2008年05月15日

杉原信幸 個展『丸石座』

杉原さんとは寺町くんという共通の友人を介して出会った。彼とは何かと話が合い、何度か会っていろいろと話したのだが、その彼が今度個展をやるとのことなので、ずっと楽しみにしていた。
4月の上旬に案内の葉書が届く。

『丸石座』石と苔の地下石庭

と書かれていた。そして5月6日に詩人の吉増剛造さんと山形淑華さんとでパフォーマンスをやるということが書かれていた。
彼のパフォーマンスはとにかくすごいということを、寺町くんから聞いていた。茂木健一郎さんの本やブログにも彼のパフォーマンスのことは書かれており、それを読むと、とにかくすごい、ということは分かる。
彼のホームページを見てみると、個展の案内とともに、こんな詩がのっていた。

潮にゆられた丸石には、タマが宿っている
丸石の敷きつめられた座(くら)に
縄文石のストーンサークルの
大地の草葉の境界のあざやかさ
そのヴィジョンが浮かびあがる
地の反転、緑柱のそそり立つ座に
太古の祭がよみがえる

6日は絶対に行こうと思ったが、その前に、静かな状態も見てみたいなと思い、まずは3日に見に行く。

恵比寿駅から8分ほど歩いた、おしゃれなビルの裏手の、勝手口のようなところが会場の入り口だった。知らなければ、まず見落とすような場所だ。
入り口は普通のマンションのように鍵がかかっていた。地下の展示室にお越しの方は102を押して下さいとあったので、インターホンで102を押すと、しばらくして杉原さんの「どうぞ」という声が聞こえて鍵が開いた。
せまい螺旋階段を降りると薄暗い受付に杉原さんが座っていた。杉原さん以外にお客さんはいない。挨拶をしてから狭い廊下を歩き、会場に入る。

会場はがらんとした無機質な白い壁の、三十畳ほどの空間だった。
入り口には人の頭ほどの大きさの丸石が二つ、境界を示すように置かれていた。ここから先は異界なのだという緊張感を感じながら、その丸石の間を通る。そのとき空気が急に、なにか静謐なものに変わる。

会場の中程に丸石が敷き詰められ、苔の柱が環状に建っている。作品は蛍光灯に照らされている。それはなにか妙に好奇心を刺激される形をしていた。近づいたり、遠ざかったりし、様々な角度から、これはおかしなものだ、なにかとても変なものだと思いながら見て回る。

よく見ると、丸石にも二種類あることが分かる。茶色がかったものと、瑞々しいまでに滑らかなもの。その二種類の丸石が、螺旋でもない、渦でもない、なにかよく分からないからみ方をして置かれている。そしてその丸石の中に、胸ぐらいまでの高さから膝ぐらいまでの高さの十本の苔の柱が環状に立ち、一本だけその輪の外に立っている。さらにもう一本、会場の奥にある窓の外、地上との通気口あるいは明かり取りのような場所に立っている。苔の柱はうっすらと湿っていて、柱の基部の石も濡れている。おそらくは杉原さんが毎日、苔に水をあげて育てているのだろう。

しばらく見てから会場をでて、杉原さんに聞くと、茶色い石は川原から、そうでないものは海岸から拾ったのだという。苔の柱の中は流木で、そこに苔を貼付けたのだという。


6日に、もう一度会場へ行った。
案内の葉書には、「日暮れより 丸石座開演」とある。
恵比寿駅には五時頃着いたのだが、まだ十分明るく、これは「日暮れ」ではないなと思い、しばらくは写真美術館などへ行き時間を過ごす。それから少し西日になってきたかなというころ(六時すこし前ぐらいだっただろうか)、会場へ行く。

前のようにインターホンを押し、今度は杉原さんではない女性の声で「どうぞ」と声がして、中に入る。受付を済ませ、会場に入ろうとすると、杉原さんが会場から出てきた。なにか、本番を前にした、ただならない雰囲気に包まれていたので、少し会釈をしただけで中に入る。

会場の中は、前回とは対照的に、入り口付近まで立ち見になるほど混雑している。中を覗くと、どうやらもう始まっているようだった。

会場の中ほど、作品の前に座り、二人が何かをしている。でも何をしているのかよく分からない。おそらく詩人の吉増剛造さんと、山形淑華さんなのだろう。観客はめいめい壁際に座ったり立ったりし、二人を見つめている。静かで、張りつめた緊張感がある。

入り口で僕は、これはなにかすごい場所に迷い込んだなという気持ちになる。でも、ここまで来てしまったのだから引き返すわけにはいかない。奥の方の壁際に座れそうな場所があったので、入り口の混雑をぬけて中に入り、壁際にしゃがんだ。

会場には二三十人ぐらいいただろうか。若い人がおおい。みな静かに二人のパフォーマンスを見つめている。
山形さんは、服をすっぽり頭にかぶり、うずくまり、どこから出ているのか分からない高い声を出している。それほど大きな声ではないが、巫女のような、呪術的な声。吉増さんは正座し、何か、字を書いたり、口に何か鈴のような楽器をくわえ、それを鳴らしている。しばらくは二人の静かなパフォーマンスが続いていた。

