な病室』には、女性の立場から、透明な快楽とその底知れなさが描かれていた。
女性性の底知れなさと恐ろしさのようなものばかりで、読み終わったらすぐに閉じて本棚にしまい、「こっち側」に戻ってくる必要があるような物語ばかりだった。

小説は「あっち側」の物語だと思う。
だから小説の世界に入り込むときは、川を渡るような、トンネルをくぐるような、線をまたいでいく感覚がある。
(以前小説をまだほとんど読んだことがなかったときは、この「またぐ」感覚がよくわからず、したがって物語がリアルに立ち上がらず、なんだか小説ってつまらないなと思うことがよくあった。)

そして小説は、どこまでも私秘的なものを土台とした、孤独な表現形式なのだとおもう。
作者その人しか書けない物語だからこそ、どこか普遍的な様が現れてくるのだと思う。
逃れようと思っても絶対逃れられない「個」というものを引き受けて書かれた作品が、「全体」を立ち上がらせる。そんな一点突破の表現形式だ。

『完璧な病室』は、自分の身体に幽閉された「個」というものを、ぞっとするほどの丁寧さで描き出していた。すばらしい作品であることは間違いないが、正直再読したいとは思わない。

投稿者 tsuyoshi : 02:03 | トラックバック

2006年11月09日

「大竹伸朗 全景」展

東京都現代美術館でやっている「大竹伸朗 全景」展へ行ってきた。

もうほんとうにくたくたに疲れ果てた。
作品点数の量と質が凄まじく、くらくらした。
東京都現代美術館の企画展示室の全フロアを使い、2000点あまりが展示されているのだが、たった一人の人間がこれだけのことをやったということが信じられなかった。

少年時代からの作品をほぼ作成順に展示しているのだが、どの部屋もひとつの個展になるような完成度の高さで、しかも、どんどん変わり続けている。
彼の作品は、どの時代のものも、どの一点も一切手抜きというものがないのだが、そのように部分で見るだけでは伝わりきれないものが、2000点全部を通しで見ることで立ち現れてきて、その表現に対する覇気のような、鬼気迫るリズムが、正直苦しかった。

それから、家に帰り茂木健一郎さんのクオリア日記にある大竹さんとの対談の音声ファイルを二つ聞いた。(その1その2

大竹さんはある時期から東京をはなれ、愛媛県の宇和島の山奥に住んで絵を描き続けている。現代アートシーンから取り残され、評価されなくてもずっととにかく描き続けている。その描きつづけるというパッションの溢れるような過剰さが、言葉になりきれないもどかしい感じが、語り口の節々に見えて、ああこの人は本当のことをいう人だなと思った。
過剰であること、理不尽さ、不条理、いたたまれなさ、得体の知れなさ、続けるということ、孤独、無意識に耳を澄ますということ、もう手遅れだということ、やるしかないということ。そういうひとつひとつの言葉が、いま一番聞きたい言葉だった。

絵を描き続けなければ本当に生きていけない人なんだと思った。経済的にも、画家としても描かなければ生きていけないということを本当に受け入れているから、生きることと描くことがぴったりくっついていた。そして、正直に生きる(=真摯に表現を求める)ということのぞっとするような矛盾に真正面から向き合っているから、描いたものが作品になっているのだと思った。

矛盾から目を逸らすための言い訳は、毎日いくらでもあるのだと思う。およそあらゆることが言い訳の材料になる。
でも、ぎりぎりのところでどうにか踏みとどまり、とてつもない負荷に身を晒し続けているから、その生きるリズムのようなものが作品や言葉に乗り移るのだろう。なにか孤独な修行僧のような生き方だ。「続ける」ということの凄みを見せつけられ、背筋を正される思いがした。

投稿者 tsuyoshi : 04:37 | コメント (2) | トラックバック

詩「とじることとひらくこと」

「とじることとひらくこと」

ドアをとじて鍵をかけること
窓をしめて明かりをけすこと
読みかけの本をしまうこと
おしゃべりな口をつぐむこと

そして雨をまつということ
もっとも静かなよるに
雨をぜんぶうけるということ
貯水槽があふれるまで

そしてキーをたたくということ
ひざをかかえた怪獣にむけて
たたく手がとまるということ
ことばをかかえた少女をまえに


2006.11.9 tsuyoshi

投稿者 tsuyoshi : 01:23 | トラックバック

詩「ひとりのりのこぶね」


「ひとりのりのこぶね」

ひとりのりのこぶね
ぼくがのってるひとりのりのこぶね
あっちのはおとうさんのこぶね
そっちのはおかあさんのこぶね
ちょっとずつだけぼくのとにてる

みいちゃんちいちゃんけいくんよっちゃん
せんだんをくんでたからじまをさがし
ひみつのいりえのどうくつにちずをかくす
(きゅうしょくをたべていたころのはなしだ)

そのこぶねをみかけたのは
なみのないよる かざかみのほうがく
ずっととおくにちらっとみえた
すぐにぼくはコンパスをあわせ
それからそっちのほうを
まいにちかくにんするようになった
(まだせいふくをきていたころのはなしだ)

あるひぼくはたびだった
ちちよははよおげんきで
そしてなまえのしらないうみで
みたこともないさかなをおっていたとき
またあのこぶねがあらわれた

ぼくはめをつむりとびこんだ!
そしてなみにもみくちゃにされながらしずんでいく
はなからくちからかいすいがはいり
まっくらなうみのそこへひっぱられていく

ぼくはめちゃくちゃにてあしをうごかして
やっとじぶんのこぶねにはいあがり
たくさんのかいすいをはいた
(がっこうをそつぎょうしたころのはなしだ)

