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2007年09月30日
映画「水になった村」
先週ゆーさん(石田ゆうすけ氏、自転車旅友だちかつ阿佐ヶ谷のご近所さん)が、おすすめだよと映画「水になった村」のパンフレットと割引券をぼくのアパートの郵便受けに入れてくれてた。次の日友だちの寺町くんから来週「水になった村」っていう映画見に行きませんかというお誘い。
ほぼ同時に二人の友人から誘われ、これは絶対見に行かねばと思い、土曜日にポレポレ東中野へ行ってきた。
実は以前「ひめゆり」という映画を同じ映画館でみたとき、「水になった村」というタイトルだけは目にしていた。でも特に心に留まらなかったのは、タイトルから、暗い、悲しい、気が重たくなるイメージが浮かび、ああそういう映画かと思ってしまったからだと思う。
でもとんでもないのである。むしろ正反対で、明るく、楽しく、そして透明な哀しみに満ちた不思議な清々しさが、見終わったあともずーっと残っている。
ダム建設に伴い水に沈むことになる徳山村に、「村が沈んでしまうまでできる限り暮らし続けたい」と、移転先から何家族かの老人たちが戻ってきていた。そのじじばばたちの暮らしぶりを監督の大西さんが15年間通い続け撮りためたドキュメンタリー映画。
ともかく食べてばかりの映画だった。
山菜や木の実などをとり、畑の野菜を収穫し、魚をとり、それを料理し、ともかく尋常ではない量を食べていた。ソフトボール大のぼたもちを二つも三つも食べ、一回の食事で、監督とじょさんという八十代のおばあちゃんとで五合の炊き込みご飯を平らげていた。すごくおいしそうだった。
そんなに食べても太らないのは、きっとずっと働き続けているから。山菜をとりに何時間もかけて野山を往復し、それを大変な手間をかけて漬け物などにし、ほぼ一日中ずっと食べ物を作り続けている。
この映画を見ていると、生きることと食べることと働くことが直結していて、そのシンプルさがきらきら光ってまぶしいぐらいだった。
見終わったあと配られていたアンケート用紙に感想を書こうとしたのだが、いい映画を見終わったあとの常でなにか頭がぼーっとしてしまい、とても言葉にならず、ただ「すごくよかったです」ということぐらいしか書けなかった。もうちょっとこのぼーっとした、言葉にならない、とても幸せな余韻の中にいたい、もう少ししたらやはり、そのぼーっとした霧のような状態をぎゅっと透過させて言葉にしていくことになるのだろうけど、せめて見終わった直後だけは、頭に乱反射しているイメージの断片と音楽の余韻の中にいたいと思っていた。
映画の冒頭に、村道にゆっくりと水が迫りバッタが驚いている映像と、大きな一本の杉の木が半分まで水没している映像があった。ありえない事態に、昆虫も、木々も、とても驚いているようだった。
じょさんの大きな家が取り壊される映像は余りに悲しかった。一体僕たちはこれほどのものを犠牲にして何を得ようとしているのか、取り返しがつかない性急な変化の中で、どこへ向かおうとしているのか。
村から移転先に引っ越したある老人が、もう20年も住んでいるけれど仮住まいのような感じだと言っていた。
その感覚は、ぼくにとっては日常的なものになっている。大きな変化の方向として、狭く深く大地とつながっていた人間が、その接続の仕方を変え、広く浅くつながるようになっているのだと思う。そういう変化のなかに僕もいるから、どんな場所にいても仮住まいのような感覚を覚えることがもはや当たり前になっている。
単純に昔がよかったなどとは思わないし、この映画もそういう押し付けがましいところはない。
ただ淡々と、底抜けに明るいじじばばの暮らしぶりを伝えてくれるだけなのだが、それが僕にとってはなにかユートピアのように見え、眩しいほど楽しそうな暮らしに思えた。本当は、地上にユートピアはないということは分かっているはずなんだけど。
何を美しいと思うのか、どんな光景が輝いて見えるのかが、変化の方向を決めていくのだと思う。巨大なダムや、超高層ビルを見上げたときに心躍るようなものを覚え、大都市の、何でも買える便利さ、どこへでも行ける自由、多くの人やすばらしい作品に出会える可能性に未来が開かれていると感じるのなら、そういうものを押し進める方へと世界は変化しつづけるだろうし、木漏れ日や小川の透明な水を美しいと思い、薪で焚く風呂や、自分で採った山菜の漬け物や、自分の手でなんでも作る生活をいとおしいと思うのなら、もうちょっと節操のある方向へと舵を切っていくのだろう。
僕は、困ったことに両方ともが魅力的に思える。
だから両者に引き裂かれているというのが正直なところ。
でも、矛盾を抱えながら引き裂かれてしまうのではない、新しい大地との関係の仕方がきっとあるとも思っている。(思いたいのだ)
この映画には、そういう新しい価値観を育てていくヒントがどっさりと詰まっている気がした。
主題歌は宮澤賢治作詞、李政美(イジョンミ)さんが歌う「星めぐりの歌」。
この歌は「双子の星」という童話のなかに出てくる歌でもある。
正しく強く生きるとは銀河系を自らの中に意識してこれに応じて行くことである(「農民芸術概論・序論」)
という賢治のことばを思い出す。
じじばばの世代の、銀河系に応じて生きる生き方を参考に、ぼくたちの世代は、どうやって銀河系を意識し、どうやってそれに応じていくことができるのだろうか。徳山村の日常を撮った作品であるのだけど、決して徳山村に限ったことではない、なにか宇宙的な広がりをも感じさせる作品だった。
この映画は、見終わったあと無性に人に勧めたくなるような力があります。
なにか、大切なバトンを渡された気になり、星めぐりのようにリレーしていきたいという気になるのです。友人から勧められてみた映画、順送りに繋がっていけたらなと思う。心からおすすめします。
ps
ポレポレ東中野での上映は10月5日までなのでもうすぐ終わってしまいます。
大垣での上映は10月中旬までのようです。
名古屋、長野、大阪ではこれから上映されるようです。
詳しくは「水になった村」のHPで。
ps2.
ネットをうろうろしていたら、さげさかのりこさんの感想を見つけた。
僕は「考える人」という雑誌が大好きで、そこに連載されているさげさかさんの「娘と私」というエッセイの大ファンでいつも楽しみにしているのだが、映画の感想もとても丁寧に書かれていて読み応えがあった。「一番悲しいことは、終わってしまうことではなく、続かないということだ」ってほんとうにそう思う。
投稿者 tsuyoshi : 2007年09月30日 13:48
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