2−1旅立ちまで
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旅立ちを決めたのは、大学に入学して二カ月後のある夜だった。 僕は世界地図を見ていた。一人暮らしを始めたばかりのアパートで、いつものように国名をなぞり、国境を越える道をなぞり、恍惚とし、見知らぬ遠くの国を 旅することを思い描いていた。そしてふと、日本から一番遠い所はどこだろうかと思った。南米最南端か、アフリカ最南端だ。こんな所から日本を目指して自転 車で旅したら面白いだろうなと思った。どちらが面白いだろうかと思い、アフリカから旅したほうが辿る線が美しいなと思った。いきなりアフリカというのもい い。距離はどれくらいあるのだろうかと指で大まかに計ってみると、四、五万キロあった。どれくらいの期間があれば走れるか計算してみた。一日百キロ走ると して、四、五百日だなと思い、休憩日を入れ二年間あれば走れると思った。どの国をどう走れば面白いだろうか、地図を食い入るように見た。 見知らぬ都市と都市を繋ぐ道をなぞり、サバンナを抜け、ジャングルを突破し、砂漠を縦断する。海峡を渡り、中世の歴史に出てきた都市を繋げ、大陸を横断 する。山脈を越え、海岸線を走り、憧れの町をくまなく訪れ、日本まで線を引く。そして、まずいな、と思った。僕はあまりにもわくわくしすぎていた。この計 画は、本気でやろうと思えばできてしまうということに怖くなった。今、あまりにも壮大な計画を思い描いていることに気がつき、怖くなった。しかし、計画は 狂おしく魅力的に思えた。次から次へと旅している姿を想像してしまい、具体的に旅の細部にまで想像が及んだ。装備は? 資金は? ビザは?―――想像が止 まらなくなった。 もはや、それが可能か可能でないかではなかった。やるか、やらないか、だった。そしてやらないという選択肢はありえなかった。 それは正確に恋だった。一目惚れしていた。思いついた途端に、もう落ちていた。まだ引き返せる、今ならまだ白紙に戻せると少し無駄な抵抗をしてみたが、 まったく意味をなさなかった。そしてその日のうちに日記に「喜望峰から日本まで自転車で旅する」と書いていた。 今までの旅が後押しをしていた。 初めての自転車旅は中学二年生、十四歳の春休みだ。同級生を二人誘い、実家のある静岡県の浜松市から富士山の二合目まで四泊五日で往復した。中学三年の 春には一人で伊豆半島を走った。高校一年の夏には北海道を二週間で走った。そして高校二年の夏には四十日間かけ一人でカナダを縦断した。 どの旅も、ぎりぎりにまで背伸びをした旅だった。旅ごとに世界が広がり、旅ごとにステップアップしていくのが楽しくて仕方がなかった。同じことは繰り返 さない。常に今の自分にできるぎりぎりのことがしたいと思って計画し、思い切ってやってみた。そして、やってみたらできた。だから、喜望峰から日本まで走 る計画を思いついたときに、やろうと思えばできると思えたのだ。国境、治安、病気などの不確定要素を数え上げたらきりがない。誰も喜望峰から日本まで走れ るかなど知りはしない。不可能ではないと思えるだけで十分だった。 出発を決めてしまったら、心はいくらか落ち着いた。資金を貯めるために準備期間を二年間とし、二年が経ったら休学することにした。もはや大学生活は仮の姿 になり、授業は上の空だった。出発までに為すことはそれほど多くはなかった。装備を揃え、資金を貯めるだけだ。そしてわくわくしていればいい。 一年から二年に進級するときに、支出を減らすために家賃二万五千円のアパートに引っ越した。築数十年、昭和の遺物のようなそのアパートを僕はひどく気に 入った。六畳一間で台所とトイレが付いていたが風呂はなかったので、銭湯に行くか、大学の体育館のシャワーか、友人のアパートの風呂を借りた。自炊も徹底 した。飲み会などは極力出ないようにした。空いた時間には単発のアルバイトを入れ、夏休みには山小屋で住み込みのアルバイトをし、僕はどんどん大学から遠 ざかっていった。