1−5

当たり前のこと

 
  ジンバブエを出国し、モザンビークに入国する。
  一路マラウイ方面へ向けて自転車を走らせる。道端にバナナが一房十円、オレンジが四つで十円で売られていたので、毎日それをガソリンにして駒を進める。モ ザンビークではあまり宿が見当たらなかった。そしてあったとしてもとても高かった。野宿できるような手ごろな場所は道端にたくさんあるのだが、内戦をして いたということと、足のない人をたまに見掛けるということが気になり、地雷があるのではないかと思ってしまう。できれば道端にテントを張って野宿すること は避けたかった。だからよく民家の庭先にテントを張らせてもらったのだが、これがとてもよかった。
  夕方になり、暗くなってきたら、道端にある家々に注意しながら走る。そして挨拶をしてくれる人や道端で話している人に声を掛け、今晩の泊る場所を頼む。ほ とんど言葉は通じないので身振り手振りになる。そして、まず間違いなく歓迎してくれた。

  ある日のこと。
  その日も道端にいたおじさんに声を掛け、民家の庭先にテントを張らせてもらえることになった。土の壁でできた家、屋根は藁葺き。その庭の隅のほうにテント を張った。子供たちが七、八人、昼間放し飼いにしていたニワトリを捕まえるのに大騒ぎしている。次々と捕まえて小屋へ入れていった。

 しばらくすると暗くなり、庭の中心に焚き火がついた。女たちは隅のほうで食事を作っていた。みなで焚き火を囲む。僕も手招きされて加わった。長男だろう か、一人だけ少し英語を話せた。どこから来た、どこへ行く、簡単な質問に答えたあとは話が尽きた。そうこうしているうちに食事が運ばれてきた。サザ(とう もろこしの粉を練ったもの)と葉っぱを煮たもの、それからわずかの肉。きっとほとんど毎日変わることのない食事なのだろう。

 サザを手に取りおかずにつけて食べる。実に質素だった。しかしうまかった。なぜなら焚き火を見ながら満天の星空の下で食べていたからだ。「おいしい」と おじさんに言ったらもっと食え、もっとどうだと勧めてくれる。なんと素朴で暖かな親切なのだろう。

 家族全員が焚き火を囲んで食事をしている。食事が終わっても焚き火を眺めながらボソボソと会話が続いている。少年が焚き火の番をして、弱くなったら薪を くべている。母親は赤ちゃんを抱いている。会話が途切れると子供たちもみな焚き火をじっと見つめている。モザンビークのほとんどの人がそうであるように、 その家族も貧しいようだった。しかし、「貧しい」という言葉の意味を無力にするような、つつましくも確かな生活を見た気がした。会話が尽きないので、一人 テントに戻って寝た。

  連日、民家にお世話になりながらモザンビークを駆け抜けた。多くの人々の厚意に助けられながら旅をした。毎日を生きるつつましい生活に触れることができ た。自転車の旅ならではの体験だった。そして、どこにでも生活があり、会話があり、想いがあるのだと思った。どこにでも人々は生きているのだと思った。そ んな当たり前のことを、忘れないようにしようと思った。
  今夜もあの家族は焚き火を囲んでボソボソと話をしているのだろう。彼らの頭上には星が輝いているのだろう。そんなことを想像できるということは幸せなこと だと思った。

←back        ↑contents        next→