2007年02月04日

最近読んだ本から

最近読んだ本のなかからよかったものの感想を書きます。
読んだ直後に感想を書けばよかったのだけど、ちょっとタイミングを逃してしまったのでまとめてごく簡単に。

・『西瓜糖の日々』リチャード・ブローティガン

小川洋子さん、村上春樹さんが好きだというブローティガン、読みたいなとずっと思っててやっと読めました。小説というより散文の長編詩のようでした。読んでいるときは幻想的で捉えどころがない話だと思っていたけれど、読み終えてから反芻すると徐々にリアリティが立ち上がってきました。こんな不思議な感触の小説は始めてでした。

・『高瀬川』平野啓一郎

『ウェブ人間論』を読んで平野さんに興味を持ったので読んでみた一冊。短篇集です。表題作の「高瀬川」がなんか官能的な小説みたいで、それに惹かれて読んでみようと思ったのだけど、官能小説以上の濃密な描き込みで、それでいて流れるように読める美しさで、すごい!と思いました。「氷塊」という短篇は、どうやって読めばいいんだと混乱するような実験的なレイアウトで面白かったです。どれも、新しい表現を模索する挑戦的なものばかりでした。

・『神さまがくれた漢字たち』白川静、山本史也
・『白川静さんに学ぶ 漢字は楽しい』白川静、小山鉄郎

漢字の成り立ちの話。
友人ごうくんが白川さんの本を読んで、「取」と「最」という漢字の成り立ちを教えてくれて、それでほんとうにびっくりしてしまい、それからこの本を読んで、白川文字学に魅了されました。世界観ががらりと変わるぐらいの興奮がありました。学問の分野でこれぐらい魅了されるのは中沢新一さんの『カイエ・ソバージュ』以来です。これからたっぷり時間をかけて白川さんのもっと本格的な本を読んでいきたいと思いました。

興味のとっかかりとなった「取」と「最」がどんな成り立ちなのかだけ、ごく簡単に紹介します。
「取」という漢字の左側は「耳」、右側の「又」は「手」を意味するそうです。そして「取」という漢字は、「左耳を切り取っている図」なのです。かつて戦争のときに敵を討ち取った証拠に左耳を切り取ったことに由来しているそうです。
そして、だれが最も多く敵を討ち取ったか数えるために、「殺して切り取った敵の左耳をたくさん袋に入れた図」が「最」だそうです。

「取」や「最」はよく使う漢字だけど、こういうことぜんぜん知りませんでした。
そして、成り立ちを知ってから「取」や「最」をじーっと眺めると、切り取られた耳から血が滴る様子や、左耳だけいくつも袋に入れ袋の底に血が溜まっているグロテスクな図が目に浮かび、なんて恐ろしい字なんだと本当にびっくりしました。
どの漢字にも呪術的な成り立ちがあって、古代中国の神話的物語に満ちていて、いままで無意識に使っていた漢字が一変しました。


・『「自分の木」の下で』大江健三郎
・『「新しい人」の方へ』大江健三郎

大江さんの、子供に向けて語りかけるように書かれたエッセイ。
誠実な人柄がにじみでていて、とても素直に読めました。そして読後にふつふつと奥の方から力が湧いてくる気がしました。

ちょっと前に『個人的な体験』を読んで、とてもよかったのだけど読むのが大変で、大江さんの小説は苦手だと思っていたけれど、やっぱりこういうすばらしいエッセイを読むとまた彼の小説も読んでみたくなります。それから彼が勧める作家、ナボコフやガルシア=マルケスやドストエフスキーも読んでみたいと思いました。

あと、大江さんが外国語を一つ実用的に使えるぐらいにマスターすることを勧めていて、英語の本を原書で読めるぐらいになりたいなと思い、『ポール・オースターが朗読する ナショナル・ストーリー・プロジェクト』という本を買いました。オースターのダンディーな声の朗読CD付きの本で、なかなか楽しいです。

外国語を学ぶということは、日本語を相対化するということで、自分のしゃべっている言葉を客観視することでもあり、日本語で何かを書いたり考えたりするうえでも大切だということを、大江さんに説得されたのでした。

思えば、大江さんも、村上さんも、梨木さんも、複数の言語が混じりあう混沌とした場を滋養として、新しいものを打ち立てています。言語の混沌とした状況と、そこから生まれる新しい表現は、なぜだかは分からないけどかなり密接な関係にあるみたいです。

以上、とりとめもない感じの紹介になりました。

投稿者 tsuyoshi : 2007年02月04日 03:22

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