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<title>その日を摘め</title>
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<modified>2009-05-16T19:08:54Z</modified>
<tagline>本、映画、展覧会などの感想、エッセイ、詩、山行記等</tagline>
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<copyright>Copyright (c) 2009, tsuyoshi</copyright>
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<title>穴に落ちる話　『f植物園の巣穴』梨木香歩</title>
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<issued>2009-05-14T16:43:05Z</issued>
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<summary type="text/plain">本屋の棚を見て歩いていたら、梨木さんの新刊『f植物園の巣穴』があったので買う。 ...</summary>
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<dc:subject>本</dc:subject>
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<![CDATA[<p>本屋の棚を見て歩いていたら、梨木さんの新刊『f植物園の巣穴』があったので買う。</p>

<p>最初の半分ぐらいを３、４日かけて少しずつ読む。夜寝る前に読むと、なにやらとてもいい感じ。この本に限っては、途中で眠くなったり、意識が混濁してきたりした方が、さらにおもしろさが増す。<br />
最後の方を真夜中から読み始め、空が白々としてくるころ読み終わる。それから寝て、起きてからもまだ何か、読後のあたたかさが残っていた。<br />
ここ数日は、なんとなく開いた箇所を読み直すのだが、どこを読んでも何度読んでも味わい深く、すぐにその世界に持っていかれる。</p>

<p>植物園の園丁が、椋（むく）の木のうろに落ちる話、と本の内容を説明しても、ほとんど意味を成さない。とてもストーリー性のあるリアルな夢を見て、でもその内容を説明できないのと似ている。あり得ない出来事がつぎつぎと起こるのに、物語は淡々と進んでいく。常にどこかに可笑しさがある。</p>

<p>主人公は幼い頃、芋虫を飼っていた。そして蛹（さなぎ）となったすぐのものを解剖したことがあった。蛹の中に芋虫はおらず液状化していた。芋虫は、蝶となる前に一旦分解され液状化し、そして新しく生まれ変わるのだという。</p>

<p>この本は、主人公が椋の木のうろに落ち、いままでの記憶が掘り返され、液状化し、新しく組み替えられるような話だった。<br />
主人公は、その落ちた先の異界で、じたばたしながらずっと何かを探し求めていた。最初は何を探しているのかさえ分からず、手探りをしていた。それがいつの間にか「千代」という女性、あるいは「千代なるもの」を探し、そして「千代」に会いたいと強く思った。<br />
この椋の木の巣穴には何が棲んでいるのだろう。この本を読むこと自体が、巣穴に落ちるような体験でもあった。</p>

<p>「穴に落ちる話」というのは、ある意味古典的で、だからこそ常に新しい。<br />
穴に落ちたまま戻って来れないという危険もある。<br />
しかし穴に落ちた先で、主人公はしなやかな生命力を発揮し、戻ってくる。<br />
その「しなやかな生命力」とは、理性的に分かろうとすることを諦め、とにかく受け入れ前に進む力。あるいは、ひょうひょうとしたユーモア。穴の中では、「一般常識」や「論理的思考」は通用しない。そのような、硬い殻に入ったような考えを突き壊すようにそれでも前に進む生命力。そのような力が、埋もれていた記憶を掘り起こし、蓋をしていた感情を解放する。<br />
そしてそれは、著者自身が、穴に落ちた先の世界で冒険し、危険を犯しながらもどうにか戻って来たということに他ならない。</p>

<p>新刊を待ちわびる著者がいるというのはとても嬉しい。<br />
書き出しの、旅行中に歯が痛みだすくだりが、『ぐるりのこと』の「物語を」というエッセイを思い出させる。その古めかしい文体が『家守綺譚』を思い出させる。異界で冒険する感じが『裏庭』を思い出させ、水生植物園を作ろうとするあたりが『沼地のある森を抜けて』を思い出させる。</p>

<p>要するに、今まで読んだ梨木さんの本が、すべてこの一冊に流れ込んでいることを感じる。そのような流れの最先端に、この一冊があるのを感じる。<br />
一人の著者を読み込んでいるということは、そういうことなのだろう。新刊以外にもう読む本がないというのはさみしいが、どこか、著者の川の流れを、その思索の歩行をたどるようで、黙々と進んでいくその足取りは、なにか、ほんとうに新しい場所へと向かっているようで、その足跡は、手さぐりしながら前に進むためのよき目印になる。<br />
一冊も読んだことのない著者の本を読むと、こういうことは起こらない。初めて出会った著者だと、過去の作品へと遡るように読むことになる。そういう読み方もまた楽しいが。</p>

<p>『f植物園の巣穴』から一カ所だけ引用する。<br />
乳歯がとれて、新しい歯の萌芽が見えたときに、「歯科医」が「私」に言う言葉。</p>

<blockquote>
——では、新しい歯の萌芽を励ましておきましょう。<br>
訳が分からぬながら、励ますと言われてやめてくれとも言えず、<br>
——頼みます。<br>
そう言うと、歯科医は私の口中に向かい、<br>
——自分が大きくなるときに、誰に遠慮がいるものか。ねたみひがみは蹴散らしてゆけ。<br>
と怒鳴った。<br>
</blockquote>]]>

</content>
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<title>風の夜の桜</title>
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<modified>2009-05-09T13:02:59Z</modified>
<issued>2009-04-05T08:43:42Z</issued>
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<summary type="text/plain">すこし風のある夜 川沿いの桜並木の遊歩道を歩く ところどころに街灯があり　桜の樹...</summary>
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<dc:subject>詩</dc:subject>
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<![CDATA[<p>すこし風のある夜<br />
川沿いの桜並木の遊歩道を歩く</p>

<p>ところどころに街灯があり　桜の樹々がてらされている<br />
もう満開のもの　まだ五分咲きのもの<br />
白くてらされた桜を見ながらゆっくり歩く<br />
ときおり風が吹き　樹々が白くゆれている</p>

<p>長い枝が川に覆いかぶさるようにのびている<br />
立ちどまり　枝先の花をじっと見る<br />
まだつぼみのもの　もう咲いているもの<br />
風にゆられ　花がこまかくふるえている</p>

<p>この花を咲かせているものはなんなのか<br />
ひとつの花をじっと見て　それから幹に手を触れる<br />
この花を咲かせているものはなんなのか</p>]]>

</content>
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<title>冬枯れの桜並木の下を走る</title>
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<modified>2009-02-09T10:06:49Z</modified>
<issued>2009-02-06T13:00:23Z</issued>
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<summary type="text/plain">阿佐ヶ谷を南下し、青梅街道を横切り、住宅街をさらに南下すると、善福寺川に行き当た...</summary>
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<dc:subject>日記・エッセイ</dc:subject>
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<![CDATA[<p>阿佐ヶ谷を南下し、青梅街道を横切り、住宅街をさらに南下すると、善福寺川に行き当たる。蛇行する川沿いが善福寺川公園という細長い公園になっており、川に沿って歩道があり、そこをほぼ毎日走っている。</p>

<p>夜、ジョギングシューズを履いて、銭湯セットを持って家を出る。銭湯の横のコインランドリーに銭湯セットを置かせてもらい、走り出す。なるべくゆっくり、息があがらないよう、体をほぐすように走り出し、そのペースを維持する。青梅街道を横切るときはよく信号に捕まるので、待っている間に体をのばす。夜の静まった住宅街をぬけ、善福寺川公園に行き当たったら左折して、あとは川沿いのいつものコースを走る。だいたい４、５０分ぐらい走る。それからコインランドリーに戻り、銭湯セットを回収し、すぐ横の銭湯に行くか、あるいはすこし歩いたところにあるコインシャワーに行く。汗を流し暖まったら、家に帰りすぐに寝る。</p>

<p>善福寺川公園は川沿いがずっと桜並木になっている。<br />
桜の枝が川に覆いかぶさるように伸び、その桜並木のトンネルをくぐるようにして走ることになる。<br />
春になれば壮観な光景になるこの桜並木もいまはまだ冬枯れで、立ち枯れているようにすら見えるが、よく見ると小さなつぼみを枝のそこかしこに見つけることができる。この一見枯れたように見える枝や幹の中で、いま春に開いていく準備が、日に日に進んでいるのだろう。走りながら、目に見えない場所で着々と進んでいる変化のことを想う。</p>

<p>一月は走りはじめてしばらくしないと体が暖まってこなかった。二月になってもまだ寒いと感じることはあるが、どこか寒さの底を蹴ったような感覚を覚える。日々の変化はごく僅かでも、確かに一日一日と、春が近づいていることを感じる。あと数ヶ月すれば、確実に春がやってくる。</p>

<p>樹々は時あやまたず、春に開いていく。そのことの不思議さを想う。<br />
去年も冬から春にかけて同じ場所を走っていた。まだ冬枯れの状態だった桜が、徐々に開花し、やがて満開になり、そして散り、青々とした新緑となるまでの変化を、走りながら見ていた。<br />
去年も、一昨年も、満開の季節には友人と花見をした。その場所を通ると、ときおりそのときの光景と、そのときに話した友人たちを思い出す。</p>

<p>今年はどんな春を迎えることになるのか。</p>

<p>春に大きな変化を迎えることになる、幾人かの友人のことを想いながら、冬の間に樹々の内部に静かに満ちてきているものを想う。そして、人間も樹々のように、時あやまたず自然に変化できる生き物だったらよかったのにと思う。春に開き、夏に光に向かって伸び、秋に実ったものを渡し、冬に静かに満ちていく、そういう生き物だったら、そういうふうにできていたらよかったのに。</p>

<p>ゆっくり、呼吸を意識しながら樹々の下を走る。足の裏の痛み、膝にかかっている負荷、上半身の疲労などを、刻々とモニターしながら走る。<br />
川には街灯が反射している。ときおりカモが泳いでいるのを見かける。護岸された、コンクリートの溝のような川だが、直線部分があまりなく、かつてのこの辺りがまだ野原か森だったころの形態を残しているのがいい。ぐねぐねと曲がりながら走るので、月が右に見えたかと思うと左に見え、正面だったのがいつの間にか背後になっていたりする。<br />
毎日夜に走るので、月の変化を観察できるのもいい。三日月から上弦へ、満月から下弦へと、日に日に出る時刻も位置も角度も変わっている。</p>

