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2009年02月06日
冬枯れの桜並木の下を走る
阿佐ヶ谷を南下し、青梅街道を横切り、住宅街をさらに南下すると、善福寺川に行き当たる。蛇行する川沿いが善福寺川公園という細長い公園になっており、川に沿って歩道があり、そこをほぼ毎日走っている。
夜、ジョギングシューズを履いて、銭湯セットを持って家を出る。銭湯の横のコインランドリーに銭湯セットを置かせてもらい、走り出す。なるべくゆっくり、息があがらないよう、体をほぐすように走り出し、そのペースを維持する。青梅街道を横切るときはよく信号に捕まるので、待っている間に体をのばす。夜の静まった住宅街をぬけ、善福寺川公園に行き当たったら左折して、あとは川沿いのいつものコースを走る。だいたい4、50分ぐらい走る。それからコインランドリーに戻り、銭湯セットを回収し、すぐ横の銭湯に行くか、あるいはすこし歩いたところにあるコインシャワーに行く。汗を流し暖まったら、家に帰りすぐに寝る。
善福寺川公園は川沿いがずっと桜並木になっている。
桜の枝が川に覆いかぶさるように伸び、その桜並木のトンネルをくぐるようにして走ることになる。
春になれば壮観な光景になるこの桜並木もいまはまだ冬枯れで、立ち枯れているようにすら見えるが、よく見ると小さなつぼみを枝のそこかしこに見つけることができる。この一見枯れたように見える枝や幹の中で、いま春に開いていく準備が、日に日に進んでいるのだろう。走りながら、目に見えない場所で着々と進んでいる変化のことを想う。
一月は走りはじめてしばらくしないと体が暖まってこなかった。二月になってもまだ寒いと感じることはあるが、どこか寒さの底を蹴ったような感覚を覚える。日々の変化はごく僅かでも、確かに一日一日と、春が近づいていることを感じる。あと数ヶ月すれば、確実に春がやってくる。
樹々は時あやまたず、春に開いていく。そのことの不思議さを想う。
去年も冬から春にかけて同じ場所を走っていた。まだ冬枯れの状態だった桜が、徐々に開花し、やがて満開になり、そして散り、青々とした新緑となるまでの変化を、走りながら見ていた。
去年も、一昨年も、満開の季節には友人と花見をした。その場所を通ると、ときおりそのときの光景と、そのときに話した友人たちを思い出す。
今年はどんな春を迎えることになるのか。
春に大きな変化を迎えることになる、幾人かの友人のことを想いながら、冬の間に樹々の内部に静かに満ちてきているものを想う。そして、人間も樹々のように、時あやまたず自然に変化できる生き物だったらよかったのにと思う。春に開き、夏に光に向かって伸び、秋に実ったものを渡し、冬に静かに満ちていく、そういう生き物だったら、そういうふうにできていたらよかったのに。
ゆっくり、呼吸を意識しながら樹々の下を走る。足の裏の痛み、膝にかかっている負荷、上半身の疲労などを、刻々とモニターしながら走る。
川には街灯が反射している。ときおりカモが泳いでいるのを見かける。護岸された、コンクリートの溝のような川だが、直線部分があまりなく、かつてのこの辺りがまだ野原か森だったころの形態を残しているのがいい。ぐねぐねと曲がりながら走るので、月が右に見えたかと思うと左に見え、正面だったのがいつの間にか背後になっていたりする。
毎日夜に走るので、月の変化を観察できるのもいい。三日月から上弦へ、満月から下弦へと、日に日に出る時刻も位置も角度も変わっている。
日々、あらゆることが変わっていることを想う。
水は流れている。樹々がつねに、その枝にまとうものを変えている。月がその位置を変えながら太陽の光を反射し続けている。自分を構成するものも、他者との関係も、変化し続けている。
黙々とジョギングしている人とすれ違い、その息づかいが聞こえてくる。何を想って走っているのか、他者の心を伺い知ることはできない。他者の心はいつだって、ジョギング中にすれ違う人のように、どのような想いを抱えているのか、あるいは抱えかねているのか、想像はできても、ほんとうのところは分からない。
「“予感”っていいよね。もっともいいことの一つかもしれない」
そう言っていた友人の言葉を思い出す。
何かを鎮めるように、何かを整えていくように、呼吸を意識して淡々と走る。春に開いていく予感に満ちた、冬枯れの桜並木の下を走るのはいい。目に見えない、明るい予感をたぐるように、静かに冬をすごすのはいい。
