4−1旅と巡礼 |
とうとう始まった。チベットへ向けて自転車を漕ぎ出した。 このようにはやる気持ちを押さえチベットへ入っていけることが何より嬉しい。一体いつからチベットを心待ちにしていたのだろう。アフリカを走っていると きからだろうか? ヨーロッパからだろうか? いつからか僕は「チベット、チベット」とつぶやいていた。そしてとうとうこの日が来た。何かとてもいい予感 がする。まずはカシュガルから西チベットの中心都市アリへと延びる千三百キロの未舗装路、新蔵公路だ。僕ははやる気持ちを押さえ、カシュガルを後にした。 こうしてあの新蔵公路の圧倒的な日々が始まった。チベットの序章、そして旅の一つの頂点、至福の二十八日間が始まった。 カシュガルから天山南路を三日走り、分岐を南へと折れたところから新蔵公路は始まる。一気に高度が上がり、道路が未舗装になり、空の青みが増すに従い、 なんという山々、なんという空だろうと“今、ここ”を走っている喜びに突き上げられていた。上り坂が三十キロ、四十キロと続く峠が連続し、劣悪な路面に四 苦八苦しながらも、ただ一人、この荒野をゆっくり前進している喜びは薄まらない。 上り坂に疲れたら木陰を見つけて昼寝をした。凄まじい青空に抱かれるように眠る時間が楽しく、昼寝をすることは習慣になった。急ぐことは何もないのだと 言い聞かせ、今日の疲れを明日に持ち越さないよう注意していた。数十キロも続くヘアピンカーブの上り坂に疲れながら、嬉しくて仕方がない。峠はまだかと焦 らされながら、ゆっくり自転車を押して歩いていることが嬉しくて仕方がない。 その日の天気と、風向きと、路面の状態と、道の起伏に一喜一憂する日々。水と食料はあとどれくらい残っているか、次の村まであとどれくらいか、次に水を 補給できるのはどこか、そういう根本的な問題が常に頭を占めている日々。毎日テントの中で地図を食い入るように見つめ、今日走った距離を確認し、あとどれ くらい残っているかを確認し、ため息をつき、励まし、眠りについた。 ある日、上り坂が二日間に渡って続いた。愚の一念で押し、五千メートルを越える峠に向かって歩いていた。高度障害で頭が痛くなり、少し歩くだけで心拍数 が高まり、口をあけて酸素を求めていた。新蔵公路の核心部、中国とインドの国境未確定地域、アクサイチンの荒野へと向かう峠だった。 峠が近づくにつれ、これ以上ないというほど空が青くなりだした。しかしもうほとんど体に力は残っていなかった。数メートル歩いては休み、また数メートル 歩いては休むということを繰り返していた。少し休もうと道端に座り込み、気づいたらビスケットをかじったまま三十分ほど寝ていたりもした。峠からのアクサ イチンの荒野は圧巻だった。一気に視界が開け、山と荒野がどこまでも連なっている。蒼空に真っ白な雲が浮かび、その雲の影が荒野をゆっくりと動いている。 いくつ目かの峠で五色の祈祷旗が翻っているのを見たときに、とうとうチベット文化圏に入ったことを知った。それからぽつりぽつりと道端に牧民のテントが 現れるようになった。 次の村で食べる中華料理、ほとんどそれだけを希望にして僕は毎日前進していた。真夏なのに雪が降った日があった。向かい風に苦しんだ日があった。牧民が パンをくれた日があった。湖畔の廃屋の中にテントを張り、星空を見続けた夜があった。しばしば道路を濁流が横切っており、そんなときは荷物を自転車からす べて外し、数度に分けてずぶぬれになりながら越えた。悪路で野菜を運搬していたトラックが横転したのだろう、道端に野菜が散らばっていたことがあり、トマ ト数十個を驚喜して拾った。頭がかゆくて川で洗った日があった。朝起きたら雨で、半日テントにふて寝していた日があった。村のレストランですさまじい値段 をふっかけられ、頭にきてお金を叩き付けた。そんな、至福の、日々。 二十八日間、僕は漕ぎ続けた。いままで経験したどの道よりも厳しく、そしてどの日々よりも濃密だった。一日も休まずに走り続け、ただ前進することだけに 純化した日々。すべての情熱と時間をありったけつぎ込めた日々。その日々の確かさが積み重なった二十八日間。至福とはそういう日々のことを言うのではない か。 僕は西チベットの奥地にある聖山を目指していた。すべては聖山カイラスを訪れることで報われるという想いから、この長大な道のりに付き合っていた。 カイラス山、別名カン・リンポチェは仏教徒にとっては地上に現れた曼荼羅、ヒンズー教徒にとってはシバ神の象徴として崇められ、さらにボン教徒、ジャイ ナ教徒にも崇められるという複合聖地なのだという。敬虔な巡礼者がチベットやインド中から集まるのだという。いつ僕がカイラスの存在を知ったのかは定かに は思い出せないが、これほどのチベットへの思い入れはつまり、カイラスへの思い入れと言っても過言ではなかった。カイラスは奥地にあるが故に、否応なく神 秘性を帯びていた。 旅と巡礼、新蔵公路を走りながらしきりにこの両者について考えていた。この一歩は旅なのか、あるいは巡礼と言ってもいいのではないか、長い長い道のり は、その日々の淡々としたリズムが、僕にある種の心の姿勢を形作らせていった。 派手な出来事は起こらない。空はあくまでも青く、雲はあくまでも白い。夜になれば当たり前に満天の星空か、冴え冴えとした月夜だ。上り坂が現れたら峠ま で数十キロ付き合う。下り坂に喜び一気に下る。夜、適当な場所にテントを張り、ロウソクの炎をじっと見つめてこれからのことを考える。一日中朝から晩まで 走るが三、四十キロしか進めない。その遅々たる様にざわめく心をどうにかなだめ、いつかは辿り着くと言い聞かせる。 このような日々は、モーリタニアでの、あの向かい風の一直線の道を思い出させた。自然に抗いつつも従うという姿勢。自我を押さえることを要求されるめく るめく上り坂、長大な道のり。そして、従うという喜び。波が寄せては返す反復運動を繰り返すように、僕の足は無限とも思える円運動を繰り返す。聖地を目指 してただひたすらになる。信仰心はないが、この心の姿勢は巡礼ではないだろうかという自問が常にあった。 巡礼だとしたら、そこには祈りがあるはずだった。僕は何一つ祈りの言葉を唱えられないが、この一歩一歩と、ひたすらになる心の姿勢と、込み上げるような 喜びは、祈る行為とほとんど同じではないかと思っていた。しかし、ほとんど同じかもしれないが、わずかな、決定的な差異も感じていた。ほんとうにお前は巡 礼しているのかと問われると心もとなくなる。カイラスは思い入れのある目的地にすぎない。自分自身を投げ出し、帰依しているわけではない。やはり僕は巡礼 に似た旅をしているだけなのか。祈りに似た回転運動を繰り返しているだけなのか。大いなるものに対してただひたすらになるばかりで、僕にはその行為を名付 けることができない。 いくつ峠を越えたのかもう分からなくなっていた。しかし、これが最後の峠だということは知っていた。カシュガルから二十八日間の連続走行の末に辿り着い た峠は、やはり突き抜けるような蒼空、そしてやはり白い雲。峠を下ると、ほどなくして西チベットの中心都市、アリが現れた。 |
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