やがて会場の明かりが消えた。
ややあって、波打ち際の映像が作品の上に投影され、波の音が会場に流れた。
そして次の瞬間に、何の前触れもなく、上半身裸の杉原さんが、苔の柱でできた環の中、作品の中心に飛び込んだ。丸石が大きな音をたてて飛び散る。地下の会場だからか、異様に大きな音が響く。
それから立ち上がり、また丸石の上に倒れ込む。丸石に足をとられ、激しく転倒する。また立ち上がり、また転倒し、壁に激突する。それから波の音に揺られるように、杉原さんは作品の上をクラゲのように漂う。ときおりまた丸石を踏み、激しく転倒する。その度ごとに、丸石がぶつかりあう音がする。そうやってしばらく作品の周りを漂ってから、今度は奥の窓の外へ出て、そこに置かれている苔の柱を抱え、戻ってきた。そしてその柱を立て、柱にしがみつき、しばらく動かなくなった。

それから今度は、苔柱の環の中心に座り、一つの丸石を手にし、渾身の力で別の丸石に打ち付けだした。丸石と丸石がぶつかる大きな音が響く。何度も何度も、石器を作っているかのような動作で、丸石を打ち付ける。その度ごとに、石がぶつかる、くぐもったような、鈍く、大きな音が、地下の会場に反響する。

やがて吉増さんが朱色の文字がかかれた和紙を掲げ、それを上から下へと、ゆっくり破いていった。そして破いた紙を、プロジョクターから投影されている波打ち際の光にかざす。山形さんはずっと高い声を出していたが、やがてうずくまり、動かなくなってしまった。しばらくしてから、杉原さんは、ふらふらと会場を出ていった。

しばらく静まり返っていたが、やがて吉増さんが、これで終わったということを告げた。プロジェクターが消され、明かりがつき、会場の張りつめていたものが解け、ほっとした空気に包まれる。どこからともなく拍手が起こり、長い間大きな拍手が続いていた。やがて杉原さんが拍手に迎えられ戻ってきた。

地下の会場を出ると、外は暗くなっていた。
しかし洞窟から明るい場所に出たような、とても清々しい気持ちになっていた。

 *

この文章は、パフォーマンスがあってから十日ほど後に書いているのだが、まだあのときの光景と音が、くっきりと残っている。
どんな解釈も受け付けず、理性的に理解しようとする行為を砕かれるようなパフォーマンスだった。
杉原さんが、苔柱を抱きしばらく動かなくなったとき、僕はなにかとてもおかしくて、でも同時に、なんだかとてもかなしくも感じていた。丸石を渾身の力で叩き付けていたときは、思わず近くにある石を手にとり、僕も叩き付けたくもなっていた。

パフォーマンスが終わった後、会場では簡単な食事が出された。
先ほどまで、丸裸の魂になっていた杉原さんだが、異界から戻ってきたようで、僕が知っている静かに話す杉原さんになっていた。

彼にどこまで内容を決めていたのかと聞くと、全く決めていなかったと言った。吉増さんや山形さんとも、一切何も打ち合わせていなかったそうだ。「電気を消して、プロジェクターで映像を映してから始めるというところまでは決めていたけど、あとは、何をするのか、自分でも全く分からなかった。」と言っていた。

ある女の人が、この作品が都会の真ん中の、このようなギャラリーに展示されていることがとても不思議、と杉原さんに言っていた。
それを受けて杉原さんは、本当は土の上でやりたい、空の下で、自然光の中でやりたい、と言った。

ぼくも、この作品が土の上に置かれていることを想像し、ああそれは本当にいいなと思ったが、燦々とした太陽の光の下では、ちょっと明るすぎるなとも思った。作品も、あのパフォーマンスも、月の光、あるいは焚き火の明かりで見てみたい。あるいは洞窟のような場所もいいなと思った。

でも、ギャラリーが地下にあるというのはとてもよかった。恵比寿のような都会の真ん中でも、その地下に、あのようなわけの分からないものがあるということがよかった。この場所でやることになったのは、前回のパフォーマンスを見たギャラリーのオーナーから誘われたからということで、地下にあるのは偶然なのだろうが、そういう偶然を引き寄せる力が杉原さんにはあるのだろう。

このようなパフォーマンスは、祭りのようなものだと杉原さんは言っていた。制度化される前の、原初的な祭り。とても古く、そして最も新しい形の祭り。ひととき理性の蓋がとれ、あらゆる言葉を飲み込む渦のような場を作り、そして見るものすべてを、わけの分からない場所まで連れ去るパフォーマンスだった。そして終わると、蓋はきっちりと閉じられ、また元の日常の中に戻る。

片付けを手伝った寺町くんは、丸石は土嚢袋何十袋分にもなっていたと言っていた。あれを一人で川原や海岸から拾い、一人で運び(何回も、背負ったりして運んだのだという)、ひとつひとつ丁寧に並べていった、その労力はちょっと信じられないと言っていた。

