2006年11月12日
『神の子どもたちはみな踊る』
かつて読んだ本をもう一度読んでみて、これほど印象が違うものかと思った経験はいままでない。
『神の子どもたちはみな踊る』(新潮文庫)という村上春樹さんの短編集は、かつて旅の途中にスイスで読んだから、6年ぐらいまえのことになる。
でも、そのときのぼくにはそれほど強い印象を残さなかった。ふーんと思うぐらいで、特に感想というものもなかった。
でも今回読み直してみると、自分のもっとも深い部分で共振するような、いまの僕にとっていちばん大切な物語に思えるのだ。この読後の印象のあまりの違いに驚いている。
それは、読書というものが自分の中で大きな位置を占めてきた、村上春樹という作家に対する信頼がこの6年の間に大きく育っていた、あるいはあのときよりも「物語」というものに自覚的になっている、ということなのかもしれない。
それに加え、いまぼくが一カ所に「とどまっている」ということも関係しているのかもしれない。あのときは常に移動する生活をしていたけれど、いまは物理的には同じ場所にとどまっている。そういう生活のリズムが、この小説と共振するようなものを形作っていたのかもしれない。よくわからないけれど。
ともあれ、この六つの連作短編集から立ち上がる、願いのような、祈りのような、求めるような気持ちを、ぼくもいま同じように切実に願い、祈り、求めているのだと思ったのだ。
この連作短編集は、どれも阪神大震災を背景にしている。
地震の揺れの、物理的ないみではない「共振」を描いているように思う。他者の痛みへの想像力を描いているのかもしれない。重層的な意味を帯びた、非常に象徴的な物語群だった。物語がしっくりと心の奥に入ってきて、いまでも深い場所で震動しているような気がする。
村上さんの、同時代に対する態度が好きだ。
この時代が抱える闇の部分に目を背けず、むしろ進んで引き受けるような態度と、それを作品として提示できる力量は、ほんとうにとびぬけてすごいと思う。いまという時代の底の方を流れているものが、村上さんという通路を通って作品になっているような感じがするのだ。そのような、同時代への深く静かなコミットに深く共感している。
ぼくは日本人であることに対する想いのようなものはそれほどないのだけど、村上さんの作品を発表されたらすぐによめるから、日本語が読めて本当によかったなと思う。翻訳されるのを待つのはかなりじれったいだろうから。
投稿者 tsuyoshi : 2006年11月12日 05:10
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