<p>日々、あらゆることが変わっていることを想う。<br />
水は流れている。樹々がつねに、その枝にまとうものを変えている。月がその位置を変えながら太陽の光を反射し続けている。自分を構成するものも、他者との関係も、変化し続けている。</p>

<p>黙々とジョギングしている人とすれ違い、その息づかいが聞こえてくる。何を想って走っているのか、他者の心を伺い知ることはできない。他者の心はいつだって、ジョギング中にすれ違う人のように、どのような想いを抱えているのか、あるいは抱えかねているのか、想像はできても、ほんとうのところは分からない。</p>

<p>「“予感”っていいよね。もっともいいことの一つかもしれない」<br />
そう言っていた友人の言葉を思い出す。</p>

<p>何かを鎮めるように、何かを整えていくように、呼吸を意識して淡々と走る。春に開いていく予感に満ちた、冬枯れの桜並木の下を走るのはいい。目に見えない、明るい予感をたぐるように、静かに冬をすごすのはいい。<br />
</p>]]>

</content>
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<title>朝の寝床</title>
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<modified>2009-01-26T02:07:31Z</modified>
<issued>2009-01-26T01:59:24Z</issued>
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<summary type="text/plain">朝の寝床は 甘い沼地 足の裏で 沼地の底をさぐる...</summary>
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<dc:subject>詩</dc:subject>
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<![CDATA[<p>朝の寝床は<br />
甘い沼地</p>

<p>足の裏で<br />
沼地の底をさぐる</p>]]>

</content>
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<title>新しい習慣</title>
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<modified>2009-01-11T12:49:22Z</modified>
<issued>2009-01-11T10:03:16Z</issued>
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<summary type="text/plain">なるべくテレビを見ない かわりに本を読む 人の話をしっかり聞く 洗い物を流しにた...</summary>
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<dc:subject>日記・エッセイ</dc:subject>
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<![CDATA[<p>なるべくテレビを見ない<br />
かわりに本を読む<br />
人の話をしっかり聞く<br />
洗い物を流しにためない<br />
布団を敷きっぱなしにしない</p>

<p>ここ数年で身につけた、あるいは身につけつつある、習慣の数々。<br />
新しい習慣は、ほんとうに大きな変化をもたらす。</p>

<p>新年は、新しい習慣を身につけようとするのに最適の季節。<br />
正月に、いままでのよい習慣を維持しつつ、<br />
もうひとつ新しい習慣をつけ加えようと思い決めた。<br />
それは太陽とともに生きること。<br />
具体的に書けば、早寝早起き。<br />
真夜中の、やさしい泥沼のような居心地のよい場所から徐々に離れ、<br />
太陽の下で、日光に晒されて生きる一年でありたい。</p>

<p>今年もよろしくお願いします。</p>]]>

</content>
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<title>自己凝視の先にある光景　「石田徹也ー僕たちの自画像ー展」</title>
<link rel="alternate" type="text/html" href="http://hanamote.com/blog/archives/2008/12/post_171.html" />
<modified>2009-01-14T13:33:59Z</modified>
<issued>2008-12-30T08:36:35Z</issued>
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<summary type="text/plain">自転車に乗って、阿佐ヶ谷から中杉通りをずっと北上すると、 西武新宿線を横切り、西...</summary>
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<dc:subject>展覧会</dc:subject>
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<![CDATA[<p>自転車に乗って、阿佐ヶ谷から中杉通りをずっと北上すると、<br />
西武新宿線を横切り、西武池袋線の中村橋駅に着く。<br />
駅のすぐ近くにある、練馬区立美術館へ。</p>

<p>「石田徹也ー僕たちの自画像ー展」<br />
衝撃と、深い痛みを感じながら、一つ一つ、ゆっくり見ていく。見終わってから、もう一度始めから見直す。そしてさらにもう一度、気になった絵を、凝視するようにじっと見てから外に出て、もう暗くなった道を阿佐ヶ谷へ戻る。</p>

<p>彼のことは、本屋で立ち読みした画集で知っていた。<br />
はじめ友人から展覧会があると聞いたときは、その閉塞感以外の何物でもない絵を、わざわざ見に行こうとは思わなかった。しかし、別の友人も見に行くつもりと言っていて、自転車ですぐに行ける距離だということもあり、行ってみたのだった。</p>

<p>彼が３１歳で亡くなっているということ。<br />
その事実が、どの絵にも付いて来てしまう。<br />
彼の絵にはほとんどすべて、自画像と思われる男が登場する。その男は何年間もずっと無表情だったのだが、あるときを境に、明らかに変わっていく。</p>

<p>初期のころの、社会風刺的な作品のイメージしかなかったので、段々と作品のスケールが大きくなり、うつろな目をした自画像が、涙をためた目になり、そして、涙を流した目になっていったときに、ああ、１０年間の自己凝視の果てに、普遍的な水脈にたどり着いている、修行僧のようにひたすら自画像を描き続けて、そして「自分」を凝視し続けたその先に、「自分」が消失した場所、水が流れている場所、波が打ち寄せている場所、そんな場所にたどり着いているのに、そこで彼は亡くなってしまった、そのことが痛ましくてならなかった。</p>

<p>この先の絵が見たかった。</p>

<p>晩年の絵を見ていると、この先にどんな世界が開けてきただろうかと思えて、残念でならない。この先、もし彼が生きていたら、自分がいない絵を描いたのではないか。あるいは、波打ち際、草原、海、川などと一体化した絵を描いたのではないか。そんなことを思う。</p>

<p>自己凝視した、自分という檻を見せられる作品は多い。そういう作品をみると、自分もまた狭い場所に押し込められるような閉塞感を感じさせられ、正直に言ってあまりいいものだとは思わない。</p>

<p>そういう狭い場所を抜けた先にあるものを見たい。<br />
心が明るく開けてくるような、命が肯定されるような、自分の檻の扉が開くような作品。<br />
それはきっと、とても美しい光景だろう。</p>

<p><a href="http://www.tetsuyaishida.jp"target="_blank">石田徹也さんのHP</a><br />
<a href="http://www.city.nerima.tokyo.jp/museum/tenji/2008ishida.html"target="_blank">展覧会のHP</a><br />
（展覧会はもう終わっています。）</p>]]>

</content>
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<title>五年間の沈黙</title>
<link rel="alternate" type="text/html" href="http://hanamote.com/blog/archives/2008/12/post_170.html" />
<modified>2009-03-31T12:36:45Z</modified>
<issued>2008-12-29T13:20:56Z</issued>
<id>tag:hanamote.com,2008:/blog/1.210</id>
<created>2008-12-29T13:20:56Z</created>
<summary type="text/plain">としくんとはじめて会ったのは２００２年の２月。 カルカッタのサダルストリートにあ...</summary>
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<url>http://hanamote.com</url>

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<dc:subject>日記・エッセイ</dc:subject>
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<![CDATA[<p>としくんとはじめて会ったのは２００２年の２月。<br />
カルカッタのサダルストリートにある同じ宿のドミトリーで出会い、多くを話した。そのとき彼は大学を休学し、一年間インドやパキスタンを旅していた。<br />
次に会ったのは一年半後の夏。僕はそのころ神奈川県の藤沢に住んでいた。彼は就職活動をしに東京へ来ており、僕の家に数泊した。</p>

<p>そして先日、阿佐ヶ谷で五年ぶりに再会した。<br />
駅で待ち合わせ、カルカッタカフェへ行く。<br />
カルカッタで出会った友人と、カルカッタカフェで話せるのはなんと言っても楽しいことだ。彼とこの五年間おたがい何をしていたかを話す。</p>

<p>彼は就職をせずに、この五年間インドと日本を行き来し、ずっと瞑想をしていたと言った。<br />
インドでは、地図に載っていないような田舎の村の、地元の人しかいない瞑想センターでずっと座っていたのだという。朝から晩まで、一日１０時間、１０日間連続で座り、数日休み、また１０日間座る、あるいはその瞑想センターでボランティアスタッフとして働くということを繰り返していた。瞑想している期間は、アイコンタクトも含め、他者とのあらゆるコミュニケーションができないのだという。</p>

<p>その日は彼は僕の家に泊ってくれた。<br />
彼は毎日夜と朝、最低一時間は座っているのだという。<br />
僕の家でも、夜電気を消してから、座っていた。<br />
僕はいったん横になったが、なんとなく一緒に座ってみたくなったので、おきあがり、僕もやってみると言って座った。<br />
「呼吸を意識する」という彼からのアドバイスを受け、目を閉じ、座ってみる。<br />
座ってみると、その日にあったこと、ここ数日あったこと、現在抱えている想い、これからのことなどが様々に行き来する。そして様々な感情が湧き上がってくる。そしてすぐに呼吸を意識することを忘れる。しばらくしてから思い出し、ゆっくり呼吸する。呼吸を意識する。<br />
一時間ぐらい座ってから、これぐらいかなと思って寝た。</p>

<p>朝も、目が覚めてからすぐに坐っていた。僕もかれにならって座る。<br />
やはり様々な感情が浮かんでは消える。そして大きく感情が揺れ、不安になる。しかし、すぐ横で彼が座っている気配があり、きっと彼はこの五年間、僕がいま経験している感情とは比べ物にならないぐらいの深い場所をくぐってきたのだと思うと、そこに彼が座っているだけで安心感があった。<br />
目を閉じて座ることであらゆる方向に感情は揺れるが、呼吸を意識することで、揺れる感情を中心に戻すような感覚があった。そして振り子が振れるように感情と呼吸を行き来しているうちに、感情がゆっくり地面に抜けていくような、過剰なものがアースされていくような気がした。<br />
一時間ぐらい座ったときに、セットしていた目覚ましが鳴り、お互い目を開けて、おはようと挨拶をする。<br />
それから着替え、出かける用意をして、駅のホームで別れた。</p>

