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2007年09月02日
次の十年、「根」と「葉」について
あと二カ月とちょっとで三十歳になります。
自分が生きた年月を数字にされると、多いのか少ないのかよく分からないけどいつも違和感があります。でも、ともかくもうすぐ三十になるようです。
二十代は旅の時代でありたい。
たしか、二十歳になったばかりのころ強くそう願いました。「時代」なんていう言葉を使うあたりが若いなあと思うのですが、いま振り返ると確かにそのとおりになっていました。
二十代前半は山と自転車旅に明け暮れました。単独で沢や冬山へ行き、喜望峰から日本まで三年半かけて自転車で旅しました。
二十代後半は、読書や執筆を主とした内面の旅に明け暮れていました。物理的に動く旅をする余裕はほとんどなく、主に自分の中へ深く下りていくような旅をしていました。
この十年間、物理的にも内面的にも、よく旅したなあと思います。
意図してこうなったというよりも、振り返ってみたらこうなっていたというのが正直なところですが、みごとに二十代前半と後半で旅の性質が違っています。
二十代前半は、自分を外の世界に放り出したいという止むに止まれぬ情熱で旅立ち、現実に直面するような若い旅でした。そして後半は、三年半の自転車旅で抱えきれないほどの「問い」を持ち帰ってしまったので、途方に暮れながらずっと言葉を探していました。
「世界」や「自分」について思うときはよく『スティル・ライフ』という小説の冒頭におかれている、一遍の詩のような美しい文章を思い出します。
この世界はきみのために存在すると思ってはいけない。世界はきみを入れる容器ではない。
世界ときみは、二本の木が並んで立つように、どちらも寄りかかることなく、それぞれまっすぐ立っている。
きみは自分のそばに世界という立派な木があることを知っている。それを喜んでいる。世界の方はあまりきみのことを考えていないかもしれない。
でも、外に立つ世界とは別に、きみの中にも、一つの世界がある。きみは自分の内部の広大な薄明の世界を想像してみることができる。きみの意識は二つの世界の境界の上にいる。
大事なのは、山脈や、人や、染色工場や、セミ時雨などからなる外の世界と、きみの中にある広い世界との間に連絡をつけること、一歩の距離をおいて並び立つ二つの世界の呼応と調和をはかることだ。
たとえば、星を見るとかして。
(池澤夏樹『スティル・ライフ』中公文庫より)
僕は、「世界」と「自分」を、二本の木が並び立つというイメージで捉えたことはないけれど、両者の間に「連絡をつけること」「呼応と調和をはかること」に深く共感します。
「世界」と「自分」との関係を考えるとき、このごろぼくはよく、一本の木をイメージします。森の中に立つ一本の木のように世界と連絡をつけたいなと思うのです。
一本の木は主に「根」と「葉」とで世界と連絡をつけています。
「根」は、暗い地中に深く伸び、「自分」を「世界」と繋げ、そのことで自立しています。
「葉」は、明るい空の中で光を受け、「自分」を「世界」に向けて開き、そのことで森の一部になっています。森の中に場を得ています。
そういう木のありかたに、なにかとても大切な、見習うべきものがある気がするのです。
次の十年、僕は三十代もやはり旅をし続けたいと思っています。
でもそれは二十代と同じことをやるのではありません。
旅とは、不確実な状況のなかへ踏み出していくことです。
ありったけの知恵と勇気をふりしぼり、すこしづつ進んでいくことです。
「世界」を見て、「自分」を見たあとは、やはり「世界」と「自分」の間に連絡をつける作業に取り掛からなければなりません。
そういう旅を、次の十年もやっていきたいのです。
先日、「樹のたねになる夢を見た」という詩を書いたときに、ああようやく僕は種になったのだなと思いました。二十九年かけてやっとここまで来て、そしてこれからはじまるのだと思いました。これから根を生やし、葉を繁らせていくのだと思いました。
根を生やすことは「自分」を「世界」と繋げていくことです。
葉を広げることは「自分」を「世界」に向けて開いていくことです。
似たようなことに思われるけれど、やはり全然違います。
根を生やすことは、闇の中で、孤独に、深く大地の奥へと向かうことです。歴史に学び、過去の偉人たちに学び、過去と現在を繋げ、その上で自分の両足で立とうとすることです。
葉を広げることは、光の中で、いま共に生きている他者と調和し、垂直に天に向かうことです。ここからすべての場所へ自分を開いていくことで、世界のなかに居場所を作っていくことです。
「根」のベクトル、「葉」のベクトル、どうしても両方必要なのです。
「自分」という境界を保ったまま、「世界」に繋がり、「世界」に向けて開いていくこと。僕は、この二つのベクトルを意識し、樹のあり方を意識しながら、世界と連絡をつけていきたいです。
世界と連絡をつけるということは、具体的に形にしていくということでもあります。抽象的な概念の上ではなく、実際に、生活の中に実現させていくということでもあります。理想を現実と接続させていくということでもあります。ちゃんと届く形にしていくということでもあります。
十年前の、二十歳を目前としたあのころは、不安と希望に押しつぶされていたように思います。三十を目前としている今も同じぐらいの圧力を感じているけれど、不安と希望は同じものの別名なのだということは、この十年で学んだことの一つです。四十を前にしたときはいったいどのように感じているのでしょう?
でもそんな先のことを思うよりも前に、ともかくあと二カ月生き延びなければなりません。無事に三十を迎えることに集中せねばなりません。そうでないと、せっかく書いたこの三十代の抱負が台無しになってしまいます。
来週あたりまた沢に行きます。水源の撮影は方法論も含め模索中で、いろいろと試しているのだけどまだ鉱脈にあたってはいません。時期がくれば自ずと、と思いながらジタバタするしかないようです。二十代を三十代へとリレーしていくことがこの水源行に求められていることなのかもしれません。
投稿者 tsuyoshi : 2007年09月02日 08:36
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