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会話とマラリア


  ガーナをひたすら北上していた。日々淡々と自転車を漕いで前進していた。北上するにつれて湿度は下がり、鬱蒼と茂っていたジャングルは次第にまばらになっ ていった。

 走りながら僕は、日本語で会話がしたいと強く思っていた。最後に日本人と日本語を話してからもう二カ月近く経っていた。毎日膨大な時間を自分と話すこと に費やし、気がついたら独り言が多くなっていた。頭で考えていることをそのまま口に出していた。

  思う存分誰かと日本語で会話がしたい。僕が話す日本語を相手がそのまま理解するなんて、なんて素敵なことだろう。できればかわいい女の子と話したい。でも 妥協して男でもいい。とにかく日本語で会話がしたい。夜中のテントの中や、安宿の裸電球の下での独白に疲れて、僕は切実にそう願っていた。英語やフランス 語では伝えきれない微妙なニュアンスを含む会話をしたかった。そんな会話をすることを想像し恍惚としていた。

 ガーナ北部は平坦で単調な道が続いた。その日も一日中地平線を睨みながら走り、夕方に小さな村の一軒しかない宿に泊まった。二部屋しかなく、見捨てられ たような寂れた宿だった。

 夜、どうしても体の具合が悪くて、眠れなくて、熱が出てきた。頭が痛くなり、寒気がしてきて、これは、ついに、来るべきものが来たと覚悟した。ついにマ ラリアに罹ったのだと思った。マラリアの怖さは常々いろいろな人から聞かされていた。実際罹っている人にも会ったし、細心の注意を払っているつもりでい た。しかし、マラリアを持っているハマダラ蚊に刺されないことは不可能だった。どれだけ注意しても一カ所や二カ所はやられてしまう。後ろ足を上に跳ね上げ ているハマダラ蚊をたたき殺して、血が出てきたことが何度かあった。そしてやられるたびに、いつ熱発作が起こるのかとびくびくしていたのだが、この熱、こ の悪寒、この頭痛、これはついにマラリアになったなと思った。

  寝袋にくるまって苦しんだ。もしこんなところで動けなくなったらと思うと、とても心細くなる。こんなところでくたばるわけにはいかない。裸電球を見上げ て、気を強く持とうと思った。この病気はちゃんと処置すれば絶対に死ぬ病気ではない。それに僕はちゃんと予防薬も飲んでいる。大丈夫だ。もう少し経った ら、夜が明けたら、嵐は去る。そう言い聞かせ、気を強く持ち、苦しんだ。下痢のため二度ほどトイレにも行った。

  気分が悪いまま空が白みだした。そして朝一番の、イスラム教の祈りの時間を告げる合図のアザーンが聞こえてきたころ、ふとよくなっていた。ああ、過ぎ去っ た。良かった。ほっとして、それから寝て、昼まで寝ていた。

  まだすこしふらふらしたが昼から自転車を漕ぎ、ボルガタンガという小さな町に着く。その町でとうとう日本人に会うことができた。コンニチハ、と日本語で陽 気に声をかけてくるおじさんがいたので、どうして日本語を知っているのだと聞くと、日本人が学校の教師をしているのだと教えてくれた。次の日早速会いに 行った。その町には三人の日本人が青年海外協力隊として赴任していた。

  そして、話した。日本から来たばかりの女性がちょうど休日だったので、彼女と一日中、朝から晩まで話した。話しても話しても、話すことはあった。僕が話す 日本語を彼女が完璧に理解してくれることが嬉しかった。言葉は、ようやく受けとめてくれる相手を得て、奔流のように溢れ出した。

 一人自転車を漕ぎながら、僕の頭の中には膨大な言葉が渦巻いたのだ。言葉は無数の組み合わせで繋がったり離れたりしながら、砂の城のように築いては崩れ るということを繰り返していた。旅をしていて感じる、矛盾する感情、からみ合う問題、微妙な立場、そういうものから無限のように湧いてくる言葉を持て余し ていたのだ。

 彼女は完璧な受け手だった。嫌な顔ひとつ見せず、それどころか興味深い表情で相づちを打ち、時に自分の意見や経験を言い、一日中付き合ってくれた。

 あの熱がマラリアだったのか検査をしに病院へ行こうと思っていたが、彼女と話していたら調子が悪かったことなどすっかり忘れてしまっていた。そういえば 昨日はだいぶ大変だったのだ。でも、話していたらとても元気になっていた。もう直ったのだから病院はいいやと思った。それよりも話すことのほうがよっぽど 大切だった。いくら話しても話し足りなかった。午前中に会い、昼まで彼女の部屋で話し、レストランへ移動して昼食を摂りながら話し、また部屋に戻り夕方ま で話し、彼女の友人の家へ移動して夕食にうどんをごちそうになりながら話し、夕食が終わっても夜中まで話していた。

 次の日、出発前に挨拶をするためにもう一度会い、すこし立ち話をするつもりが気づいたらまた数時間話し込んでいた。ほんとうにキリがなかった。お互い少 し苦笑し、よく話したと握手をして別れた。

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