<p>五年間、絵や文章などの作品を制作していれば、それを見てもらうことで、どのような日々だったのかを示すことができる。しかし彼はただひたすら座るという行為だけをしていた。それで示せるのは、自分の身にまとっている気配だけだ。</p>

<p>彼は、五年前とは見違えるほどに、なにか静けさを身にまとっていた。五年間いったいどれだけの深い沈黙と孤独の中にいたのだろうと想像すると気が遠くなる。ありとあらゆる関係性から切り離され、一人で座っていた姿が目に浮かぶ。よくもそれだけ遠くに離れることができたなと思い、そしてよく帰ってきたなと思った。彼は、家族や友だちから遠く切り離され、生きているのかどうかも分からない状況も短くはなかったのだという。<br />
彼が「ひとりになりたかったんだよね」とふと漏らした言葉が忘れられない。そして、「結局ひとりにはなれなかったんだよね」とも言っていた。</p>

<p>彼はつい最近携帯電話を持ったと言って、僕に見せてくれた。<br />
特に気負うこともなく、自然に持つことができたと言っていた。<br />
それを聞いて、ああ本当に帰ってきたんだなと思った。長い長いひとりきりになる旅を終え、関係性の中に生きようとしているんだなと思った。<br />
彼はカウンセラーになろうと思っていると言っていた。彼の静けさを身にまとった気配と、中心がぶれない感じ、ありとあらゆる感情を座ることで大地にアースしていける技術があれば、きっとすごい深みの中で他者の声に耳を傾けられるだろうなと思った。<br />
</p>]]>

</content>
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<title>友人の友人という関係で広がっていく世界の豊穣さ</title>
<link rel="alternate" type="text/html" href="http://hanamote.com/blog/archives/2008/12/post_169.html" />
<modified>2008-12-24T00:25:25Z</modified>
<issued>2008-12-23T23:37:42Z</issued>
<id>tag:hanamote.com,2008:/blog/1.209</id>
<created>2008-12-23T23:37:42Z</created>
<summary type="text/plain">昨日は友人の彼女の家でクリスマス会。 前菜にタコとパセリのマリネをいただく。それ...</summary>
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<name>tsuyoshi</name>
<url>http://hanamote.com</url>

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<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://hanamote.com/blog/">
<![CDATA[<p>昨日は友人の彼女の家でクリスマス会。<br />
前菜にタコとパセリのマリネをいただく。それからオクラとゆで卵と手製ビーフジャーキーのサラダ、たらこスパゲッティ、ペペロンチーノと次々とすばらしい料理が続き、そしてメインに、骨付き鶏肉のオーブン焼きが出てきた。平らなプレートにオリーブオイルに浸かった骨付き肉が人数分並べられ、トマト、パプリカ、たまねぎ、じゃがいもなどがほとんど丸ごと並べられ、表面がこんがり焼けて、じゅうじゅうと音を立てている。おいしいおいしいと、夢中になっていただく。食後にはハーブティーと手製のカボチャケーキ。みなでたくさん話し、お腹いっぱいいただいての帰路、なんて心と手間ひまかけた料理なのだろう、きっと彼女とずいぶんと前から相談し、作戦を練っていたに違いないと思い、そういう場に呼んでもらえたことを心から嬉しく思った。</p>

<p>　＊</p>

<p>今年一年を振り返ると、友人の友人という関係で広がっていく世界の豊穣さに心から魅せられた一年だったということができると思う。</p>

<p>去年まではおそらくそうではなかった。旅から帰ってから僕は、自分の内面を掘り下げていくこと、一人で立っていくこと、言い換えれば自由と孤独というものを大切にしていたと思う。その過程で多くの本と出会い、その本から得られたものを栄養にして、ずっと自分の中にある、なにか得体の知れないものを見ようとしていたように思う。<br />
そういう思いを育てることで得られた光景が、一本の樹が立っているというイメージだった。</p>

<p>去年の９月に「<a href="http://hanamote.com/blog/archives/2007/09/post_156.html">次の十年、「根」と「葉」について</a>」という文章を書いた。その中で僕は、「自分」が「世界」とどう関わっていきたいかということを、根と葉をイメージして探っていた。</p>

<blockquote>　「世界」と「自分」との関係を考えるとき、このごろぼくはよく、一本の木をイメージします。森の中に立つ一本の木のように世界と連絡をつけたいなと思うのです。<br>
一本の木は主に「根」と「葉」とで世界と連絡をつけています。「根」は、暗い地中に深く伸び、「自分」を「世界」と繋げ、そのことで自立しています。「葉」は、明るい空の中で光を受け、「自分」を「世界」に向けて開き、そのことで森の一部になっています。森の中に場を得ています。そういう木のありかたに、なにかとても大切な、見習うべきものがある気がするのです。
</blockquote>

<p>こう書いているときの僕は、「自分」と「世界」との関係性に焦点が合っていて、自分を取りかこむ他者の存在にまではあまり目が向いていなかったように思う。</p>

<p>それからしばらくし、僕はある友人の結婚式に出席した。そして二人がみんなの前に立っている姿を見て、「二本の樹が立っている」というイメージがありありと目に浮かび、「<a href="http://hanamote.com/blog/archives/2007/11/post_159.html">祝婚の詩</a>」という詩を書いた。</p>

<p>そして、一年前ぐらいから、友人の友人という関係性の中で、「世界」というものが開けていくようになった。<br />
ある人と出会い、友人になるということは、あるビジョンを共有しているということ。あるいは共通の「問い」を抱えているということ。そういうときは必ず、なにかとても深い部分での会話がなされ、そして、ああここにも同じようなビジョンを模索している人がいる、やっていることはそれぞれだけど、同じ方向に向かっていると思い、嬉しくなる。そして、その共有できる想いと、それでもどうしても共有できない想いとがせめぎ合い、友人たちとの関係性という場が形成され、世界が広がっていく。</p>

<p>そうやって広がっていく世界は、この上なく豊穣なものだった。<br />
でもそうやって広がることができたのはやはりその前に、一本の樹のように立っていきたい、そうやって世界と連絡をつけていきたいと強く願ったからだ。「一人」という感覚はやはり重要で、それなくして他者と出会えないのではないかとすら思う。</p>

<p>しかしその「一人」という感覚は、他者に影響されないということではない。それどころか、出会ってしまったことにより、もう取り返しのつかない、決定的な変化が起こることさえある。<br />
もう引き返せないという点を、ありったけの勇気で越えて行ったときには、その先にいままでとはまるで違う光景が広がっている。そしてそういう光景こそが、ほんとうは自分が求めていたものなのだということに、後から気づいたりする。そのようにして出会い、変化を受け入れていくことが、自分の樹を育てていくということなのだと思っている。</p>

<p>今年は、充実した、あまりに長い一年だった、という感覚がある。<br />
そういう一年を過ごせたことをとても嬉しく思う。<br />
濃密な、ずっと旅をしていたような一年で、去年のことがはるか昔の出来事のように思える。<br />
それは次々に起こる変化を受け入れていったからだと思う。<br />
そういう変化のきっかけを起こしてくれた友人たちに感謝します。<br />
これからもよろしく。<br />
</p>]]>

</content>
</entry>
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<title>「Altai Eclipse」展示の様子</title>
<link rel="alternate" type="text/html" href="http://hanamote.com/blog/archives/2008/12/altai_eclipse_3.html" />
<modified>2008-12-07T16:09:47Z</modified>
<issued>2008-12-07T15:24:01Z</issued>
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<summary type="text/plain">calcutta cafeでの二週間の写真の展示が無事終わりました。 ほんとうに...</summary>
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<dc:subject>お知らせ</dc:subject>
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<![CDATA[<p>calcutta cafeでの二週間の写真の展示が無事終わりました。<br />
ほんとうにたくさんの方に来ていただきました。<br />
二週間で僕は２０回ぐらいカフェに出向き、いろいろな方とお話しました。<br />
こんなに短期間に、こんなに集中的にたくさんの方とお会いすることは、普段はありえないことなので、終わってしばらく経った今でも、なにかすこしぼーっとしてます。</p>

<p>来ていただいた方、ほんとうにありがとうございます。<br />
来ていただいたのにお会いできなかった方、ごめんなさい。<br />
都合がつかなくて来れなかった方、またの機会にお会いしましょう。</p>

<p>以下に展示の様子と、会場で配った紀行文（ブログに載せた紀行文を書き直したもの）を載せておきます。</p>

<p><img alt="AltaiEclipse_web.jpg" src="http://hanamote.com/blog/AltaiEclipse_web.jpg" width="500" height="335" /></p>

<p><br />
----------------------------------------------------------------------------------------------------<br />
----------------------------------------------------------------------------------------------------</p>

<p><br />
アルタイ山脈　エクリプス紀行<br />
本郷毅史</p>

<p></p>

<p>　皆既日食(Total Solar Eclipse)とは、太陽が月に完全に隠される現象のこと。そのとき空はにわかに暗くなり、太陽の周りに普段は見ることのできないコロナが現れる。</p>

<p>　夏の初めごろ、八月一日にロシアや中国で皆既日食が起こると聞いた。<br />
　カナダの北部からはじまり、グリーンランドの北を通り、西シベリアを縦断し、モンゴルと中国の国境あたりをかすめ、西安の少し先で終わるとのことだった。八月一日の日食が起きる時刻にこの帯の上のどこかにいれば、皆既日食が見れるのだという。時間は条件のいい場所で二分前後。でも、そのとき雨や曇りだったら見れないし、晴れていてもその瞬間だけ雲に隠されたらコロナは見れない。僕はロシアのアルタイ山脈に、皆既日食を見に行くことにした。</p>

<p>　　　　　　　　＊</p>

<p>　成田から北京へ飛び、飛行機を乗り換えて西シベリアの中心都市ノボシビルスクへ飛ぶ。そこから寝台列車でビースクへ。ビースクからバスに乗り換えアルタイ共和国の中心都市ゴルノアルタイスクへ。ゴルノアルタイスクで食糧その他を買い込み、ミニバスに乗りアルタイ山脈の奥へと進み、チビットという小さな村でおりる。そしてそこからはトレッキングになる。目指すはアルタイ山脈の奥深くにある、シャブリンスキー湖。</p>

