2007年08月19日
映画「ひめゆり」
「ひめゆり」というドキュメンタリー映画を観た。
前からこの映画を見たいと思っていて、東中野にある映画館でレイトショーで上映しているのも知っていて、行こう行こうと思いながら夜8時ぐらいになると決まって急に眠くなり、何日も行き逃していたのだけど、今日ようやく観ることができた。
8時ごろになると急に眠くなったのは、この映画とちゃんと対峙するのがつらいなと感じていたからだと思う。
沖縄戦で「ひめゆり学徒隊」の一人一人がどのようなことを体験したかを、生き残ったおばあたちの証言で綴るドキュメンタリー映画。
この映画のことは、Coccoのスピーチ(Cocco - 沖縄ゴミゼロライブ - Peace)を見たことがきっかけ。
それからCoccoが映画のパンフレットなどにメッセージを寄せていることを知り、ぜひ見てみたいと思ったのだ。
映画が始まってすぐ、やっぱり途中で部屋を出ちゃうかもしれないと思った。ぼくの器はあまりにもちいさく、すぐに溢れてしまうと思った。
でも、映画の中で話してくれているおばあたちの痛みに比べたら、その証言を聞く痛みなどとるに足らないものだとも思い、それにおばあたちの表情が、とてもつらい体験を語っているにも関わらずどこか希望とやさしさに満ちていたから、最後まで観ることが出来た。
そして、僕は本当になんにも知らなかったと思った。
知識や情報ではちきれそうになっている僕の頭は、でも本当に知らなければならないことがすっぽり抜け落ちていると思った。
一人一人の、生身の人間に起こったこととして知ることなしに、どんな出来事も本当の意味で知ることなんて出来ないんだと痛感した。
過去を現在につなげていくこと。それは時に痛みを伴うけれど、僕たちがいまどんな場所に立っているかを知らないと、ちゃんと自分の足で立つことが出来ないから、いま立っている場所はどんな過去とつながっているのか、ちゃんと知りたいと思う。
かつて僕は、「強さ」というのは、異国の地に一人でいても、圧倒的な孤独の中にいても、どれだけ厳しい自然状況のなかにおかれても、生きていけることだと思っていた。
そんな強さがほしいと思い、単独で山に登ったり旅をしたりした。
でも「強さ」ってそういうものだけじゃないといまは思う。
自分の立っている現実から目を逸らさない強さ、思考停止をしないで考え続ける強さ、他者の痛みをありありと自分ごととして受けとめられる強さ、自分のなすべきこと、やり遂げるべきことを探し、みつけたらそれを全うして生きる強さ。いまはそんな強さに憧れている。
映画を見に行こうとするだけで眠くなってしまう僕はいまあまりに弱いけれど、そんな強い人になりたいと思った。話してくれたあのおばあたちに感謝するとともに、その強さに逆に励まされるような気がした。
多くの人にぜひ見て欲しい映画です。
痛みを感じずに観ることはできない映画だけれど、おばあたちの明るさと、南国の、命を肯定してくれるような光景に助けられ、痛みが深いところから希望に変わっていくのを感じられる映画でした。
投稿者 tsuyoshi : 2007年08月19日 02:23
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