« 2007年04月 | メイン | 2007年06月 »
2007年05月29日
幼稚園で話をする
今日は幼稚園で旅の話をするという、ちょっと変わったことをしてきました。
旅から帰ってすぐのころは何度か、大学生や一般の方の前で話をする機会があったのだけど、ここ一年は全くしていませんでした。小中高校でも話したことはありませんでした。それが突然、幼稚園児の前で話すことになりました。友人から話がきたときに、これはなかなか難易度が高いなあと思ったけれど、一体幼稚園児はどんな生き物なのだ? という興味がまさり、ありがたく話させてもらうことにしたのでした。
横浜にある幼稚園で、3歳から5歳の子どもたち十数人を前にして写真を見せたり旅で使ったテントを建てたりしたのですが、幼稚園児は実にかわいい怪物でした。とにかく元気で、みなすごく大きな目をしていて、普段接することのない世界だったので、僕にとっては濃密な異文化体験で楽しかったです。
建てたテントは二三人用で、それを旅の間は一人で使っていたのだけど、そこに子どもたちが嬉々として入っていました。横になれば七人の小人みたいに楽に七人は寝れそうなのが面白かったです。みなじっとしてられなくて、全身全霊で遊んでいて、なにかたくさんのエネルギーをわけてもらえたようでした。話のあとにテントや自転車や僕の絵を描いてくれたのだけど、どれも天才的な絵で素敵でした。
さて、そろそろ5月もおしまいです。
6月になったらすぐ、また沢に撮影に行こうと思います。今度は荒川の源流部に行きます。沢は一日歩くだけで満身創痍になるほど疲れるのだけど、幼稚園児の遊びに費やすエネルギーを見習って遡行し、幼稚園児の大きな目を思い出して撮影をしてきたいです。梅雨になり雨ばかり続いたとしても、幼稚園児の目で見るのなら、世界はきっと驚きと発見に満ち満ちており、撮りたい光景は無限にあるはずなのです。
投稿者 tsuyoshi : 20:47 | トラックバック
2007年05月22日
水越武写真展 大地への想い
日曜日に恵比寿ガーデンプレイスにある東京都写真美術館へ行き、「水越武写真展 大地への想い」を見てきた。
小説家の小川洋子さんが「いい小説を読んでいると、自分も、今すぐにでも机に向かって小説を書きたくなる。そういう気持ちにさせてくれる小説が私にとっていい小説だ。」というようなことをエッセイに書いていたが、それと全く同じ想いを、水越さんの写真を見ながら思っていた。いますぐ家に帰り、カメラをザックに入れて、また水源域の撮影に行きたくて、ため息をつきながら、一点一点に見入った。こんな突き動かされるような強い想いを抱かされた写真展は初めてだった。本当にすばらしいものに接すると、魂を鼓舞されるような喜びがあり、それが何か訳の分からない力となり、地底から吹き上がる風のように、ふつふつと、ああ僕ももっといいものが撮りたい、もっと深く知りたい、そしてもっともっと深く考えたいと、一歩も二歩も突き動かされ、その写真に、高峰を仰ぎ見るような憧れを抱いた。
その日は水越さん本人のギャラリートークがあり、会場を廻りながら写真の解説を聞いたのだが、どの写真に対しても水越さんは口ぐせのように「どうしても○○が撮りたかったんです」と、言っていた。例えばギアナ高地のエンゼルフォールズの写真を前に「どうしても熱帯雨林に滝が吸い込まれていく様子が撮りたかった」と言い、大雪山の稜線がシルエットになっている写真をまえに「どうしても本州にはないなだらかな稜線を撮りたかった」と言っていた。だからこう撮り、だから不要なものを排除したと言っていた。
どの写真も、その写真はそう撮られなければならないという確固たる内的必然性があり、「どうしても」という言葉の背後には、生態系に対する透徹した哲学や生命観が流れていた。ただきれいなだけの風景ではない、「どうしても」という必然性に裏打ちされた写真には、張りつめた緊張感が漂い、テーマが要求するものから一歩も引かないという覚悟がみなぎっており、美しかった。
水越さんの40年間の写真家としての歩みは、二十代後半から取り組んだ穂高の山岳写真から始まっている。研ぎ澄まされたナイフのようなストイックな穂高の岩と雪のモノクロームの写真からはじまり、日本の原生林やヒマラヤの高峰、熱帯雨林など世界中に広がっている。
初期の穂高に取り組んだ日々について、水越さんはこう回想している。
テントや雪洞で暮らし、いつ果てるとも知れぬ猛吹雪の中で、ゴーゴーと渡って行く風を一人で聞きながら、自分の理想とする写真が1枚できたら命と替えてもよい、などと真剣に考えていた。当時は1カ月も2カ月も下山せず、死に物狂いで自然と向き合っていた。思い出すだけで今でも胸が熱くなる。山と写真のことだけを考えていた。(展覧会のカタログより)