静かな地下の暗い場所で、ひとりでこつこつと石を並べ、祭りの準備をしている光景を想像すると、大変であることは確かだけど、なんだかとても楽しそうだ。きっと一つ一つ、丁寧に置いていったのだろう。そのように、都市の地下で、裏庭のような場所で、黙々と庭を造り、それを手入れする庭師のような仕事。そうやって現れた庭は、彼の内界であると同時に、この都市に住む人たちの、普段は決して見ることのできない内界でもある。

あの苔柱と丸石で作られた形や、石が打ち付けられた音や、杉原さんの動きなど、あのときあの場をたった一度だけ満たしたものが、記憶の中で、波に揺られるようにまだ漂っている。


ps.
杉原さんのかつての「行為」については、茂木健一郎さんのブログで読むことができます。
切り株と頭
夢燃やしの競争

投稿者 tsuyoshi : permalink | トラックバック (0)

2008年04月09日

友人の個展のお知らせ:『丸石座』

杉原さんから案内の葉書が届きました。

杉原信幸 個展『丸石座』石と苔の地下石庭
2008年 4月24日(木) - 5月10日(土)
11時−19時 入場料 200円
site [サイト]
東京都渋谷区恵比寿1-30-15サイトビルB1
http://www.site-ebisu.com

*5月6日(火)日暮れより
吉増剛造×山形淑華×杉原信幸 
丸石座 開演

楽しみ楽しみ。

杉原さんのHP
杉原さんのブログ

投稿者 tsuyoshi : permalink

2008年02月27日

古人骨掃除夫ツヨシ

去年の十一月から、ある国立の博物館の、人類研究部というところでアルバイトをしています。何をしているかというと、遺跡などから発掘された古人骨のクリーニングをしています。
働いている標本資料室には、縄文時代から江戸時代までの古人骨が数千体保管されています。その部屋の一角で、まだ土が付いたままの人骨から、丁寧に土を落とし、きれいにする作業をしています。ときどきはばらばらになっている頭骨を組み立てる作業などもやりますが、だいたいの時間は掃除をしています。仕事は友だちから紹介してもらいました。

この仕事、とっても気に入っています。
骨を一つ持ち、はけや竹串などでこびりついている土などを落とし、きれいに掃除する。きれいになったらその骨を置き、次の骨を一つ手に持ち、またはけや竹串などできれいにする。その作業を延々と繰り返すだけなのですが、こういうシンプルな手作業に、どうも僕は向いているようです。

同じことを繰り返すのですが、工業製品ではないので、当然ながらひとつとして同じ骨はありません。脆いものやしっかりしたものなど、状態がいろいろで、形もいろいろなので、力のかけ具合もいろいろです。使う道具もいろいろ違ってきます。でも慣れてくると、そういうことは考えなくてもよくなります。状況に応じて、ただ手を動かすだけです。
普段ずっと言葉を組み合わせたりほぐしたりしているせいか、頭を使わないシンプルな手作業だということがなにより嬉しいです。とても単調で、それなのに集中を要する手作業なのですが、そういう淡々としたリズムがいいのです。

「どんなひげ剃りにも哲学がある」という言葉を思い出します。どんなことでも、それをずっと続けると、何かしらの観照のようなものを得られると、村上春樹さんは、『走ることについて語るときに僕の語ること』という本で、この言葉を紹介しながら言っていました。(この本はかれの走ることに関するエッセイで、とても面白かったです)骨を掃除することにも、ひげを剃ることや走ることと同じように、それをずっと続けていると、何かしらの観照のようなものが得られるように思われます。

人骨にこれだけ日常的に接するのは、やはり特殊な環境です。でも作業しているときは、それを人骨だとはあまり意識していなく、むしろただのモノでしかなくなっています。そしてときどきふと、これは人骨なんだよなと思います。でもそれはほんの一瞬のことで、普段はやはりただのモノと感じています。人骨の触感は枯れた木に似ています。

ときどき標本資料室を歩き回り、縄文から江戸までの、ずらりと並んだ頭骨を眺めます。それはなかなかシュールな眺めなのですが、決して不気味でも気味悪いものでもありません。むしろ何か、静かで清潔な気配があります。生きている間に感じたであろうどんな強い想いも、骨からはあまり感じられません。きっと骨がからからに乾いているからでしょう。水分がないと、情のようなものも宿りにくいのかもしれません。

作業していると、ときどきとても深く集中していることがあります。ゆっくり、丁寧に作業していると、いつのまにか深い海にどんどん潜っていくような感覚になることがあります。そういうときは時間を忘れています。そして、こんなに深く集中してしまって大丈夫だろうかとふと思い、息継ぎをするように集中を解き、あたりを見回します。

見回すと、いつもの見慣れた頭骨がずらっと並んでいます。標本資料室はだいたいいつも静まり返っており、空調の音しか聞こえません。こういう環境に一定期間身を置くことが、なにかとても好ましいことに思えるので、この仕事を楽しんでやっています。きっと瞑想することにとても似ているのでしょう。瞑想することに似ているなと思うから、なるべく足を組んだりしないで、なるべく背筋を延ばして椅子に座ります。ときどきは姿勢を崩してしまいますが。

