2006年11月22日
『地下室の手記』
本を読むことって、こんなに危険なことだとは知らなかった。
『地下室の手記』ドストエフスキー(新潮文庫)を読んだ。
それで、一日中ものすごくいらいらむかむかして、あったま来ていた。
『地下室の手記』は、極端に自意識過剰な主人公の手記の形の小説。
一般社会からドロップアウトし、地下室へ引きこもった者の、終わりのない自己嫌悪の手記。
インテリで、本をたくさん読んでいる主人公が、世の中すべてへ不満をぶちまけている。
とにかく、自嘲と、自己嫌悪と、呪詛と、劣等感と、その裏返しの優越感の無限地獄にいる、ルサンチマンの塊のようなやつだ。ずっと恨みつらみを叫び続けてる。こんな嫌なやつはいない。
この小説が恐ろしいのは、この最悪の主人公が、僕自身の嫌な部分を反映していると感じられてしまうことだ。だから、もっとも読みたくない小説で、もっとも頭に来る小説なのだ。
このインテリめ!この頭でっかちめ!と読みながらずーっと主人公に腹を立ててたけれど、それが自分に対しても腹を立てることにもなるから、嫌になってしまう。
でも、もし学生時代の、大学の居心地の悪さを強烈に感じてたころにこの本を読んだとしたら、「嫌になってしまう」どころではなかったかもしれない。
きっと感想を書けるような余裕などなく、身動きが取れなくなったと思う。自己嫌悪のナイフで、心の中に多量の血が流れたに違いない。まったく、猛毒の小説だ。
主人公は、ひたすら「地下室」にひきこもって手記を書いている。合わせ鏡の中に映る自分の姿を、一人づつ順番に嫌悪しているような手記だ。あるいは、たまねぎの皮をむくようにいつまでも自分を探し続けているようだ。そんなふうにしても、どこにも辿り着けないのに。
合わせ鏡を覗き込んでも、自分はどこにも見つからない。
たまねぎは全部皮からできている。自分の「中身」をみつけようと、自分を覆っている皮を痛い想いをしてはがしても、剥がした先に現れるのはまた皮だ。
「地下室」からは、いつかは出なくてはいけない。「地下室」から出て、他者との関係性の中に入り込まないと、逃げ場であったはずの地下室が、牢獄になってしまう。
思想的には、この小説は理性万能主義を否定し、インテリによる暴力的な社会主義革命を批判しているものらしい。
でも、そのよう思想的、政治的な背景とは関係なく、僕はこの小説を、本をたくさん読んで頭でっかちになりすぎた者の引きこもり小説として読んだ。
そしてそう読むと、嫌になるぐらい同時代的な作品なのだ。
現代に生きる僕にも、十分すぎるほどの切実さを感じさせるのだ。
実はドストエフスキーを読むのは初めてだったのだけど、
おそろしいまでの生命力のある作品を書く人だと思った。
もう『地下室の手記』は読み返さないと思う。
こういう本は、服用に注意しないと、毒が強すぎて危ない。
毒にも薬にもならない本は読んだあとあっさり消化してしまうが、
毒が強すぎる作品は、精神のバランスを著しく崩す可能性がある。
投稿者 tsuyoshi : 2006年11月22日 06:25
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