その二十代後半から10年間取り組んだ穂高の写真が原点にあるからだろうか、テーマが地球全体にまで広がった以後の作品にも、カラーなのにモノクロームのような写真が多く、ぎりぎりまで削ぎ落とし、単純化し、テーマを明確に浮き彫りにしている写真が印象深かった。その孤独でストイックな色調がこの上なく美しく感じられた。特に、黒と青の深さが美しかった。
好奇心のおもむくまま、少しでも高く、遠くへとひたすら自分の足で歩き、私は夢や憧れの軌跡となる写真を持ち帰った。 遠くには地平線があり、高くには山があった。どこを歩いていても頭の隅には大地への想いが常にあった。地球はなんと美しく、無限の表情を持ち、多様性に富んだ不思議な生き物を抱え込んでいることか。(展覧会のカタログより)
「解釈を拒絶して動じないものだけが美しい」という小林秀雄の言葉を思い出す。
水越さんは「「地球」を視野に入れた自然観、新しい地球観を持つべき時代がやって来ている」と書いているが、「新しい地球観」はきっと、僕たちの一人一人が何を心から美しいと思うのか、どんなものに心を奪われるのかによって形作られていくのだと思う。僕は水越さんの写真に魅了された。水越さんが向かっている方へ僕も体を立てたいと思った。魅了されるとはそういうことなのだと思う。
投稿者 tsuyoshi : 07:46 | トラックバック
2007年05月20日
それ自身の存在のため/解釈を拒絶して動じないもの
多摩川の源流部へ11日間行き、水干沢、竜喰谷、大黒茂谷、雨降川長久保沢、大雲取谷小雲取谷と、沢を連続して五つ遡行し撮影してきた。
沢を歩いている間、ことあるごとに、ひとつの言葉が繰り返し脳裏をよぎっていた。それは、「人間のためでも誰のためでもない、ただそれ自身の存在のために息づく自然」という言葉。
多摩川の源流部で、ひっそりと咲いているヤマツツジを見つけたとき、シカの立派な角が落ちているのを発見したとき、ミズナラの巨木を見上げたとき、滝壺に水が落下する様にみとれていたとき、しきりに「人間のためでも誰のためでもない」「ただそれ自身の存在のため」という言葉が思い出された。星野道夫の本のどこかにあった言葉だということは分かるのだが、それがどの本かは忘れてしまっていたので戻ってきてから探したら、『長い旅の途上』の中の一節だった。
白い雪の原野に、小さな黒い点が見えてきた。
「クマかもしれない」
パイロットがつぶやくと、上空からまっすぐ近づいていった。
一頭のハイイログマが、生命のかけらさえも見えない白い世界で、何かを考えているかのように、ポツンと座っている。獲物を狙っているのでも、歩いているのでもない。ただそこに、ポツンと腰をおろしている。
どんなにドラマチックなシーンより、こういう風景が強く記憶に残ってゆく。アラスカの広さを知るのは、この時である。
人間のためでも、誰のためでもなく、それ自身の存在のために自然が息づいている。そのあたりまえのことを知ることが、いつも驚きだった。
それは同時に、僕たちが誰であるかを、常に意識させてくれた。
多摩川の源流域から帰ってきて、世界一周中のあすかさんのブログを覗いてみると、イグアス滝の文章と写真がアップされていた。奥多摩の小滝ばかり見てきたぼくの目に、イグアスの滝はあまりに巨大で、スケールが違いすぎ、圧倒された。
ブログに小林秀雄のこんな言葉が紹介されていた。
「解釈を拒絶して動じないものだけが美しい。これが宜長が抱いた最も強い思想だ。解釈だらけの現代ではもっとも理解されにくい思想だ。」小林秀雄
解釈を拒絶して動じないものだけが美しい。ああ本当にそうだと、深く腑に落ちる言葉だった。そしてこの言葉を読んで、「それ自身の存在のために息づく自然」には、そのスケールに関係なく、解釈を拒絶して動じない美しさがあると思った。
解釈を拒絶して動じない美しさ。それは確かに奥多摩の数メートルの小滝にもあった。その小滝が、誰かに見られようが見られまいが関係なく、山奥でずっと滝壺に水を落下させている様には、静かに込み上げる驚きがあった。圧倒的なスケールで飲み込まれる美しさではないけれど、ロウソクの炎をじっと眺めるような、純粋な驚きに打たれながらいつまでも眺めていられる光景だった。
解釈を拒絶して動じないものだけが美しい。
なんていい言葉なんだろう。こういうすばらしい言葉にはある種の感染力が宿っていて、僕はすぐに感染してしまった。そして今度は、街を歩いていても、電車から外を見ていても、ことあるごとに「解釈を拒絶して動じないものだけが美しい」という言葉が脳裏をよぎるようになり、その小林秀雄の張りつめた弦のような美しい美意識を、いくばくかなりとも身につけたいと切実に思うようになった。
ps.
肝心な写真の出来は、技術不足、勉強不足が露呈し、納得できるものではなかった。現像したものを確認したあと大反省した。光景への対峙の仕方も、写真への姿勢も、なにもかもが中途半端で未熟だと自覚できたことが最大の収穫だった。