掃除し、きれいな状態にする、ということにも得難い充実感があります。
掃除することは、精神衛生上何かしら好ましいものがあります。そしてそれが、日常的には接する機会のない人骨であることが、より効果を増すように思います。ずいぶん土などがこびりついて汚れていた骨が、せっせと掃除することできれいになると、なんだか自分の骨もきれいになったようで、ああいい仕事をしたなと思います。標本資料室には世界中から研究者が来て、ここの骨をあれこれ研究しています。だから人類学に何かしら貢献しているという気持ちもない訳ではないですが、正直に言うとそのような気持ちは薄く、むしろ自分のためにやっています。ぼくは古人骨を掃除したいのです。

でも、集中して没頭しているばかりではありません。とても単調な作業なので、とくに昼食後などはとても眠くなります。眠くなると時間が一向に進まなくなります。そういうときは、眠気のピークを越すまでがすこし大変です。そしてそういうときに、これから掃除する骨が積み上がっている箱を見上げると、スコップでヒマラヤ山脈を切り崩しているような、サハラ砂漠の砂を一粒ずつ数えているような、なにかぐったりとした疲れを覚えます。シーシュポスの神話のように、ぼくは岩を山の上に運ぶことを繰り返しているのではないかという気がしてくることもあります。
でも、眠気のピークを越えてしまえば、ふたたび深い海に潜るような集中が訪れ、充実した時間になります。

ミヒャエル・エンデの『モモ』に、道路掃除夫ベッポという魅力的なおじいさんが登場します。古人骨を掃除しているとき、よくかれのことばを思い出します。

「なあ、モモ」とベッポはたとえばこんなふうにはじめます。「とっても長い道路をうけもつことがあるんだ。おっそろしく長くて、これじゃとてもやりきれない、こう思ってしまう。」
しばらく口をつぐんで、じっとまえのほうを見ていますが、やがてまたつづけます。
「そこでせかせかと働きだす。どんどんスピードをあげてゆく。ときどき目をあげて見るんだが、いつ見てものこりの道路はちっともへっていない。だからもっとすごいいきおいで働きまくる。心配でたまらないんだ。そしてしまいには息がきれて、動けなくなってしまう。道路はまだのこっているのにな。こういうやり方は、いかんのだ。」
ここでしばらく考えこみます。それからようやく、さきをつづけます。
「いちどに道路ぜんぶのことを考えてはいかん、わかるかな? つぎの一歩のことだけ、つぎのひと呼吸のことだけ、つぎのひと掃きのことだけを考えるんだ。いつもただつぎのことだけをな。」
またひと休みして、考えこみ、それから、
「するとたのしくなってくる。これがだいじなんだな、たのしければ、仕事がうまくはかどる。こういうふうにやらにゃあだめなんだ。」
そしてまた長い休みをとってから、
「ひょっと気がついたときには、一歩一歩すすんできた道路がぜんぶおわっとる。どうやってやりとげたかは、じぶんでもわからんし、息もきれてない。」
ベッポはひとりうなずいて、こうむすびます。
「これがだいじなんだ。」

古人骨掃除夫ツヨシも(いい肩書きだ)、このベッポさんのことばに、おおきくうなずきます。丁寧に、没頭しながらひとつひとつ掃除をしていると、あんなにたくさんあった骨が、知らぬ間にぜんぶ掃除し終わっています。そして自分の向かいたい方に、またほんの少しだけ、舵を切れたような気がするのです。

投稿者 tsuyoshi : permalink | トラックバック (0)

2008年01月13日

映画「いのちの食べかた」

おとといの夜、友人に誘われ、「いのちの食べかた」という映画を見に行った。
食べ物の生産と加工の現場を映し続けたドキュメンタリー映画。ナレーションもセリフもインタビューも音楽も一切なく、「意味」というものを極端に排除し、ただ淡々と映像が切り替わるだけの、ストイックすぎるほどストイックな映画だった。92分間、息を止めるように凝視して、見終わったあとは長い潜水をしていたような目眩を覚えた。

驚いた、というのが正直な感想。
あまりに何度も驚いたので、最後には何に驚いたのか分からなくなるぐらい、僕はずっと驚いていた。
そしてそれからずっと、なにかとても原初的な感情のなかにいる気がする。もしかしたらとんでもない作品を見てしまったのではないかと思いつつ、未分化の、名付けようのない感情の中にとどまりながら、分類して消化したり了解済みにしてしまったりしないで、この未分化の感情のなかにできるだけ長くとどまっていたいと思い続けている。誘われたからという理由で、なんの構えもなく見に行ったのだが、思いの外こたえた。ストンと落とし穴に落ちたような不意打ちだった。

この映画は、「現代の食糧生産事情を多くの人に知って欲しい」というパンフレットにあったニコラウス・ゲイハルター監督の言葉そのまま、ただ見て、ただ知るだけのものだった。ただ光景という素材を提供するだけで、それをどう受け取るかは完全に見る側にゆだねていた。何も批判しないし、告発しない。どこまでもただの凝視する目であり続けようとするカメラの視線が、安易な答えへと導くことなく、自分で考えろと突き放す厳しさと、受けとめ方はあなた次第だという寛容に満ちていた。その立ち位置がとても好ましかったから、映画を凝視し続けられたのだが、終わってみるとなぜだか逃げ場所のないところに追いやられている気がした。

