2008年12月29日

五年間の沈黙

としくんとはじめて会ったのは2002年の2月。
カルカッタのサダルストリートにある同じ宿のドミトリーで出会い、多くを話した。そのとき彼は大学を休学し、一年間インドやパキスタンを旅していた。
次に会ったのは一年半後の夏。僕はそのころ神奈川県の藤沢に住んでいた。彼は就職活動をしに東京へ来ており、僕の家に数泊した。

そして先日、阿佐ヶ谷で五年ぶりに再会した。
駅で待ち合わせ、カルカッタカフェへ行く。
カルカッタで出会った友人と、カルカッタカフェで話せるのはなんと言っても楽しいことだ。彼とこの五年間おたがい何をしていたかを話す。

彼は就職をせずに、この五年間インドと日本を行き来し、ずっと瞑想をしていたと言った。
インドでは、地図に載っていないような田舎の村の、地元の人しかいない瞑想センターでずっと座っていたのだという。朝から晩まで、一日10時間、10日間連続で座り、数日休み、また10日間座る、あるいはその瞑想センターでボランティアスタッフとして働くということを繰り返していた。瞑想している期間は、アイコンタクトも含め、他者とのあらゆるコミュニケーションができないのだという。

その日は彼は僕の家に泊ってくれた。
彼は毎日夜と朝、最低一時間は座っているのだという。
僕の家でも、夜電気を消してから、座っていた。
僕はいったん横になったが、なんとなく一緒に座ってみたくなったので、おきあがり、僕もやってみると言って座った。
「呼吸を意識する」という彼からのアドバイスを受け、目を閉じ、座ってみる。
座ってみると、その日にあったこと、ここ数日あったこと、現在抱えている想い、これからのことなどが様々に行き来する。そして様々な感情が湧き上がってくる。そしてすぐに呼吸を意識することを忘れる。しばらくしてから思い出し、ゆっくり呼吸する。呼吸を意識する。
一時間ぐらい座ってから、これぐらいかなと思って寝た。

朝も、目が覚めてからすぐに坐っていた。僕もかれにならって座る。
やはり様々な感情が浮かんでは消える。そして大きく感情が揺れ、不安になる。しかし、すぐ横で彼が座っている気配があり、きっと彼はこの五年間、僕がいま経験している感情とは比べ物にならないぐらいの深い場所をくぐってきたのだと思うと、そこに彼が座っているだけで安心感があった。
目を閉じて座ることであらゆる方向に感情は揺れるが、呼吸を意識することで、揺れる感情を中心に戻すような感覚があった。そして振り子が振れるように感情と呼吸を行き来しているうちに、感情がゆっくり地面に抜けていくような、過剰なものがアースされていくような気がした。
一時間ぐらい座ったときに、セットしていた目覚ましが鳴り、お互い目を開けて、おはようと挨拶をする。
それから着替え、出かける用意をして、駅のホームで別れた。

五年間、絵や文章などの作品を制作していれば、それを見てもらうことで、どのような日々だったのかを示すことができる。しかし彼はただひたすら座るという行為だけをしていた。それで示せるのは、自分の身にまとっている気配だけだ。

彼は、五年前とは見違えるほどに、なにか静けさを身にまとっていた。五年間いったいどれだけの深い沈黙と孤独の中にいたのだろうと想像すると気が遠くなる。ありとあらゆる関係性から切り離され、一人で座っていた姿が目に浮かぶ。よくもそれだけ遠くに離れることができたなと思い、そしてよく帰ってきたなと思った。彼は、家族や友だちから遠く切り離され、生きているのかどうかも分からない状況も短くはなかったのだという。
彼が「ひとりになりたかったんだよね」とふと漏らした言葉が忘れられない。そして、「結局ひとりにはなれなかったんだよね」とも言っていた。

彼はつい最近携帯電話を持ったと言って、僕に見せてくれた。
特に気負うこともなく、自然に持つことができたと言っていた。
それを聞いて、ああ本当に帰ってきたんだなと思った。長い長いひとりきりになる旅を終え、関係性の中に生きようとしているんだなと思った。
彼はカウンセラーになろうと思っていると言っていた。彼の静けさを身にまとった気配と、中心がぶれない感じ、ありとあらゆる感情を座ることで大地にアースしていける技術があれば、きっとすごい深みの中で他者の声に耳を傾けられるだろうなと思った。

投稿者 tsuyoshi : 2008年12月29日 22:20

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