どうやらきぜつしていたらしい
きがつくとあのこぶねがちかづいてくるのがみえた
ぼくたちはこぶねをくっつけて
たくさんのかいすいをかけあった

でもあるひ
こっちにうつろうとしてきたものだから
ぐらっとゆれててんぷくしそうになって
ぼくはそのこぶねからはなれていった
(げんきにしているのだろうか)

ひとりのりのこぶね
ぼくだけでまんいんのひとりのりのこぶね
しずかなよるにみみをすますと
みえないけれどすぐちかくから
あのこぶねのなみおとがきこえてくる

2006.11.9 tsuyoshi

投稿者 tsuyoshi : 01:20 | トラックバック

2006年11月06日

きょうは誕生日

11月6日は僕の誕生日です。29歳になりました。
いちおう、ここで宣伝しとこ。

僕は静岡県の浜松育ちなのですが、生まれたのは東京です。
東京の五反田の病院で産まれたそうです。
難産だったらしく、すごく痛かったと母は言ってました。
ということは、ぼくもがんばってこの世に生まれてきたのでしょう。
まったく覚えていないけど。

そして産まれてわずか一カ月後に浜松に引っ越しました。
浜松には親戚はだれひとりいません。父は北海道、母は大阪出身で、仕事の都合でたまたま浜松に住むことになったのです。
だから、なのかは分からないけれど、浜松との接続感の薄さをときどき感じます。育った場所への帰属意識が希薄なのです。根っこのいちばん先っぽがないような、常に仮住まいの感覚があります。そういう感覚が、旅を後押ししたり、地に足が着かない生活が苦ではないと思わせたりするのかもしれません。

ともあれ、十代後半からは山や旅に明け暮れたことは事実です。特に二十代前半の物理的な移動は激しいものがありました。
ここ数年は物理的な移動はほとんどしていないけれど、内面的な旅は実際に旅をしているときと同じぐらいしているような気がします。
そして二十代の最後の一年は、その傾向をさらに押し進めていきたいです。
水脈につきあたることを信じて井戸を掘り進めるような、あるいは宇宙の広がりにみみをすまし続けるような、静かな日々のなかでのその到達点の深さ、微小な変化への感度の高さをこそ求めていきたいなと思います。

投稿者 tsuyoshi : 00:48 | コメント (2) | トラックバック

2006年11月03日

谷川岳一ノ倉沢南稜

先日、友人の牧野と、谷川岳の一ノ倉沢烏帽子沢奥壁の南稜を登ってきました。
いつか登りたいねと言っていた、アルパインクライミングのクラシカルな入門ルートです。

入門ルートとはいっても、あの一ノ倉だから、独特の緊張感がありました。
早朝の一ノ倉沢出合には、朝焼けの岩壁を撮るためにカメラマンが大勢いたのですが、クライマーは僕たちとあと一パーティだけでした。
カメラマンたちは、出合から先へは入っていきません。そんななか奥へ入っていくのは、やはり「一線を越える」という感覚がありました。

僕たちは、山岳会に入ってはいないので、誰かに教えてもらうことなく、自分たちだけで試行錯誤しながら沢登りやクライミングを続けています。
きっと経験者に連れて行ってもらえば、もっと難しい沢や岩にも、もっと安心して簡単に行けると思うのですが、いつからか試行錯誤自体がとても楽しくなり、先生なしの学習を続けるようになっています。
こういう方法は、進歩がとても遅いです。だからもどかしさを感じることもしばしばなのですが、プロセス自体を楽しむにはいい方法だと思っています。
一ノ倉の出合から岩の大伽藍へと向かっていくときに「一線を越えた」と思えたことも、試行錯誤しながら続けてきたからより強く感じられたのかもしれません。先輩に連れられて行ったら、なんとなく登ってしまっていたかもしれません。

すごい高度感のなかずっと緊張感を保ち続け、ようやく稜線に抜けたときは、心底安堵しました。目が眩むような垂直の世界から、もう安心と思える場所に出たときは、深い水をくぐったような感覚がありました。「あっち側」から、ともかく無事戻って来れてよかったです。

クライミングの内容は、恥ずかしくなるほど随所でハーケンから垂れているスリング(環になっている紐)を持ってしまい、自然の岩だけを手がかりにするフリークライミングではなくなってしまったので、チキンだなあとの敗北感があるのですが、はじめてのアルパインクライミングなのだから仕方ないじゃないかと言い訳をして、慰めてます。

ただ、今回つくづく思ったのは、クライミングは趣味だということでした。
それを自分の生き方として、クライマーというアイデンティティを追求するには、執着心が少々足りないみたいです。人生を全部クライミングに賭けてしまうトップクライマーたちを憧憬の眼差しで見つめるばかりなのです。

もしかしたらどんなことでも同じかもしれないけれど、クライミングは、続けているとだんだん片手間ではできなくなっていきます。結婚のようなものを要求されてくる気がします。ぼくはかつて、ほんの少しだけ、クライミングとの結婚が頭をよぎったことがありました。でもいまは、たまに電話やお茶をするぐらいの距離になっています。トップクライマーなどの、結婚した人たちの報告を聞くのが大好きです。どんな分野でも、トップを行くひとたちがどれだけすごいのかは、かじってみてはじめて痛感できるものなのかもしれません。

(撮影はすべて牧野。二番目の写真、正面の岩壁の一番左にある稜線が南稜。)

投稿者 tsuyoshi : 06:40 | コメント (2) | トラックバック