<p>　チビットから重い荷物を背負い歩き出す。山小屋などはないので食糧その他をすべて背負わなくてはならない。三日後の夕方に皆既日食が起こる予定なのだが、シャブリンスキー湖まではちょうど三日ほどかかりそうなので、あまり休んではいられない。<br />
　村をぬけ、濁流が流れる広い谷を数キロさかのぼり、谷底にある壊れかけた橋をおそるおそる渡り、針葉樹林の森の中を峠を目指して登る。一日目は橋を渡って少し登ったところでテントを張る。夜、空を見上げると、天の川がくっきりと見える満天の星空だった。</p>

<p>　次の日も朝早く起きて歩き出す。樹林帯の上り坂を汗をかきながら登り、やがて樹々がなくなり草原になり、昼すぎに峠にたどり着く。峠は見渡す限り広大な草原になっていて、ゆるやかな風が通り抜けていた。なだらかな下り坂をずっと下り、やがていくつかの細い流れが合わさった川沿いを歩くようになる。休憩したときに靴と靴下を脱ぎ、疲れた足を川にひたすと、あまりに冷たくて、二三秒しか入れられない。高山植物の花がそこかしこに咲いていた。ときおり濃いピンク色の花を付けた高山植物の群落があり目を奪われる。やがてまた標高が少し下がり、樹林帯になる。二日目は朝から晩まで十二時間ほど行動し、樹林帯の中でテントを張る。緯度が高いため日が長く、夜の九時ごろまで明るいので、長い時間行動できるのがありがたい。</p>

<p>　三日目も朝早く出発する。この日の夕方が皆既日食が起こる日だった。歩き出して二三時間あたりでシャブリンスキー湖がある谷へと入っていく。広い谷で、いかにも氷河が後退してできたという地形をしている。谷底を流れるシャブラ川がときおり小さな湖になったり、蛇行して湿地帯になっていたりして、飽きることがない。やがて遠くに雪を抱いた山が見え始める。雪山は徐々に大きくなり、やがてすこし急な坂を登ると、目的地としていたシャブリンスキー湖が現れた。湖岸の道を歩き、適当な場所にテントを立てる。しかしまだ樹林帯の中で、谷の底でもあるので、対岸の尾根に太陽が隠されてしまう。地図を見るとさらに奥に湖があるので、不要な荷物をテントに置き、撮影機材だけの軽装でさらに上を目指す。</p>

<p>　シャブリンスキー湖をぬけると樹林帯は終わり、やがて氷河が後退したときにできる大きな岩が堆積したモレーンの上を歩くようになる。どんどん谷の奥へと進み、巨岩の間を縫うように歩くと、やがて奥の湖が現れた。湖の色は石灰質が溶け込んでいるのか白濁した水色をしている。すぐ先には氷河の先端があり、その上にはいく筋もの氷河を身にまとったクラサービッツァ峰がそびえ立っている。すばらしい場所だ。</p>

<p>　谷の斜面を登り、湖を見下ろす位置に着き、ここらへんでいいだろうと大きな岩の上に腰を下ろし、日食を待つ。左手にクラサービッツァ峰、正面に谷の反対側の尾根があり、太陽はその尾根の上あたりに位置していた。景色はこのうえなく美しいが、太陽はいつもと変わらない。これからこの太陽が隠されるなんて信じられない。わざわざこんな場所にまで来て、何も起こらなかったというのでは困るのだが、それでも、本当にこれから暗くなり、皆既日食が起こるとはとても信じられない。太陽はいつだって頭上に輝いているものなのだから。<br />
　どこかの天文学者がきっと難しい計算をして出したのであろう皆既帯の上に確かにいるはずなのだけど、本当に計算はあっているのかと思ったりしながら、皆既日食の時間が近づくのを待つ。</p>

<p>　やがて、先ほどより明らかに暗くなってきていることを感じる。辺りの景色がサングラスをかけたときのように見える。「これから何かが起こる」という、ただならない予感がしてくる。肉眼で太陽を見ると明るすぎて欠けていることが分からないが、日食グラス越しに見るともう弓状になっている。そしてその弓がどんどん細くなっているのがわかる。そろそろはじまるなと思いながら眺めていたら、急に辺りが暗くなり、唐突に皆既日食が始まった。太陽が月に隠される最後の瞬間に、その一点が赤く光ったように見えた。</p>

<p>　そして白い環が現れた。息をのみ、目を凝らす。それはいままで決して見たことのない、異様な光景だった。太陽と月が完全に一致し黒い円となり、その周りにコロナが、白い環となり浮かび上がっていた。直視してはいけないものを直視しているのを感じ、パンドラの箱を開けてしまったような、もう取り返しのつかないことをしているのを感じる。<br />
　しかしそれも数秒間の出来事で、次の瞬間にはコロナの上に分厚い雲が覆いかぶさり、隠されてしまう。そしてそれからはときおり薄くなった雲の向こうからしかコロナは現れない。もう一度はっきりと現れるのを祈るように待っているうちに、雲の向こうから太陽の光が差し込み、皆既日食は終わった。もう二分間が経ってしまったのかと驚く。二分間がこんなに短いと感じたことはなかった。皆既日食が終わってもしばらくは部分日食のため薄暗かったが、やがて周囲はまた元の明るさに戻り、太陽は何事もなかったかのように谷のむこう側の尾根に沈んでいった。</p>

<p>　　　　　　　　＊</p>

<p>　あの光景を見て以来、何かを「もっていかれた」気がしてならない。<br />
　そうなる予感は十分すぎるほどあり、だからこそわざわざアルタイ山脈まで出かけたのだが、やはり、そうなってしまったようだ。<br />
　日常の中に、一瞬だけ何かがなだれ込むような光景だった。そしてたった一回しか見ることのできない光景だった。太陽は日の出と日没を繰り返し、月は満ち欠けを繰り返す。そういう円環的なリズムの真ん中を、突如貫くように現れた光景だった。<br />
　宇宙的な規模の出来事に居合わせたことの驚きには計り知れないものがあった。自分が卑小な存在に思えるなどという出来事ではなかった。自分が無化され、あらゆる所属から一瞬だけ解除されるような出来事だった。<br />
　アルタイ山脈の山奥で、あの光景と出会って以来、僕は次の日食、その次の日食、これから先起こる日食のことばかり考えるようになっている。</p>]]>

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<title>「Altai Eclipse」展示は今週末（３０日）まで</title>
<link rel="alternate" type="text/html" href="http://hanamote.com/blog/archives/2008/11/altai_eclipse_1.html" />
<modified>2008-11-25T07:04:22Z</modified>
<issued>2008-11-24T08:24:24Z</issued>
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<summary type="text/plain">calcutta cafeでの写真の展示がはじまり、連日多くの人と出会い、話して...</summary>
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<![CDATA[<p>calcutta cafeでの写真の展示がはじまり、連日多くの人と出会い、話しています。<br />
来ていただいた方、ほんとうにありがとうございます。</p>

<p>カフェでの展示なので、写真を前に、お茶をしながらあれこれと話せるのがとてもいいです。<br />
住んでる場所がカフェから近いので、僕がいないときに来られた場合、店主のじょーさんから連絡が入り、すぐに行くことができるのも、この場所で展示したことのメリットです。</p>

<p>このように、多くの人と立て続けに会い、話すというのは、考えてみれば、旅の途中はよくありました。<br />
ジンバブエのハラレ、ナイロビ、ブダペスト、イスタンブール、エスファハン、ラサ、カトマンドゥ、バラナシ、ブッダガヤ等々、それぞれの街の安宿で多くの人と出会い話していました。<br />
そしてその中でも、おそらくもっとも多くの人と出会い、話したのがカルカッタでした。<br />
ここ阿佐ヶ谷のカルカッタカフェでも、ありがたいことに、あのときと同じような感じで、多くの人と出会い、話しています。</p>

<p>展示は今週末（３０日）までです。</p>

<p>土日はずっとカフェにいる予定です。<br />
平日に来られる方は、事前に連絡をいただければ、いつでもカフェにいるようにします。<br />
夜の７時以降ならば、だいたい阿佐ヶ谷にいるので、直接店主のじょーさんに言って<br />
呼びだして下さい。（平日の昼は、無理のこともあります。）<br />
お会いできること、楽しみにしています。</p>

<p><br />
------------------------------------</p>

<p>「Altai Eclipse」</p>

<p>８月１日にロシアのアルタイ山脈で皆既日食が見れると、夏の初めに聞いた。<br />
皆既日食とは太陽が月に完全に隠される現象のこと。そのとき空はにわかに暗くなり、太陽の周りに普段は見ることのできないコロナが現れるのだという。僕は皆既日食を見に行くことにした。</p>

<p>日本から西シベリアのノボシビルスクへ飛ぶ。そこから寝台列車とバスを乗り継ぎ、小さな村でおりる。アルタイ山脈を奥へ奥へと歩く。峠を越え、高山植物が咲き乱れる草原をぬけ、氷河に削られた広い谷をさかのぼり、雪山を背にしたシャブリンスキー湖にたどり着く。８月１日午後５時半過ぎ、僕は湖を見下ろす大きな岩の上に腰かけ、皆既日食が始まるのを待った。</p>

<p>月と太陽の円環的なリズムを貫くように現れる白い環<br />
それはあまねくものへと開かれた光景<br />
扉は数分間だけ開き<br />
そして何事もなかったかのように閉じた</p>

<p><br />
　***</p>

<p><br />
「Altai Eclipse」</p>

<p>期間：2008年11月16日（日）〜11月30日（日）<br />
場所：<a href="http://www.calcutta-cafe.com/"target="_blank">calcutta cafe</a><br />
open：chai time 12:00〜15:30<br />
Dinner time 18:00〜21:30<br />
（15:30から18:00は閉まっているので注意）<br />
定休日：月曜（期間中17日、２４日は定休日）</p>