どうせしばらくすると旅立ってしまうのだと思い、その日が来るのを心待ちにしていた。 旅の計画を思いついてからすぐに、僕は両親や友人にその計画を話した。もう出発することは自明だったし、両親が反対しないのも今までの経験から分かってい たからだ。両親の旅に対する理解は深かった。心配はしていたようだが、反対の言葉はとうとう最後まで聞かなかった。おそらく反対しても無駄なことをよく 知っていたのだと思う。そしてどうせ出発するのなら気持ちよく出発させようと思ったのだろう。僕にとって両親が反対しないということはごく当たり前のこと に思えたが、それが極めてまれであるということは、後に知った。 出発をあと半年後に控えた秋頃だったと思う。その日は夕焼けが美しかった。僕はアパートのきしむ階段を登りながら、その夕焼けを見るともなく見て、「大学 を辞めたらどうだ、辞めてしまったらどうだ」と不意打ちのような感情に襲われた。今までそのことについては真剣に向き合うことを後回しにしてきた。考える ことを恐れていたのだ。大学に僕は居場所を見つけられないでいた。授業にも何か得ているという実感がなかった。ただいたずらに時間を浪費しているように思 えてならなかった。しかし、浪人までして苦労して入った大学を辞めるのは惜しい。そして学ぶということ自体は嫌いではない。だから休学で納得しようと思っ ていた。休学では本当の意味での「旅」にはならないのではないかという反発があったが、思考停止をしてきた。 階段を登り終え、部屋に入り、先ほどの込み上げてきた思いを反芻し、もっともだと思ったがなお考えることを止めた。そしてそれ以後より細心の注意を払い、 辞めたいと思う芽を極力事前に摘んでいった。冬に休学届が受理されてからは、もうこのことについては考えなくなった。 出発が近づくにつれて、僕は高揚していった。自転車を買い、装備を揃え、パスポートを申請し、予防接種を受け、着々と出発の準備を整えるにつれて、気持ち ははやるばかりだった。出発の日を二月二十七日と決め航空券を購入したら、旅立ちが急に現実のものとなった。二月二十七日に成田空港へ行き、飛行機に乗り さえすれば僕の旅は始まるのだと思うと、出発日に向け一気に感情は高まっていった。これから自分はどうなるのだろうか? 旅立ち、今いる日常から遠く離 れ、いったいどうなるのだろうか? 何が起こるのだろうか? 真夜中に、迷妄する情熱が駆け回り、部屋の中を立ったり座ったり歩き回ったりし、高ぶる力が 体内を迷走し、くすぶり続ける不完全な、熱を帯びた力が行き場を探してドロドロと溶け出していた。押さえ切れない、無形の、容赦のない、さみしさに似た情 熱が体の内部をガリガリとえぐっていた。このまま逃げてやろう、遠くへ逃げてやろう。もう誰にも見つからない所へ単独逃避行するのだという夢想にため息が 出た。 リセットしたかったのだ。純粋で無条件な情熱に賭けることで、急速に固まろうとする自身を突き崩したかったのだ。旅立ちは、自己疎外されつつある自分を 殺すことだった。日常からの圧倒的な断絶を必要としていた。今でなくては旅立てない。しかし、今なら旅立てる。そう自分に言い続けていた。 二月の中旬にアパートを引き払い、荷物はすべて実家に送る。日記やもらった手紙などは箱に入れてガムテープで封をして、「帰ってくるまで開けてはいけな い」と書き、奥にしまう。飛行機に乗せるために自転車を分解してダンボールに詰める。持っていく装備をパッキングする。遣り残したことが山ほどあるように 思えたが、もう時間はない。 出発前夜は成田空港の近くに住んでいる友人の家に泊めてもらった。 翌日は細かい雨が降っていた。友人に送ってもらい、成田空港へ向かった。 目の前に道があって それが二つに分かれていて どちらに行こうか悩むような そんな旅がしたい 世界中の地を訪れ 喜びも悲しみもその地に溶かして ただの旅人になりたい 一人の旅人になりたい (出発前のある日の日記より) |
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