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2007年03月07日
『アニミズムという希望』
山尾三省『アニミズムという希望』(野草社)
1999年の夏に琉球大学で5日間にわたって行われた講演録。
この本が出版されたのが2000年の夏。そして2001年の夏に山尾さんは亡くなられている。
そんなはずはないと思うのだが、読んでいると、もしかしたら彼は自分の死が近いと知っていたのではないかと思えてくる。
1938年に生まれ、37歳のときに屋久島に移住し、それから二十数年間、詩人として、百姓として、思想家として、耕し、詩作し、祈る暮らしの中で培われた知慧のすべてを、若い世代へ伝えよう、バトンを渡そう、順送りに繋げていこうという、静かな、けれど確かな力というものが、ことばのひとつひとつからにじみ出ている。
内容は非常に多岐に渡るのだが、根底にあるのは、個人として、人類としてどう生きるのかという普遍的な問い。
そしてその問いに対して、新しいアニミズムを現代に再構築するという方向、経済発展という神話にかわる「新しい自然神話」を探るという方向に希望を示している。
彼は、詩人・百姓として在野に生きた人だから、その言葉は、頭の中だけでは決してでてこない確かな質感がある。
読みはじめてすぐに、この本はぼくにとって決定的に大切なものになると思った。
世界中に星の数ほどある本の中に、今、一番読みたい本がたった一冊あるとして、その本がこれだと思った。タイミングがパーフェクトだった。こういう本との出会いは、人生でもっともしあわせなことの一つだ。
だから、できるだけゆっくり、ことばを体に染み込ませるように読んだ。
一回90分の授業を一日三回、それを5日間連続で全15話の集中講演だったので、僕も一日3話だけ読み、きっちり5日間で読んだ。
もちろん読もうと思えば一気に読むこともできるのだが、それはあまりにもったいないと思ったのだ。だから、赤鉛筆で何十カ所も線を引き、ページの端を折り、丁寧にその日の分を読み、次を読みたいのを我慢し、何度も以前の部分を読み直した。実際の授業では自作の詩の朗読がたくさんあるのだが、その箇所はその詩を朗読した。
それぐらい僕にとっては丁寧に読みたい本だった。
決して難しい内容ではない。押し付けがましいところも一切ない。学生に「眠くなったらねてもいい」と言うぐらいなのだから。そしてそれでいて、もっとも大切なことを、もっとも根源的なことを語っている。何十回もはっと気づかされ、何度かは涙が伴った。
個人として、共同体の一員として、人類として、「自分はどう生きるのか」「何を心から願うのか」という問いへは、ただ言葉にするだけでは答えたことにならず、自分の人生で、実際に生きることで答えていく他ないのだが、もし、「ありあまる自由さのなかで立ち往生している」ということばに、自分ごととして胸の中に痛みを感じるならば、この本の中に共鳴することばがあると思う。
実は長らく山尾さんを敬遠していた。
屋久島の山奥にこもり、社会から背を向けている人という印象があったからだ。それがどれだけ偏見に満ちたものだったかをこの本で知り、いま深く恥じている。
ここ数ヶ月間、ある種の危機意識をもって、アンバランスなまでに読書に傾倒していたのだが、この本を読むことで、どうやら一つ峠を越えたなと思っている。あとは実際に、具体的な行為にしていくしかないと思っている。
3月になり、日ごと暖かくなり、もう春がきていることを感じながら、ヒトもまた、植物ほどではないが、季節に大きく左右される生き物なのだと実感している。春にはやはり希望を抱く生き物なのだと実感している。
投稿者 tsuyoshi : 2007年03月07日 02:07
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