<p>土日は阿佐ヶ谷駅には中央線の快速は停まらないので注意して下さい。<br />
カフェなので１オーダーお願いします。</p>

<p>紀行文はこちらです「<a href="http://hanamote.com/blog/archives/2008/09/post_166.html">アルタイ山脈、エクリプス紀行</a>」<br />
</p>]]>

</content>
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<title>「Altai Eclipse」展示の準備をする日々</title>
<link rel="alternate" type="text/html" href="http://hanamote.com/blog/archives/2008/11/altai_eclipse.html" />
<modified>2008-11-12T00:28:13Z</modified>
<issued>2008-11-08T19:16:14Z</issued>
<id>tag:hanamote.com,2008:/blog/1.206</id>
<created>2008-11-08T19:16:14Z</created>
<summary type="text/plain">写真の展示の準備をする日々です。 今回のロシア、アルタイ山脈の写真は、おもに６７...</summary>
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<url>http://hanamote.com</url>

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<dc:subject>お知らせ</dc:subject>
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<![CDATA[<p>写真の展示の準備をする日々です。</p>

<p>今回のロシア、アルタイ山脈の写真は、おもに６７判という大きなカメラで撮りました。フイルムはネガカラーフイルム。</p>

<p>撮った中からどれをプリントするか選び、何度も暗室に入り、自分でプリントしています。<br />
カラー暗室は、モノクロとは違い、完全に真っ暗な中での作業になります。（モノクロの暗室は赤い光が点いている）</p>

<p>引伸し機にネガをセットし、カラーフィルターと露光時間の値をセットし、明かりを消し、印画紙をイーゼルに置いて、露光のボタンを押すと、真っ暗闇のなか、セットした秒数だけオレンジ色の光が印画紙に投影されます。</p>

<p>光が、印画紙に吸い込まれていく様子をじっと見て、露光が終わったらまた真っ暗ななか、手探りで印画紙を自動現像機の中に入れ、蓋をして、部屋の明かりを点けます。</p>

<p>しばらくしたら自動現像機からプリントされたものが出てきます。<br />
それを見て、濃さや色を判断し、露光の秒数やカラーフィルターの数値を変え、またプリントするということを繰り返し、ときにどういう色に近づこうとしているのか分からなくなり、ものすごく微妙な色の間を行き来したりしながら、すこしずつ「これ」と思えるものに近づけていきます。</p>

<p>暗闇の中で色を探し、光を紙に焼き付けるという作業には、なにかとても夢中にさせられるものがあり、暗室に入っているときは、時間の感覚がおかしくなります。暗室に入っている間はずっと、とても深く集中し充実した時間をすごし、終わってみると、思いのほかへとへとになっています。<br />
そうやって何度も暗室に入り、時間と労力（とお金…）をかけ、一枚一枚プリントし、自分の手で額装したものを、展示する予定です。</p>

<p>今回の写真の展示は、はじめの一歩です。<br />
これからずっと、撮り続けることになるであろう日食の、一回目。<br />
（正確には日食そのものではなく、日食に表象される「なにか」を追っているのだと思っています。）</p>

<p>日食が、世界に「開いていく」ような、祝祭的な出来事だとしたら、<br />
このように写真を展示することは、ささやかな形ではあるけれど、自分がいままでやってきたことを、社会に「開いていく」ことでもあります。</p>

<p>そのような第一歩を、自分がいま住んでいる町で、友人たちのつながりの中から出会い、自分にとってとても大切な出来事のあった都市の名前を冠した場所で開くことができることが、嬉しいのです。</p>

<p>すこしずつ、でも確実に。<br />
今いる場所から世界へと、開いていくこと。</p>

<p>「世界」ということばが何を指し示すのかは、そのときどきにより様々だけれど、遥かな場所からとても身近な場所までを、ゆるやかに含んでいるのだということに、このごろ自覚しつつあります。</p>

<p>一年ほど前、僕は「<a href="http://hanamote.com/blog/archives/2007/09/post_156.html">次の十年、「根」と「葉」について</a>」という文章を書きました。<br />
それは、三十を前にして、次の十年、「自分」が「世界」とどう関わっていきたいのかを、一本の木ありかたをヒントにして書いたものでした。今回の写真の展示は、あれから一年とすこし経ち、３１歳になり、あのときは種になったと思っていたものが、ようやく一枚の葉を生やした、といった感じです。ささやかな形の展示ではあるけれど、こうやって一年前に願ったことが、具体的な形になることがとても嬉しいです。（それにどんなことだって、はじまりはささやかで小さいものなのだ）</p>

<p>展示は１６日からです。</p>

<p>期間中土日はカフェにいる予定です。<br />
平日もなるべく居ようとは思っていますが、<br />
事前に連絡をいただければ確実です。<br />
このように展示することは、普段なかなか会えない友人や、<br />
まだお会いしたことのない方とお会いできる機会だとも思っています。<br />
お会いできること、とても楽しみにしています。</p>

<p><br />
------------------------------------</p>

<p></p>

<p>「Altai Eclipse」</p>

<p><br />
８月１日にロシアのアルタイ山脈で皆既日食が見れると、夏の初めに聞いた。<br />
皆既日食とは太陽が月に完全に隠される現象のこと。そのとき空はにわかに暗くなり、太陽の周りに普段は見ることのできないコロナが現れるのだという。僕は皆既日食を見に行くことにした。</p>

<p>日本から西シベリアのノボシビルスクへ飛ぶ。そこから寝台列車とバスを乗り継ぎ、小さな村でおりる。アルタイ山脈を奥へ奥へと歩く。峠を越え、高山植物が咲き乱れる草原をぬけ、氷河に削られた広い谷をさかのぼり、雪山を背にしたシャブリンスキー湖にたどり着く。８月１日午後５時半過ぎ、僕は湖を見下ろす大きな岩の上に腰かけ、皆既日食が始まるのを待った。</p>

<p><br />
月と太陽の円環的なリズムを貫くように現れる白い環<br />
それはあまねくものへと開かれた光景<br />
扉は数分間だけ開き<br />
そして何事もなかったかのように閉じた</p>

<p><br />
　***</p>

<p><br />
「Altai Eclipse」</p>

<p>期間：2008年11月16日（日）〜11月30日（日）<br />
場所：<a href="http://www.calcutta-cafe.com"target="_blank">calcutta cafe</a><br />
open：chai time 12:00〜15:30<br />
         Dinner time 18:00〜21:30<br />
       （15:30から18:00は閉まっているので注意）<br />
定休日：月曜（期間中17日、２４日は定休日）</p>

<p>ただし初日の１６日のみ<br />
chai time　12:00-15:00<br />
Dinner　19:30-21:30。<br />
のオープンになります。</p>

<p>詳しい道順は<a href="http://www.calcutta-cafe.com/map.html"target="_blank">こちら</a><br />
なお土日は阿佐ヶ谷駅には中央線の快速は停まらないので注意して下さい。<br />
カフェなので１オーダーお願いします。</p>

<p>紀行文はこちらです「<a href="http://hanamote.com/blog/archives/2008/09/post_166.html">アルタイ山脈、エクリプス紀行</a>」<br />
<br><br><br></p>]]>

</content>
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<title>ケモノとシジンのマツリ  『白蛇ー神庭（カムイミンタル）』杉原信幸×山形淑華</title>
<link rel="alternate" type="text/html" href="http://hanamote.com/blog/archives/2008/10/post_168.html" />
<modified>2008-10-19T04:13:00Z</modified>
<issued>2008-10-18T18:00:58Z</issued>
<id>tag:hanamote.com,2008:/blog/1.205</id>
<created>2008-10-18T18:00:58Z</created>
<summary type="text/plain">先月の下旬、杉原さんから展示の知らせが来た。 長野県の木崎湖畔にある西丸震哉記念...</summary>
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<name>tsuyoshi</name>
<url>http://hanamote.com</url>

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<dc:subject>展覧会</dc:subject>
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<![CDATA[<p>先月の下旬、杉原さんから展示の知らせが来た。<br />
長野県の木崎湖畔にある西丸震哉記念館にて、杉原さんと山形さんの展示とパフォーマンスがあるのだという。追って連絡があり、１０月１２、１３日の連休あたりにパフォーマンスを行うとのこと。パフォーマンスに合わせ、長野へ行くことにした。</p>

<p>西丸震哉記念館へは、今年の春にも訪れている。そこは探検家、食生態学者の西丸震哉さんの収集品を展示しており、杉原さんはその建物や空間のデザインを担当したのだという。記念館の裏が杉原さんの実家になっており、その裏にかつて旅館だった建物が半分残されており、杉原さんのアトリエと住居、来客者の宿泊場所になっていた。</p>

<p>春に来たときはちょうど田植えの時期で、杉原さんの友人のYさんの田んぼで田植えを手伝わせてもらった。Yさんは東京から木崎湖へ移り住み、無農薬、有機栽培、合鴨農法で米を作られる方で、たまたま田植機の調子が悪く、人手を必要としていたので、喜んで手伝わせてもらったのだ。裸足で泥の中に入り、一つ一つ苗を植えて行くことがとても楽しく、あの春に植えた苗がどうなっているのかを見たいと思ったのも、長野へ行く大きな理由の一つだった。</p>

<p>朝新宿を出たバスは、五時間ほどかけ、予定より一時間遅れて信濃大町駅前に着く。ここから二駅ほど電車に乗った稲尾駅が最寄り駅なのだが、時刻表を見ると電車が来るのは一時間後。駅にある地図を見ると木崎湖畔まで４、５キロといったところ。バスの中に長い時間座っていたのでちょうど歩きたかったところでもあり、歩いて行くことにする。</p>