「食べる」ということが、ほんとうはどういうことなのか、たぶん僕たちはそのほんとうのことを直視できるほど強い自我を持ち合わせてはいない。直視すると自我が破壊されてしまうのだと思う。「食べる」ということの真ん中には、あらゆる意味と言葉と行為とイメージを無限に創造し、同時に無化するような底が抜けたゼロ地点がぱっくりと口を開けていて、ドーナツの真ん中が食べられないように、僕たちは「食べる」ということの真ん中を直視できない。

でも、直視できないけれど、にじり寄ることはできる。この映画はぎりぎりまで、「食べる」ということの「ほんとうのこと」ににじり寄った映画だと思った。映画の原題は「OUR DAILY BREAD」。光景だけのこの映画において、唯一手がかりになりそうなのはこのタイトルだけだ。訳すと「日々の糧」となるそうだが、かなり宗教的な意味合いを持たせている言葉でもある。掴もうとしても手の中をするすると逃れていく光景たちだが、「OUR DAILY BREAD」という言葉を、記憶の中に釣り針のように垂らし、何かが釣り上がるのを辛抱強く待つしかないのだろう。
いまは、記憶の中で、映画の光景が、居場所を探すように移動し続けていて、やっかいだから考えることを留保していた別の事柄をつぎつぎと起こしてしまうような状態。だから今ちょっと頭の中が騒がしくなってる。しばらくはこの騒がしさに付き合うしかないみたい。おすすめです。

投稿者 tsuyoshi : permalink | トラックバック (3)

2007年11月30日

「祝婚の詩」

「祝婚の詩」

続きを読む "「祝婚の詩」"

投稿者 tsuyoshi : permalink

2007年11月16日

写真展とお話のおしらせ(追記あり)

11月26日まで京都造形芸術大学でちいさな写真展をしてます。
去年の5月に大阪のCASOという場所で展示した写真をも一度使ってます。あのときはナトリウムランプで色がなくなってたけど今度はちゃんとカラーです。

最終日の26日には「地球大学@京都造形芸術大学」というレクチャーシリーズの第四回として竹村先生とお話する予定です。喜望峰からの旅の話と、水源域の撮影の話などをできたらと思ってます。偶然ですがいま東京ミッドタウンで開催してる「WATER展」という展覧会のスーパーバイザーを竹村先生がされてるので、水の話などもできたらと思ってます。一般の方も全然大丈夫なので関西方面に住んでいる方はぜひ来て下さい!

(20日追記:26日に新作の水源域の写真を一枚か二枚持って行きます!)


場所:
京都造形芸術大学 人間館1F 地球回廊ブース内(アクセス

期間:
2007年11月14日(水)ー26日(月)
9:00−20:00 入場無料 日曜休館

11月26日(月)18:00ー20:00
本郷毅史 × 竹村真一先生
地球大学@京都造形芸術大学 第四回「新しい地球観」(で、でかいテーマだ…)


*コンセプト文とポスターと会場の様子を載せておきます。

本郷毅史写真展
喜望峰ー日本 「一番遠い場所をここにつなげる」


「一番遠い場所」から日本を目指して自転車で旅をする。ある日そう思い立ち、アフリカの南端喜望峰に行き、自転車を漕ぎはじめた。当初は二年で戻って来れるだろうと思っていたが、世界は思った以上に大きく、僕は予期せぬほどに旅に魅了され、結果三年五ヶ月かかった。

日本を目指して自転車を漕いでいる時、あまりにも遠い、という思いをしばしば抱かされた。しかし黙々と漕ぎ続けていたらいつしか日本に辿り着いていた。自転車で旅をするということは見知らぬ場所と場所を一本の糸でつなげていくこと。そしてそうやって「一番遠い場所」からつなげてきた糸を、最後に生まれ育った場所につなげることで、世界が、自分の身体と地続きにあるということを知ることができた。

世界は、テレビや新聞記事のむこう側にあるのではなく、自分のいる場所から「一番遠い場所」までずっと、皮膚一枚隔ててつながっているのだということ。喜望峰のような遥かな場所も、直接「ここ」につなげることができるのだということ。そういう当たり前のことを、黙々と自転車を漕ぐことで、身体に染み込ませていったのだと思う。

ここに展示している写真は、むこう側の光景ではなく、自転車に乗って見た光景。僕の目の前、皮膚一枚隔てた外側に、目も眩むような世界が展開されていた。


投稿者 tsuyoshi : permalink | トラックバック (0)

2007年09月30日

映画「水になった村」

先週ゆーさん(石田ゆうすけ氏、自転車旅友だちかつ阿佐ヶ谷のご近所さん)が、おすすめだよと映画「水になった村」のパンフレットと割引券をぼくのアパートの郵便受けに入れてくれてた。次の日友だちの寺町くんから来週「水になった村」っていう映画見に行きませんかというお誘い。
ほぼ同時に二人の友人から誘われ、これは絶対見に行かねばと思い、土曜日にポレポレ東中野へ行ってきた。