<p>朝からなにも食べていなかったので、駅の売店でおおきな肉まんを一つ食べ、それから地図を頭に入れて歩き出す。商店街をぬけ、国道を北へと進む。空が広く、視界の先には山があり、東京から来るとこんななんでもない道でも嬉しい。でも実はすこしそわそわしてもいた。果たして杉原さんの展示とパフォーマンスを見るために、いったい何人の人が長野まで来るのだろうか？ もし僕だけしかいなかったらどうしようかと思ったりする。杉原さんのパフォーマンスはとにかく迫力があり、一人で見るのは正直こわいのだ。でも、東京のギャラリーでやるのとはわけが違うので、気楽に行くというわけにはいかない。行きたくても日程が合わないという人も多いだろう。前回の丸石座のときのような人数ではないことは確かだった。</p>

<p>一時間ほどで記念館にたどり着く。<br />
中に入ると、杉原さんと杉原さんのお父さんがいて、挨拶をする。杉原さんは毎日山にキノコ採りに行ってるそうで、ずいぶん元気そう。二階から山形さんも降りてきた。彼女とは夏の初めに会って以来だ。ずいぶん髪が伸びていた。彼女もなんだか遠足前の子供のような感じで、元気そう。たまたまその日は西丸震哉さんご本人も来館されていて、杉原さんに紹介される。喜望峰から日本まで自転車で旅したということを紹介されると、ちょっと嬉しそうな顔をされ、それから「その経験がどんな役に立っていますか」と言われる。僕はとっさに「たぶんなんの役にも立っていないと思います」と答え、一同、笑う。なんだかこうやってあの旅をほどよい距離で眺められるようになっているのが嬉しい。西丸さんもうなずいて「無理に役立てようとする必要はないからな」とおっしゃられていた。きっと旅の経験は、直接的にはなんの役にも立たないけれど、あらゆることの後ろ側でいまでも息づき、すぐにぶれてしまう軸を正してくれるもののような気がする。もちろんこれは旅の経験だけではないけれど。</p>

<p>記念館の一階は食事もできるようになっていて、記念館特製カレーをナンとともにいただいた。とてもおいしい。食べていたら、杉原さんの友だちが二人到着した。OさんとTさん。杉原さんの高校の同級生だという。これでパフォーマンスを見るのが僕ひとりではなくなりすこしほっとする。食事をしながら、西丸さんご夫妻と話をする。夏にアルタイ山脈に皆既日食を見に行ったことを話すと、お二人はもう金環日食を入れると７、８回も見たことがあるということが判明し、しばらくは日食についての話が弾む。食後、ハーブティーを飲みながら、OさんTさんと話す。</p>

<p>お茶を飲み終えてから、いよいよ展示を見る。</p>

<p>記念館の地下に行くと、そこが展示室になっていて、手前の部屋に杉原さんの油絵、奥の部屋に山形さんの「白蛇」という詩と映像作品が展示されていた。まずは山形さんの映像に見入る。今年の夏、韓国と島根を旅したときに撮られたものらしい。川の流れをじっと見入るように撮ったもの、海のうねりに光が反射したもの、おおきなしめ縄がかけられた大木、風にゆれる網、洞窟のような場所、彼女のセルフポートレイトなどの映像が、次々と静かに切り替わる。どれも動きのある写真のような、静かな、深い視線のもの、あるいはその微妙な光や風の加減がハッとするほど美しいもの。山形さんはよくビデオカメラを持っていて、子供がありの巣に見入るようにじっとなにかを撮っているのだが、それがこのような視線のものだったのかと始めて知る。</p>

<p>次に杉原さんの油絵に見入る。鳥をモチーフにした、様々な色がねじれるようにうねる抽象的なもの。明るい生命力を感じさせられる作品。絵の具がねじれながら盛り上がり、他の色と混じりあっていた。<br />
前回来たときはここに杉原さんの「裂け目」を描いたと思われる恐ろしい作品があった。黒々としたキャンパスの真ん中に、微妙な色加減で黒い裂け目が描かれており、以後あの裂け目が脳裏に焼き付いてはなれなくなっていた。あの闇の中の裂け目から、鳥がメタモルフォーゼしたような、生命力の塊のようなカラフルなものが出てきたのだろうか、などと思う。</p>

<p>地下から二階に移動する。</p>

<p>ここがメインの展示室になっていた。部屋の真ん中に、白い貝殻が楕円形に敷き詰められた「神庭（カムイミンタル）」と題された、杉原さんの作品が展示されている。ちょうど窓から斜めに光が差し込み、作品の上が明るく照らされ、はじめ見たときに、眺めのいい場所に出たような、視界が開けていく感覚があった。平たく光沢のある貝殻が中心付近に敷き詰められており、それがどこかの地形のような形をしている。周りはよく波に洗われた、白い、つやのない貝殻が敷き詰められている。そしてよく見ると、白い小さなドライフラワーのような花が３、４本立っている。白く、乾いた、化石のような、清々しい印象。情念が浄化された後の、もっと広い場所へと開いていくような印象。</p>

<p>展示室には、西丸さんがかつて収集したパプアニューギニアの人の頭蓋骨も置かれていた。その頭骨の白さと、貝殻の白さが、同質のようなものに感じられる。しかし僕は遺跡から発掘される骨の掃除や整理、同定などのアルバイトをしているので、頭骨をみるとどうしてもこれがどのような骨かと細部に見入ってしまう。（第三大臼歯は萌出しているから成人だな、眉間眉弓はかなり隆起し、乳様突起も大きいのでまず男性だ、江戸時代の人骨ではありえないぐらいかなり彫りが深い、南方の顔だ。頭骨の縫合がまあまあ癒着しているから、それなりに歳はとっていそうだ…等々）</p>

<p>その頭骨の横に、赤い巻貝で作られた大小ふたつの山がある。兎と題された、山形さんの作品。確かに兎と言われれば、そう見えなくもない。（ずっとあの兎はなんなのだろうかと思っていたが、これを書いているときにふと「因幡の白兎か？」と思い、どんな話だったのか調べてみる。ワニを騙し海を渡った白兎は、しかし最後の一匹のワニに皮を剥がれてしまう。そして通りがかった神様に助けられるという話だった。もし因幡の白兎だとすると、あの赤い巻貝の兎は、皮を剥がれた白兎、なのだろうか。）</p>

<p>壁には、大きな和紙に筆で書かれた、山形さんの詩が展示されている。言葉の断片をちりばめたような詩。ひとつひとつの言葉は読めるが、それが連なっても、意味が流れ込んでこない。彼女の詩はいつも、わからない。言葉の出し方が、日常的な言葉とはまるでちがう深みから取り出されているようで、まだ意味に分けられていない言葉、とでもいう気配がある。山形さんはいつもノートと鉛筆を持っていて、気がつくとそこに何かを書いている。幼稚園児が没頭して怪獣の絵を書くように、夢中になって書いている。しかし何を書いているのか見せてもらっても、文字らしきものが書かれているのは分かるが、読めない。単語が部分的に読めても、わからない。分からないというより、「分けられていない」という感じ。なんて書いてあるのかと本人に聞いても、本人さえ読めなかったりする。でもあの没頭して書いている様子には、なにかすごいと思わせられる気配がある。こういう詩を前衛的と言っていいのかさえわからない。言葉にならない言葉を、そのままとりだしたような詩。これはぜひ朗読を聞いて、「声」から何が書かれているのかを知りたいなと思う。</p>

<p>一階に戻り、OさんTさんと話していると、杉原さんが来て、キノコ採りに行こうと言う。荷物を置いて、ビニール袋を持ち、記念館のすぐ裏の山の斜面に入って行く。杉原さんはすごい早さでケモノのように辺りを歩き回る。彼の中でぐるぐるとすごい勢いでダイナモが回転している感じ。すぐに見えなくなってしまう。でもかれの持っているキノコを入れるかごには熊よけの鈴が付いていて、それが遠くからでもよく聞こえるので、OさんTさんと「あっちから聞こえた」「こっちのほうだ」と、鈴が鳴る方へと杉原さんを追いかける。やがて「おーい！」と声がして、答えて、合流する。そんなことを繰り返し、裏山の斜面を上がり、尾根筋を歩き回る。クリタケ、ハナイグチ、ホテイシメジなどを、杉原さんに教えてもらいながら採る。薄暗くなるまでキノコ採りをし、戻ってきてすぐに洗い、下ごしらえをし、事前に杉原さんがとっておいてくれたウワバミソウも入れ、キノコ山菜鍋になる。ご飯は、Yさんの田んぼでとれた新米を、精米したてのもの。夕方に東京からバイクに乗ってSさん登場。みなで、おいしいおいしいと鍋を囲む。</p>

<p>翌朝起きると、杉原さんはいない。一人でキノコ採りに行った様子。僕たちはSさんが持ってきた竿で釣りをするが、釣れない。近くの木崎湖温泉に入る。<br />
昼前に、杉原さんがかご一杯ハナイグチを山盛りにして戻ってきた。きっと昨日は僕たちがいたからあれでもあまり歩き回らなかったのだろう。ひとりだと思う存分歩き回れるからか、僕たちがいたときよりも収量ははるかに多い。昼も、昨日の鍋にキノコなどを足したものと、お焼きなどをいただく。</p>

<p>午後、記念館の近くにクルミの木があり、クルミをたくさん拾う。それから記念館の一階でコーヒーを飲んでいると、杉原さんの友だちが二人、しばらくして、もう一人、到着する。みなで話したり、もう一度作品を見たり、前回の丸石座のパフォーマンスの記録映像を見たりしていたら、日が傾いてきた。パフォーマンスは日暮れに行われることになっている。そろそろかなと思っていたら、杉原さんが来て、はじめるからこいつに付いてってと言う。見ると、ちいさなリュックサックを背負い、頭からすっぽりとシャツをかぶり、オレンジ色になったホオズキの実を口から垂らし、稲穂を手にしそれで顔を隠した座敷童子のような姿の山形さんが、記念館の前にちょこんと立っている。僕たちはぞろぞろと記念館を出た。杉原さんはすぐどこかへいなくなった。こうしてマツリは始まった。</p>

<p>＊</p>

<p>山形さんの前に、みな並ぶ。山形さんは無言で稲穂を皆の前にかざし、一人一人に礼をし、歩き出す。その後に、一列になってみな続く。<br />
家の裏をぬけ、蓮の畑を横をとおり、田んぼのあぜ道を歩く。左手には木崎湖。つめくさの土手を登り、さらにあぜ道を歩くと、Yさんの田んぼが見え、Yさん一家（Yさんご夫婦、小学生、中学生ぐらいの女の子二人）が田んぼの前に待っているのが見える。山形さんの姿に、二人の女の子はちょっとびっくりし、何が始まるのか、怖くもあり、楽しみでもある様子。<br />
Yさんの田んぼにたどり着き、山形さんは振り返り、皆に無言で中に入るように促す。<br />
田んぼは、稲刈りが終わり、刈り取られた稲がはぜがけに天日干しされている。二枚のYさんの田んぼの間のあぜに、みな移動する。そしてなにが始まるのか、じっと山形さんを見守る。</p>

<p>山形さんは田んぼの前で、靴を脱ぎ、裸足になって、まだぬかるんでいる田に入っていく。そして持っていた稲穂を、はぜがけにされた稲にくわえる。それから、ゆっくりと動き出した。</p>

<p>ゆっくりと、手を動かし、足を動かし、前屈みになる。やがて、とても高い、笛を吹いているような、細い声が彼女から聞こえてきた。はじめは聞こえるかどうかというかすかな音。やがてゆっくりとうねるように大きくなっていく。人の声とは思えないような、高く、震えた声が、夕暮れの、湖を望む田んぼに、徐々に響いていく。それに答えるかのように、どこか遠くで、鳥の鳴き声、カモの鳴き声。湖では、ブラックバスを釣る釣り人の船が浮かぶ、いつもの夕暮れの光景なのに、このYさんの田んぼの辺りだけ、いつもとは全く違う、異界が現れようとしていた。</p>

<p>しばらくは静かに山形さんの声に聞き入っていたが、ふとなにかただならない気配を感じ振り向くと、後方から、田んぼの横を流れる用水路の中を、杉原さんが、ゆっくり、前屈みになり、近づいてきていた。辺りに急に、黒々とした影のような、ケモノじみた気配が漂う。用水路をつたってたどり着いた杉原さんは、用水路の中に横たわり、完全に身を浸す。それから急に、激しい動きで水を何度か叩き、上衣とズボンを脱ぎ捨て、短パン一枚になり、田んぼの一番ぬかるんでいる場所に入り、そこに身を横たえる。そして爬虫類が泥の中を動くような動作で、手も、足も、体も、顔も、全身泥まみれにしていく。それから立ち上がり、舞を舞い始めた。身体が動くに任せた、漂うような、激しく求めるような動き。</p>

<p>山形さんが、背負っていたリュックサックを下ろし、中から和紙に墨で書かれた詩を取り出す。皆に背を向け、湖の方を向き、和紙を両手で持つ。そして、あのちいさな体のどこにこれほどのエネルギーがあるのか、命がそのまま声になったような、とても激しい、叫ぶような音量で、第一声が彼女の口から発せられ、詩の朗読が始まった。言葉の断片が、声になり、空気を震わし、辺りに満ちていく。刈り取られ、天日干しにされている稲穂に、その稲穂を育んだ土に、目の前の湖に、響いていく。山形さんは詩を手にし、田んぼを歩き回り、言葉にならない言葉を、ありったけの声にしていく。ときおり自身の声に体勢を崩し、田んぼに倒れる。また立ち上がり、和紙を握りしめ、声を発する。「シ」という音が、絞り出されるように口から出るのを聞いた。ときおり挟まれるあの、高音の歌声を聞いていた。</p>

<p>杉原さんは、泥から生まれたケモノのように、泥まみれのまま田んぼのあちこちを徘徊し、踊りを続けていた。近くに来たときに、彼の口からもなにか、うめき声のようなものが漏れているのを耳にする。それから急に身をひるがえし、全速力で湖の方へ走り出した。あ、飛び込むと思うのと、飛び込む音が聞こえるのが同時だった。やがて、また戻ってきて、来たときと同じように、ゆっくり、ふらふらと、背をかがめ、用水路を伝い、記念館の方へと行ってしまった。</p>

<p>もう陽は沈み、背後から満月が出ていた。<br />
山形さんも詩を読み終え、皆の前に戻ってきて、歌うように、終わったことを告げた。大きな拍手が起こる。それからぞろぞろと農道を歩き、みなで記念館へ帰る。</p>

<p>記念館では食事の用意がされていた。しばらくしたら杉原さんも戻ってきた。みなで乾杯をし、それから夜がふけるまで、食事をし、ギターを弾ける人がギターを弾き、ピアノを弾ける人がピアノを弾き、歌や、即興演奏の宴会のようなものが続いた。とても怖いものを見たあとだからか、お腹が空いていて、手製の餃子や、バーベキューや、キノコ鍋や、Yさんの新米のキノコご飯や、玄米、煮物、サラダ、などをお腹いっぱいいただいた。</p>

<p>＊</p>

<p>翌朝、またみなでキノコ採りをする。<br />
昼食はキノコほうとう鍋。やがて、ひとりまたひとりと東京に帰っていく。<br />
僕も木崎湖を後にする。信濃大町駅まで一時間ほどの道のりを歩き、高速バスで新宿へ戻る。バスは渋滞に巻き込まれ、二時間ほど到着が遅れた。</p>

<p>＊</p>

<p>木崎湖を後にする一時間ほど前。<br />
近くの川で魚がとれるかもしれないしれないと、杉原さんと山形さんと僕の三人で農道を歩いていたときのこと。<br />
道の真ん中にちいさなヘビがいた。<br />
S字型に体をくねらせ、道路を横断しているようではあったが、ぴくりとも動かない。おそるおそる近づき、覗き込む。目は開いていて、生きているように見えるが、やはりまったく動かない。舌がちょろちょろと出たり入ったりしていない。さらによく見ると、体の一部が裂けていて、肉がはみ出している。どうやら何かに轢かれ死んでしまったようだ。「どうする？このままにしておく？どこかに埋める？」と山形さん。じゃあ水葬にしようと僕。大きめの葉っぱをちぎり、それでヘビをつかみ、田んぼの横を流れる用水路に放つ。ヘビはすぐに流されていった。「あ、流れていっちゃった」と、おおあわてという感じで山形さんが手を合わせる。僕も手を合わせる。そんな様子をちょっと遠くで杉原さんが見ている。</p>

<p>なぜだかその様子が、三日間の長野の旅をしめくくるようで、バスの中でも、東京に戻ってきてからも、繰り返し思い出されるのだった。<br />
<br><br><br></p>

<p>---</p>

<p><br />
<a href="http://sugihara.blog27.fc2.com/blog-entry-137.html"target="_blank">『白蛇ー神庭（カムイミンタル）』の案内</a><br />
（杉原さんのブログ。展示は１０月２６日までだそうです。）</p>

<p>前回の展示について書いた文章<br />
<a href="http://hanamote.com/blog/archives/2008/05/post_163.html">もっとも新しい太古の祭　杉原信幸個展『丸石座』</a></p>]]>

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<title>「Altai Eclipse」写真展示のお知らせ</title>
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<modified>2008-11-11T23:04:28Z</modified>
<issued>2008-10-17T01:44:21Z</issued>
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<summary type="text/plain">阿佐ヶ谷にあるcalcutta cafeで、今年の８月にロシアのアルタイ山脈で撮...</summary>
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<dc:subject>お知らせ</dc:subject>
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<![CDATA[<p>阿佐ヶ谷にあるcalcutta cafeで、今年の８月にロシアのアルタイ山脈で撮ってきた写真の展示をします。</p>

<p>土日はなるべくカフェにいようと思っています。<br />
事前に連絡をいただければ、平日でも行くことができます。<br />
カフェから徒歩数分のところに住んでいるので、<br />
店主のじょーさんに言っていただければ直接呼びだすこともできます。<br />
店主がひとりで切り盛りされているとてもちいさな、女の子の部屋のようなカフェで、<br />
男が一人で入るには若干躊躇するかも知れませんが<br />
ひるまず入って下さい。<br />
はじめましての方、久しぶりの友人、よく会う友だち、等々、<br />
お会いできること楽しみにしています。</p>

<p><br />
------------------------</p>

<p><br />
「Altai Eclipse」</p>

<p><br />
<img alt="10-16-2008_001web.jpg" src="http://hanamote.com/blog/10-16-2008_001web.jpg" width="500" height="384" /><br />
<font size="-2">（ロシア、アルタイ山脈、アッパーシャブリンスキー湖、皆既日食３０分前の写真。まだ普段とほとんど変わらない明るさ。）</font></p>

<p><br />
８月１日にロシアのアルタイ山脈で皆既日食が見れると、夏の初めに聞いた。<br />
皆既日食とは太陽が月に完全に隠される現象のこと。そのとき空はにわかに暗くなり、太陽の周りに普段は見ることのできないコロナが現れるのだという。僕は皆既日食を見に行くことにした。</p>

<p>日本から西シベリアのノボシビルスクへ飛ぶ。そこから寝台列車とバスを乗り継ぎ、小さな村でおりる。アルタイ山脈を奥へ奥へと歩く。峠を越え、高山植物が咲き乱れる草原をぬけ、氷河に削られた広い谷をさかのぼり、雪山を背にしたシャブリンスキー湖にたどり着く。８月１日午後５時半過ぎ、僕は湖を見下ろす大きな岩の上に腰かけ、皆既日食が始まるのを待った。</p>

<p><br />
月と太陽の円環的なリズムを貫くように現れる白い環<br />
それはあまねくものへと開かれた光景<br />
扉は数分間だけ開き<br />
そして何事もなかったかのように閉じた</p>

<p><br />
***</p>

<p><br />
「Altai Eclipse」</p>

<p>期間：2008年11月16日（日）〜11月30日（日）<br />
場所：<a href="http://www.calcutta-cafe.com"target="_blank">calcutta cafe</a><br />
open：chai time 12:00〜15:30<br />
         Dinner time 18:00〜21:30<br />
       （15:30から18:00は閉まっているので注意）<br />
定休日：月曜（期間中17日、２４日は定休日）</p>