実は以前「ひめゆり」という映画を同じ映画館でみたとき、「水になった村」というタイトルだけは目にしていた。でも特に心に留まらなかったのは、タイトルから、暗い、悲しい、気が重たくなるイメージが浮かび、ああそういう映画かと思ってしまったからだと思う。
でもとんでもないのである。むしろ正反対で、明るく、楽しく、そして透明な哀しみに満ちた不思議な清々しさが、見終わったあともずーっと残っている。

ダム建設に伴い水に沈むことになる徳山村に、「村が沈んでしまうまでできる限り暮らし続けたい」と、移転先から何家族かの老人たちが戻ってきていた。そのじじばばたちの暮らしぶりを監督の大西さんが15年間通い続け撮りためたドキュメンタリー映画。

ともかく食べてばかりの映画だった。
山菜や木の実などをとり、畑の野菜を収穫し、魚をとり、それを料理し、ともかく尋常ではない量を食べていた。ソフトボール大のぼたもちを二つも三つも食べ、一回の食事で、監督とじょさんという八十代のおばあちゃんとで五合の炊き込みご飯を平らげていた。すごくおいしそうだった。
そんなに食べても太らないのは、きっとずっと働き続けているから。山菜をとりに何時間もかけて野山を往復し、それを大変な手間をかけて漬け物などにし、ほぼ一日中ずっと食べ物を作り続けている。
この映画を見ていると、生きることと食べることと働くことが直結していて、そのシンプルさがきらきら光ってまぶしいぐらいだった。

見終わったあと配られていたアンケート用紙に感想を書こうとしたのだが、いい映画を見終わったあとの常でなにか頭がぼーっとしてしまい、とても言葉にならず、ただ「すごくよかったです」ということぐらいしか書けなかった。もうちょっとこのぼーっとした、言葉にならない、とても幸せな余韻の中にいたい、もう少ししたらやはり、そのぼーっとした霧のような状態をぎゅっと透過させて言葉にしていくことになるのだろうけど、せめて見終わった直後だけは、頭に乱反射しているイメージの断片と音楽の余韻の中にいたいと思っていた。

映画の冒頭に、村道にゆっくりと水が迫りバッタが驚いている映像と、大きな一本の杉の木が半分まで水没している映像があった。ありえない事態に、昆虫も、木々も、とても驚いているようだった。
じょさんの大きな家が取り壊される映像は余りに悲しかった。一体僕たちはこれほどのものを犠牲にして何を得ようとしているのか、取り返しがつかない性急な変化の中で、どこへ向かおうとしているのか。

村から移転先に引っ越したある老人が、もう20年も住んでいるけれど仮住まいのような感じだと言っていた。
その感覚は、ぼくにとっては日常的なものになっている。大きな変化の方向として、狭く深く大地とつながっていた人間が、その接続の仕方を変え、広く浅くつながるようになっているのだと思う。そういう変化のなかに僕もいるから、どんな場所にいても仮住まいのような感覚を覚えることがもはや当たり前になっている。

単純に昔がよかったなどとは思わないし、この映画もそういう押し付けがましいところはない。
ただ淡々と、底抜けに明るいじじばばの暮らしぶりを伝えてくれるだけなのだが、それが僕にとってはなにかユートピアのように見え、眩しいほど楽しそうな暮らしに思えた。本当は、地上にユートピアはないということは分かっているはずなんだけど。

何を美しいと思うのか、どんな光景が輝いて見えるのかが、変化の方向を決めていくのだと思う。巨大なダムや、超高層ビルを見上げたときに心躍るようなものを覚え、大都市の、何でも買える便利さ、どこへでも行ける自由、多くの人やすばらしい作品に出会える可能性に未来が開かれていると感じるのなら、そういうものを押し進める方へと世界は変化しつづけるだろうし、木漏れ日や小川の透明な水を美しいと思い、薪で焚く風呂や、自分で採った山菜の漬け物や、自分の手でなんでも作る生活をいとおしいと思うのなら、もうちょっと節操のある方向へと舵を切っていくのだろう。

僕は、困ったことに両方ともが魅力的に思える。
だから両者に引き裂かれているというのが正直なところ。
でも、矛盾を抱えながら引き裂かれてしまうのではない、新しい大地との関係の仕方がきっとあるとも思っている。(思いたいのだ)
この映画には、そういう新しい価値観を育てていくヒントがどっさりと詰まっている気がした。

主題歌は宮澤賢治作詞、李政美(イジョンミ)さんが歌う「星めぐりの歌」。
この歌は「双子の星」という童話のなかに出てくる歌でもある。

正しく強く生きるとは銀河系を自らの中に意識してこれに応じて行くことである(「農民芸術概論・序論」)

という賢治のことばを思い出す。
じじばばの世代の、銀河系に応じて生きる生き方を参考に、ぼくたちの世代は、どうやって銀河系を意識し、どうやってそれに応じていくことができるのだろうか。徳山村の日常を撮った作品であるのだけど、決して徳山村に限ったことではない、なにか宇宙的な広がりをも感じさせる作品だった。