<p>ただし初日の１６日のみ<br />
chai time　12:00-15:00<br />
Dinner　19:30-21:30。<br />
のオープンになります。</p>

<p>詳しい道順は<a href="http://www.calcutta-cafe.com/map.html"target="_blank">こちら</a><br />
なお土日は阿佐ヶ谷駅には中央線の快速は停まらないので注意して下さい。<br />
カフェなので１オーダーお願いします。</p>

<p>紀行文はこちらです「<a href="http://hanamote.com/blog/archives/2008/09/post_166.html">アルタイ山脈、エクリプス紀行</a>」<br />
<br><br><br></p>]]>

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<title>日食の写真を展示します</title>
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<modified>2008-10-07T17:27:11Z</modified>
<issued>2008-10-07T16:06:49Z</issued>
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<summary type="text/plain">ひょんなきっかけで阿佐ヶ谷にあるちいさなカフェの店主じょーさんに出会い、ロシアの...</summary>
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<name>tsuyoshi</name>
<url>http://hanamote.com</url>

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<dc:subject>お知らせ</dc:subject>
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<![CDATA[<p>ひょんなきっかけで阿佐ヶ谷にあるちいさなカフェの店主じょーさんに出会い、ロシアのアルタイ山脈で撮ってきた写真をカフェの壁に展示させてもらえることになりました。</p>

<p>場所は<a href="http://www.calcutta-cafe.com/"target="_blank">calcutta cafe</a><br />
期間は１１月１６日から１１月３０日（月曜は定休日）</p>

<p>その他詳細は決まり次第また更新します。<br />
ぜひ来て下さい。</p>

<p><br />
紀行文はこちら「<a href="http://hanamote.com/blog/archives/2008/09/post_166.html">アルタイ山脈　エクリプス紀行</a>」</p>]]>

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<title>アルタイ山脈　エクリプス紀行</title>
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<modified>2009-03-31T12:44:19Z</modified>
<issued>2008-09-23T10:02:16Z</issued>
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<summary type="text/plain">皆既日食(Total Solar Eclipse)とは、太陽が月に完全に隠される...</summary>
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<name>tsuyoshi</name>
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<dc:subject>日記・エッセイ</dc:subject>
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<![CDATA[<p>皆既日食(Total Solar Eclipse)とは、太陽が月に完全に隠される現象のこと。そのとき空はにわかに暗くなり、太陽の周りに普段は見ることのできないコロナが現れる。</p>

<p>　夏の初めごろ、八月一日にロシアや中国で皆既日食が起こると聞いた。<br />
　カナダの北部からはじまり、グリーンランドの北を通り、西シベリアを縦断し、モンゴルと中国の国境あたりをかすめ、西安の少し先で終わるとのことだった。八月一日の日食が起きる時刻にこの帯の上のどこかにいれば、皆既日食が見れるのだという。時間は条件のいい場所で二分前後。でも、そのとき雨や曇りだったら見れないし、晴れていてもその瞬間だけ雲に隠されたらコロナは見れない。僕はロシアのアルタイ山脈に、皆既日食を見に行くことにした。</p>

<p>　　　　　　　　＊</p>

<p>　成田から北京へ飛び、飛行機を乗り換えて西シベリアの中心都市ノボシビルスクへ飛ぶ。そこから寝台列車でビースクへ。ビースクからバスに乗り換えアルタイ共和国の中心都市ゴルノアルタイスクへ。ゴルノアルタイスクで食糧その他を買い込み、ミニバスに乗りアルタイ山脈の奥へと進み、チビットという小さな村でおりる。そしてそこからはトレッキングになる。目指すはアルタイ山脈の奥深くにある、シャブリンスキー湖。</p>

<p>　チビットから重い荷物を背負い歩き出す。山小屋などはないので食糧その他をすべて背負わなくてはならない。三日後の夕方に皆既日食が起こる予定なのだが、シャブリンスキー湖まではちょうど三日ほどかかりそうなので、あまり休んではいられない。<br />
　村をぬけ、濁流が流れる広い谷を数キロさかのぼり、谷底にある壊れかけた橋をおそるおそる渡り、針葉樹林の森の中を峠を目指して登る。一日目は橋を渡って少し登ったところでテントを張る。夜、空を見上げると、天の川がくっきりと見える満天の星空だった。</p>

<p>　次の日も朝早く起きて歩き出す。樹林帯の上り坂を汗をかきながら登り、やがて樹々がなくなり草原になり、昼すぎに峠にたどり着く。峠は見渡す限り広大な草原になっていて、ゆるやかな風が通り抜けていた。なだらかな下り坂をずっと下り、やがていくつかの細い流れが合わさった川沿いを歩くようになる。休憩したときに靴と靴下を脱ぎ、疲れた足を川にひたすと、あまりに冷たくて、二三秒しか入れられない。高山植物の花がそこかしこに咲いていた。ときおり濃いピンク色の花を付けた高山植物の群落があり目を奪われる。やがてまた標高が少し下がり、樹林帯になる。二日目は朝から晩まで十二時間ほど行動し、樹林帯の中でテントを張る。緯度が高いため日が長く、夜の九時ごろまで明るいので、長い時間行動できるのがありがたい。</p>

<p>　三日目も朝早く出発する。この日の夕方が皆既日食が起こる日だった。歩き出して二三時間あたりでシャブリンスキー湖がある谷へと入っていく。広い谷で、いかにも氷河が後退してできたという地形をしている。谷底を流れるシャブラ川がときおり小さな湖になったり、蛇行して湿地帯になっていたりして、飽きることがない。やがて遠くに雪を抱いた山が見え始める。雪山は徐々に大きくなり、やがてすこし急な坂を登ると、目的地としていたシャブリンスキー湖が現れた。湖岸の道を歩き、適当な場所にテントを立てる。しかしまだ樹林帯の中で、谷の底でもあるので、対岸の尾根に太陽が隠されてしまう。地図を見るとさらに奥に湖があるので、不要な荷物をテントに置き、撮影機材だけの軽装でさらに上を目指す。</p>

<p>　シャブリンスキー湖をぬけると樹林帯は終わり、やがて氷河が後退したときにできる大きな岩が堆積したモレーンの上を歩くようになる。どんどん谷の奥へと進み、巨岩の間を縫うように歩くと、やがて奥の湖が現れた。湖の色は石灰質が溶け込んでいるのか白濁した水色をしている。すぐ先には氷河の先端があり、その上にはいく筋もの氷河を身にまとったクラサービッツァ峰がそびえ立っている。すばらしい場所だ。</p>

<p>　谷の斜面を登り、湖を見下ろす位置に着き、ここらへんでいいだろうと大きな岩の上に腰を下ろし、日食を待つ。左手にクラサービッツァ峰、正面に谷の反対側の尾根があり、太陽はその尾根の上あたりに位置していた。景色はこのうえなく美しいが、太陽はいつもと変わらない。これからこの太陽が隠されるなんて信じられない。わざわざこんな場所にまで来て、何も起こらなかったというのでは困るのだが、それでも、本当にこれから暗くなり、皆既日食が起こるとはとても信じられない。太陽はいつだって頭上に輝いているものなのだから。<br />
　どこかの天文学者がきっと難しい計算をして出したのであろう皆既帯の上に確かにいるはずなのだけど、本当に計算はあっているのかと思ったりしながら、皆既日食の時間が近づくのを待つ。</p>

<p>　やがて、先ほどより明らかに暗くなってきていることを感じる。辺りの景色がサングラスをかけたときのように見える。「これから何かが起こる」という、ただならない予感がしてくる。肉眼で太陽を見ると明るすぎて欠けていることが分からないが、日食グラス越しに見るともう弓状になっている。そしてその弓がどんどん細くなっているのがわかる。そろそろはじまるなと思いながら眺めていたら、急に辺りが暗くなり、唐突に皆既日食が始まった。太陽が月に隠される最後の瞬間に、その一点が赤く光ったように見えた。</p>

<p>　そして白い環が現れた。息をのみ、目を凝らす。それはいままで決して見たことのない、異様な光景だった。太陽と月が完全に一致し黒い円となり、その周りにコロナが、白い環となり浮かび上がっていた。直視してはいけないものを直視しているのを感じ、パンドラの箱を開けてしまったような、もう取り返しのつかないことをしているのを感じる。<br />
　しかしそれも数秒間の出来事で、次の瞬間にはコロナの上に分厚い雲が覆いかぶさり、隠されてしまう。そしてそれからはときおり薄くなった雲の向こうからしかコロナは現れない。もう一度はっきりと現れるのを祈るように待っているうちに、雲の向こうから太陽の光が差し込み、皆既日食は終わった。もう二分間が経ってしまったのかと驚く。二分間がこんなに短いと感じたことはなかった。皆既日食が終わってもしばらくは部分日食のため薄暗かったが、やがて周囲はまた元の明るさに戻り、太陽は何事もなかったかのように谷のむこう側の尾根に沈んでいった。</p>

<p>　　　　　　　　＊</p>

<p>　あの光景を見て以来、何かを「もっていかれた」気がしてならない。<br />
　そうなる予感は十分すぎるほどあり、だからこそわざわざアルタイ山脈まで出かけたのだが、やはり、そうなってしまったようだ。<br />
　日常の中に、一瞬だけ何かがなだれ込むような光景だった。そしてたった一回しか見ることのできない光景だった。太陽は日の出と日没を繰り返し、月は満ち欠けを繰り返す。そういう円環的なリズムの真ん中を、突如貫くように現れた光景だった。<br />
　宇宙的な規模の出来事に居合わせたことの驚きには計り知れないものがあった。自分が卑小な存在に思えるなどという出来事ではなかった。自分が無化され、あらゆる所属から一瞬だけ解除されるような出来事だった。<br />
　アルタイ山脈の山奥で、あの光景と出会って以来、僕は次の日食、その次の日食、これから先起こる日食のことばかり考えるようになっている。</p>]]>

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