この映画は、見終わったあと無性に人に勧めたくなるような力があります。
なにか、大切なバトンを渡された気になり、星めぐりのようにリレーしていきたいという気になるのです。友人から勧められてみた映画、順送りに繋がっていけたらなと思う。心からおすすめします。

ps
ポレポレ東中野での上映は10月5日までなのでもうすぐ終わってしまいます。
大垣での上映は10月中旬までのようです。
名古屋、長野、大阪ではこれから上映されるようです。
詳しくは「水になった村」のHPで。

ps2.
ネットをうろうろしていたら、さげさかのりこさんの感想を見つけた。
僕は「考える人」という雑誌が大好きで、そこに連載されているさげさかさんの「娘と私」というエッセイの大ファンでいつも楽しみにしているのだが、映画の感想もとても丁寧に書かれていて読み応えがあった。「一番悲しいことは、終わってしまうことではなく、続かないということだ」ってほんとうにそう思う。

投稿者 tsuyoshi : permalink | トラックバック (0)

2007年09月02日

次の十年、「根」と「葉」について

あと二カ月とちょっとで三十歳になります。
自分が生きた年月を数字にされると、多いのか少ないのかよく分からないけどいつも違和感があります。でも、ともかくもうすぐ三十になるようです。

二十代は旅の時代でありたい。
たしか、二十歳になったばかりのころ強くそう願いました。「時代」なんていう言葉を使うあたりが若いなあと思うのですが、いま振り返ると確かにそのとおりになっていました。

二十代前半は山と自転車旅に明け暮れました。単独で沢や冬山へ行き、喜望峰から日本まで三年半かけて自転車で旅しました。
二十代後半は、読書や執筆を主とした内面の旅に明け暮れていました。物理的に動く旅をする余裕はほとんどなく、主に自分の中へ深く下りていくような旅をしていました。

この十年間、物理的にも内面的にも、よく旅したなあと思います。
意図してこうなったというよりも、振り返ってみたらこうなっていたというのが正直なところですが、みごとに二十代前半と後半で旅の性質が違っています。

二十代前半は、自分を外の世界に放り出したいという止むに止まれぬ情熱で旅立ち、現実に直面するような若い旅でした。そして後半は、三年半の自転車旅で抱えきれないほどの「問い」を持ち帰ってしまったので、途方に暮れながらずっと言葉を探していました。

「世界」や「自分」について思うときはよく『スティル・ライフ』という小説の冒頭におかれている、一遍の詩のような美しい文章を思い出します。

 この世界はきみのために存在すると思ってはいけない。世界はきみを入れる容器ではない。
 世界ときみは、二本の木が並んで立つように、どちらも寄りかかることなく、それぞれまっすぐ立っている。
 きみは自分のそばに世界という立派な木があることを知っている。それを喜んでいる。世界の方はあまりきみのことを考えていないかもしれない。

 でも、外に立つ世界とは別に、きみの中にも、一つの世界がある。きみは自分の内部の広大な薄明の世界を想像してみることができる。きみの意識は二つの世界の境界の上にいる。
 大事なのは、山脈や、人や、染色工場や、セミ時雨などからなる外の世界と、きみの中にある広い世界との間に連絡をつけること、一歩の距離をおいて並び立つ二つの世界の呼応と調和をはかることだ。
 たとえば、星を見るとかして。

(池澤夏樹『スティル・ライフ』中公文庫より)


僕は、「世界」と「自分」を、二本の木が並び立つというイメージで捉えたことはないけれど、両者の間に「連絡をつけること」「呼応と調和をはかること」に深く共感します。

「世界」と「自分」との関係を考えるとき、このごろぼくはよく、一本の木をイメージします。森の中に立つ一本の木のように世界と連絡をつけたいなと思うのです。

一本の木は主に「根」と「葉」とで世界と連絡をつけています。
「根」は、暗い地中に深く伸び、「自分」を「世界」と繋げ、そのことで自立しています。
「葉」は、明るい空の中で光を受け、「自分」を「世界」に向けて開き、そのことで森の一部になっています。森の中に場を得ています。
そういう木のありかたに、なにかとても大切な、見習うべきものがある気がするのです。

次の十年、僕は三十代もやはり旅をし続けたいと思っています。
でもそれは二十代と同じことをやるのではありません。
旅とは、不確実な状況のなかへ踏み出していくことです。
ありったけの知恵と勇気をふりしぼり、すこしづつ進んでいくことです。
「世界」を見て、「自分」を見たあとは、やはり「世界」と「自分」の間に連絡をつける作業に取り掛からなければなりません。
そういう旅を、次の十年もやっていきたいのです。

先日、「樹のたねになる夢を見た」という詩を書いたときに、ああようやく僕は種になったのだなと思いました。二十九年かけてやっとここまで来て、そしてこれからはじまるのだと思いました。これから根を生やし、葉を繁らせていくのだと思いました。

根を生やすことは「自分」を「世界」と繋げていくことです。
葉を広げることは「自分」を「世界」に向けて開いていくことです。
似たようなことに思われるけれど、やはり全然違います。

根を生やすことは、闇の中で、孤独に、深く大地の奥へと向かうことです。歴史に学び、過去の偉人たちに学び、過去と現在を繋げ、その上で自分の両足で立とうとすることです。
葉を広げることは、光の中で、いま共に生きている他者と調和し、垂直に天に向かうことです。ここからすべての場所へ自分を開いていくことで、世界のなかに居場所を作っていくことです。

「根」のベクトル、「葉」のベクトル、どうしても両方必要なのです。
「自分」という境界を保ったまま、「世界」に繋がり、「世界」に向けて開いていくこと。僕は、この二つのベクトルを意識し、樹のあり方を意識しながら、世界と連絡をつけていきたいです。

世界と連絡をつけるということは、具体的に形にしていくということでもあります。抽象的な概念の上ではなく、実際に、生活の中に実現させていくということでもあります。理想を現実と接続させていくということでもあります。ちゃんと届く形にしていくということでもあります。

十年前の、二十歳を目前としたあのころは、不安と希望に押しつぶされていたように思います。三十を目前としている今も同じぐらいの圧力を感じているけれど、不安と希望は同じものの別名なのだということは、この十年で学んだことの一つです。四十を前にしたときはいったいどのように感じているのでしょう?

でもそんな先のことを思うよりも前に、ともかくあと二カ月生き延びなければなりません。無事に三十を迎えることに集中せねばなりません。そうでないと、せっかく書いたこの三十代の抱負が台無しになってしまいます。

来週あたりまた沢に行きます。水源の撮影は方法論も含め模索中で、いろいろと試しているのだけどまだ鉱脈にあたってはいません。時期がくれば自ずと、と思いながらジタバタするしかないようです。二十代を三十代へとリレーしていくことがこの水源行に求められていることなのかもしれません。

投稿者 tsuyoshi : permalink | トラックバック (0)

2007年08月19日

映画「ひめゆり」

ひめゆり」というドキュメンタリー映画を観た。

前からこの映画を見たいと思っていて、東中野にある映画館でレイトショーで上映しているのも知っていて、行こう行こうと思いながら夜8時ぐらいになると決まって急に眠くなり、何日も行き逃していたのだけど、今日ようやく観ることができた。
8時ごろになると急に眠くなったのは、この映画とちゃんと対峙するのがつらいなと感じていたからだと思う。

沖縄戦で「ひめゆり学徒隊」の一人一人がどのようなことを体験したかを、生き残ったおばあたちの証言で綴るドキュメンタリー映画。

この映画のことは、Coccoのスピーチ(Cocco - 沖縄ゴミゼロライブ - Peace)を見たことがきっかけ。
それからCoccoが映画のパンフレットなどにメッセージを寄せていることを知り、ぜひ見てみたいと思ったのだ。

映画が始まってすぐ、やっぱり途中で部屋を出ちゃうかもしれないと思った。ぼくの器はあまりにもちいさく、すぐに溢れてしまうと思った。
でも、映画の中で話してくれているおばあたちの痛みに比べたら、その証言を聞く痛みなどとるに足らないものだとも思い、それにおばあたちの表情が、とてもつらい体験を語っているにも関わらずどこか希望とやさしさに満ちていたから、最後まで観ることが出来た。

そして、僕は本当になんにも知らなかったと思った。
知識や情報ではちきれそうになっている僕の頭は、でも本当に知らなければならないことがすっぽり抜け落ちていると思った。
一人一人の、生身の人間に起こったこととして知ることなしに、どんな出来事も本当の意味で知ることなんて出来ないんだと痛感した。

過去を現在につなげていくこと。それは時に痛みを伴うけれど、僕たちがいまどんな場所に立っているかを知らないと、ちゃんと自分の足で立つことが出来ないから、いま立っている場所はどんな過去とつながっているのか、ちゃんと知りたいと思う。

かつて僕は、「強さ」というのは、異国の地に一人でいても、圧倒的な孤独の中にいても、どれだけ厳しい自然状況のなかにおかれても、生きていけることだと思っていた。
そんな強さがほしいと思い、単独で山に登ったり旅をしたりした。

でも「強さ」ってそういうものだけじゃないといまは思う。
自分の立っている現実から目を逸らさない強さ、思考停止をしないで考え続ける強さ、他者の痛みをありありと自分ごととして受けとめられる強さ、自分のなすべきこと、やり遂げるべきことを探し、みつけたらそれを全うして生きる強さ。いまはそんな強さに憧れている。
映画を見に行こうとするだけで眠くなってしまう僕はいまあまりに弱いけれど、そんな強い人になりたいと思った。話してくれたあのおばあたちに感謝するとともに、その強さに逆に励まされるような気がした。

多くの人にぜひ見て欲しい映画です。
痛みを感じずに観ることはできない映画だけれど、おばあたちの明るさと、南国の、命を肯定してくれるような光景に助けられ、痛みが深いところから希望に変わっていくのを感じられる映画でした。

投稿者 tsuyoshi : permalink | トラックバック (0)

2007年08月16日

「樹のたねになる夢を見た」

「樹のたねになる夢を見た」

続きを読む "「樹のたねになる夢を見た」"

投稿者 tsuyoshi : permalink